聖都へと続く「信仰の道」を駆ける。ヴィア・フランチジェナ700kmの巡礼と、予期せぬ人の縁【天星の欧州自転車周学 その10】
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二十歳の自転車旅人・中村天星さんが、欧州の自転車の道「ユーロヴェロ」を巡る旅の連載シリーズ。今回は、イタリアのヴィア・フランチジェナを走る。
ミラノから聖都へ。
ミラノ。北イタリアの経済を支えるこの大都市は、サイクリストにとっては少々気難しい街だ。サイクルレーンはあるものの石畳が残り、自動車の波が押し寄せる大通り。決して自転車フレンドリーとは言い難い街並みだが、今回の僕にはここを目指すべき明確な理由があった。それは、1000年以上の歴史を持つ巡礼路「Via Francigena(ヴィア・フランチジェナ)」への合流である。イギリスのカンタベリーからローマ、さらにはイタリア南端まで続くこの道は、ヨーロッパの自転車乗りにとっては「ユーロヴェロ5(EV5)」の一部としても知られている。
昨年11月、スペインの巡礼路「ユーロヴェロ3」を走破した僕にとって、この道は避けては通れない、次なる「聖地」であった。

ユーロヴェロ3終着点のスペイン、サンティアゴ・デ・コンポステーラ前にて
日々の旅の断片はインスタグラムでリアルタイムに発信している。
この記事は普段なかなか旅に出られない人にとって、スクロールをするたびに異国の風を切り、海外の道を走っているような疑似体験を。そして、いつか旅に出ることを夢見る旅人にとっては、理想と現実を繋ぐ実用的な道標となることを願って書いている。
峠越えの洗礼。トスカーナへの壁
3月13日。ミラノで購入した10ユーロの「クレデンシャル(巡礼者手帳)」をバッグに忍ばせ、南へと舵を切った。

クレデンシャル(左)とヴィア・フランチジェナの自転車ガイドマップ(右)。ルートだけでなく、巡礼者宿や自転車屋の営業日と住所がリストされていて非常にわかりやすい。Googleマップに表示されていない場所や休業中の店を事前に把握できたことは旅の満足度に直結した
最初に現れたのはイタリアの背骨を越える山岳セクション。内陸から地中海側へと抜ける、今回のルートの最大の難所だ。
【サイクリスト・チェック】
・最大勾配 10%超
・登坂距離 約40km(緩急を繰り返す長い上り)
・最大標高 1060m
ヴィア・フランチジェナは本来「徒歩巡礼」の道だ。地図上のルートをそのまま辿れば、未舗装路や過酷なガレ場が待ち構えている。僕のバイクはオンロード寄りのパッキング。そのため、舗装路を選びながらも巡礼路のスピリットを外さない独自のルートを引く。
標高が上がるにつれ、息は白くなる。1日走りきった夕暮れ、僕は山中の小さな集落にいた。言葉の通じない僕を助けてくれたのは、偶然出会ったフランス人サイクリストのカップルだった。彼女の通訳を経て、地元の老紳士が「キャンプをする場所が必要なら自分の農地を使っていい」と笑ってくれた。
「水は足りているか?」
冷え込む夜、人の温かさが何よりの補給食になる。
翌朝、峠の頂から一気に下り始める。しかし、待っていたのは歓喜ではなく「冷徹な雨」だった。
濡れた路面、低下する体温。2月に旅を再開してから初めて感じる本格的な寒さ。手袋を失念していた僕の指先は、感覚を失いかけていた。30kmに及ぶ長いダウンヒルを終え、霧の向こう側に「トスカーナ」の看板が見えたとき、震えながらも僕は独りごちた。「ついに、来たんだ」と。
トスカーナの風景と地元の味
トスカーナへの入り口は、パルミジャーノ・レッジャーノの故郷でもあった。濃霧で牛の姿は見えなかったが、地元の店で手に入れた塊のチーズが、旅のリアリティを教えてくれる。
この日の宿は、ボランティアが運営する寄付制の巡礼宿「オステッロ」。
「Benvenuto!(ようこそ!)」
ボランティアのマンマが夕食のパスタのトマトソースにケッパーを散らすのを眺める。
「これが本場のアクセントよ」と教わった家庭の味は、どんな高級レストランの料理よりも身体に染み渡った。
翌日、フィレンツェを目指す途上で出会ったのは、ドイツ人のサイクリスト。彼の愛車を彩るのは、やはり「オルトリーブ」だ。日本では販売されていないヨーロッパ限定の製品に思わず唾を飲む。
彼は誇らしげにキャリアまでオルトリーブで統一した機能美を見せてくれた。国は違えど、ギアを語るサイクリストの熱量は同じだ。
フィレンツェ、そして「日本語」の奇跡
「Via Francigena(ヴィア・フランチジェナ)」から少し離れて寄り道でフィレンツェへ。大都市で観光と休息、装備の調整を行なった。
芸術の都・フィレンツェでの休息は、幸運に恵まれた。滞在ビザを持つ20歳の僕は、通常26ユーロのウフィッツィ美術館やアカデミア美術館に、わずか「2ユーロ」で入場できたのだ。
ダビデ像の圧倒的な迫力に言葉を失い、地元トークに花を咲かせる。立ち寄った定食屋の隣客が、なんと僕と同じ地元(横浜)で隣町出身だったのだ。ルネサンスの香りに包まれながら、故郷のローカルな話をする。旅の不思議は尽きない。
フィレンツェを後にし、再び巡礼路へ。ローマまであと少し。
ドルチャ渓谷(世界遺産)を走る一日は、まさに「絶景の連続」だった。標高800m〜1000mに広がる、どこまでも続く草原。森ではなく、圧倒的なスケールで波打つ緑の地平線。
その夜、巡礼宿を訪ねるために管理人へ電話をするとイタリア人男性が流暢な日本語で応対してくれた。
「もしもし、どなたですか?」
28年間、日本人向けのツアーガイドをしていたというBittoさんは歓迎してくれた。奥様は日本人だった。夜、彼は家に招待してくださり夕食をご馳走してくれた。
食卓を囲みながらいただいたチーズのパスタは、濃厚で、しかし癖のない、イタリアの味だった。都市から遠く離れた田舎のこの地で、日本語で語り合う夜。疲れた心と体が、ゆっくりと解けていくのが分かった。
聖都ローマ。700kmの結実と「秘密のゲート」
3月22日。ついに、僕はローマの地に立った。
ミラノから11日間。総距離695.7km、獲得標高6960m。
スペイン巡礼路(フランスの道:800km/1万500m)に比べれば、平坦区間もあり比較的走りやすい。ただし、トスカーナのアップダウンは地味に足を削るため、中級者以上の脚力が望ましい。
ゴールして早々、ローママラソンによる交通規制という洗礼を受けたが、それさえも旅のスパイスだ。現地のサイクリスト夫婦、ブラントさんとジュスさんの家に招かれ、さらなる驚きが待っていた。
彼らもまた「日本縦断(宗谷岬〜沖縄)」を経験した大のサイクリストだったのだ。
「日本海側のルートは最高だね」。
そんな会話がローマの夜に響く。そして、奥様のお兄さんが僕の地元の近く川崎に住んでいるという奇跡。700kmを走った先で出会ったのは、偶然とは思えないほどの深い「縁」だった。
そして、旅の締めくくりはバチカン市国。
数千人の観光客がセキュリティチェックに並ぶ中、僕は一冊の手帳を取り出した。ミラノから積み重ねてきた巡礼者の記録、「クレデンシャル」だ。これを見せた瞬間、警備員は「巡礼者よ、こちらへ」と列をバイパスするゲートを開けてくれた。
巡礼者受付で手にしたのは、完走の証「テスティモニウム(巡礼証明書)」。
それは、ただの紙切れではない。雨に打たれ、坂に喘ぎ、人の優しさに救われてきた700kmの、すべてのペダリングの証左である。ヴィア・フランチジェナは、ここで終わる。しかし、この道で繋がった人々との縁は、ここからもずっと続いていくのだ。
次回はアドリア海沿いにバルカン半島へ。太陽に照らされて輝くアドリア海と未知なる山岳路が僕を待っている。




























