猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第44回
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高知県の内陸部ではのどかな風景に癒された
坂バカ俳優、猪野学(いの まなぶ)。NHK BS1の番組「チャリダー★」で活躍する姿は、多くのサイクリストが知るところだ。Cyclist(サイクリスト)で連載中だった「猪野学の坂バカ奮闘記」が、サイト閉鎖にともないサイクルスポーツへお引越し。さらなる活躍をレポートしていく。今回は、ブルベ「BRM1012徳島1000km」の参戦記3日目だ。(編集部)
前回のお話(BRM1012徳島1000km 2日目後編)はこちら

3日目の始まり
BRM1012四国1000kmも3日目の朝を迎えた。たっぷり8時間の睡眠から目覚めテレビを付けると。大谷翔平選手がホームランを打っていた。楽しそうに野球をしている。
私も今日からは楽しくサイクリングだと心に決め11時にホテルをチェックアウトした。
今日は高知市の東、香南市にある「黒潮温泉 龍馬の湯」まで、150km走るだけで良い。さぁ楽しむぞ! とサドルにまたがりペダリングを始めるとすぐに違和感を覚える。左の坐骨神経が痛い……私は600kmを越えると坐骨神経に痛みが出る傾向にある。やはり今回も出てしまったか……しかし痛み止めを飲むほどでもない。体が暖まればマシになるだろう。
しばらく走ると680km地点のPC9ローソン黒潮大方バイパス店が現れた。多くの参加者がおられる。皆さまそれぞれに疲労しているがなぜか明るい。聞くとリピーターの方が多い……この四国1000kmを、もう一度走るその心理が分からない。そんなことを想いながら暖かい肉そばを食べて再スタートした。
雨とお地蔵さん
お次は桂浜のPC10まで100km。のんびりサイクリングだ。今日は150kmしか走らないんだぞと心に言い聞かせて疲労を和らげながら走る。
すると土砂降りの雨が降り出した! 落ち着け落ち着け、たかが雨ではないか。
ちょうど屋根があるバス停があったので雨対策をする。一番大事なスマホの浸水もしっかり防ぐ。ナビゲーションを失うと厄介なのは豪雨地獄の鬼怒川ブルベ600kmで学んだ。雨に降られながら走っているとロングライド女子部の成田多喜さんが路肩に座り込んでいるではないか。
聞くと雨でシューズが濡れて靴擦れを起こしかなり痛いらしい……私は靴擦れ対策でスリッポンを持ってきていたがドロッパーバッグの中だ。
靴を買おう! とスマホで調べるが山奥で靴を売っている店があるわけがない。
仕方ないので高知市街地まで2人で走ることになった。人と走るのは久しぶりだ。成田さんも「監督がいてくれて少しホッとしました」と喜んでくれた。私は監督として何もしていないと告げると。「監督はアレですよ! お地蔵さんみたいなもんです」と訳の分からない答えが返ってきた。睡眠不足から来る幻覚で成田さんには私がお地蔵さんに見えているのだろうか……
2時間ほど走るとようやく高知県の市街地に入った。成田さんはコンビニで食事をとると言うので、ここで別れることにした。私は今夜はどこかに宿をとり休憩することを勧めたが彼女は結局、夜通し走り続け目標の70時間切りを果たした。
桂浜で立ち止まる
身体と精神を削るスピードブルベ。制限時間ギリギリでグルメや温泉を楽しむブルベ。挑み方はさまざまだ。私は今回はゴールギリギリで楽しむ方を選択した。しかしブルベの神はそれを許さなかった。
次のPC10の桂浜までの海岸線で猛烈な向かい風になったのだ!! こいでもこいでも進まない!! イライラしてきて踏んでしまう……すると坐骨神経が猛烈に痛む。クソ……結局、楽しむことなんてできないのか……楽しくサイクリングの予定だったがしっかり疲弊して780km地点、PC10の桂浜に着いたときは17時を回っていた。あと220kmが遠く感じる。
PCでスタッフの方にチェックしてもらうと、「随分と長く休憩されたのですね?」と……。聞くと昨夜は先頭だったのがすっかり後方に下がっているとのこと。そりゃホテルで11時間も過ごしていたのだから当たり前だ。
温泉に浸かって今夜もホテルでゆっくりするぞ! とさっさと桂浜を後にしようとしたときに「それ」が聞こえたような気がした。
「せっかくだから見ていけ!」と誰かに言われたというか……脳裏によぎったのだ。疲労から来る幻聴だろうか? 私はなぜか「見るべきだ」と感じたので自転車を停めて桂浜へと歩き出した。
すると目の前に何とも感動的な大海原が広がっているではないか。
遮るものが何一つなく、あるのは水平線だけだ……こんな景色を見続けたらそりゃ大海に出て何かを成し遂げようぜよ! という坂本龍馬の気持も分かる……それが桂浜なのだと。
見て良かった! 私は呼び止めてくれた「何か」に感謝した。時には立ち止まることも大事なのだと思いながら桂浜を後にする……するとまた夜が訪れる。
2度目の歓喜
今夜も高知県のどこかを自転車でさまよっている。何もない……真っ暗な道だ……恐らく二度と走ることはない道だろう。
今日のゴール、「黒潮温泉 龍馬の湯」まではそう遠くないはずだ……そろそろ街の灯りが見えても良い頃なのに……真っ暗だ。ルートミスだろうか……孤独と不安にさいなまれたときに急にグォぉぉぉっっ!! という轟音がとどろき始めた! 何だ! 地響きか!? 南海トラフか!?
と思ったその瞬間!! 真横からジェット機が轟音とともに現れ離陸していくではないか! 私はトップガンのトム・クルーズさながらジェット機に向かってガッツポーズを返した!
高知龍馬空港だ!!
空港の滑走路脇を走っていたから暗闇だったのだ!! 空港に着いたということは、それは本日のゴールが近いということを意味する。
この旅、2度目の歓喜であった……
19時30分。「黒潮温泉 龍馬の湯」に併設された高知黒潮ホテルに着き、チェックインする。
ブルベ中に温泉に長く浸かると疲れが出るから良くないと聞いているが。あと200kmでゴールだ! せっかくなのでゆっくり浸かり、サウナと水風呂を何度も繰り返し毛細血管を広げて疲労を抜く。2時間ほど温泉を堪能して、スマホであるアプリを開く。whoo(フー)という位置情報アプリだ。
実はこのアプリでロングライド女子部と位置情報を共有していたのだ。このアプリのすごいところは移動している速度まで表示されるというところだ。
女子部のメンバーの位置と速度が表示される。私が今いる場所とそんなに離れていない。というかすぐ近くだ!
そう! 私はロングライド女子部の監督として最後の大仕事を企んでいたのだ。
遂にお地蔵さんのアシストが本領を発揮するときが来たのであった。