Fumy’s eye 別府史之が見た世界 étape17

別府史之が見た世界17

本場ヨーロッパで活躍するプロロードレーサー・別府史之選手の「今」を、本人の言葉で読者の皆さんにお伝えする連載。今回は、九州を自転車で巡った話と、そこで得られた「気付き」についてお届けします(編集部)。

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Bonjour !
こんにちは、別府史之です。

思い切って一時帰国してすでに1か月以上たちました。久しぶりに日本をゆっくり満喫しつつ、じっくり乗り込む日々を過ごしています。

中でも自主隔離期間を終えて、すぐに向かったのが九州です。なぜ九州を選んだかって? 高校時代の先輩で、今は大分で競輪選手をしている安東宏高さんに、常々「おいでよ」って誘っていただいてたんですよ。それに九州にはもともと知り合いが何人もいて、サイクリングにいい環境が揃っているよ〜と話を聞いていたので、ずっと興味がありました。高校生の頃にはインターハイなどで九州に何度もレースを走りに行きましたし、実は自動車運転免許も熊本の天草で取りましたし。

天草自動車学校

だから今回は大分から始めて、宮崎、鹿児島、熊本、長崎、佐賀と巡りました。自分の名前は別府ですから、だったら別府からスタートしよう……って決めるのは当然ですよね! そこから全部で20日間。各地で知り合いの方々にお世話になりながら、自転車で九州を半周したと言えるくらい走り回りました。

別府史之が見た世界17

別府史之が見た世界17
別府史之が見た世界17

行きたい場所を地図で探しては走る、そんな毎日でした。観光地というよりは、むしろ景色のいい場所を目指しました。たとえば大分では別府温泉から湯布院に抜ける道を通って、そこから九重連山へ。標高1300mを超える牧ノ戸峠では風景を楽しみました。また国東半島を回ったり、鹿児島では本州最南端の佐多岬へ行ったり。阿蘇の大観峰にも上りましたよ。

別府史之が見た世界17

別府史之が見た世界17

 

別府史之が見た世界17
別府史之が見た世界17

 

別府史之が見た世界17

 

別府史之が見た世界17

 

牧ノ戸峠
佐多岬

大観峰

単に好きなように走ってたわけでもないんです。だってトレーニングメニューをこなす必要もありますから。だからこそ行き先に「山」を選ぶ機会がどうしても多くなりました。距離的にも計算しながら。まあ1日あたり7〜8時間は乗っていたので、エンデュランスはかなり鍛えられたんじゃないかと思います。

別府史之が見た世界17

 

普賢岳

ただ走っても走っても……九州は美味しいものが多すぎて困っちゃいました(笑)。それにお世話になった方々は、とにかくあれもこれもといっぱい食べさせてくれるんです。特にあちこちで名物のお肉をたくさん振る舞っていただきました。嬉しい悲鳴でしたね。

 

 

別府史之が見た世界17

知る人ぞ知る藤沢本鵠沼のLYONで食したサーロイン

 

別府史之が見た世界17

鹿児島県鹿屋市から頂いたお肉

 

別府史之が見た世界17

鹿屋アスリート食堂で食べたチキン南蛮

 

別府史之が見た世界17

1803年から続く大磯老舗の鰻屋さん「國よし」にて

 

大分では黒枝兄弟(士揮と咲哉)のカフェにも立ち寄って、美味しいコーヒーを淹れてもらいました。スパークルおおいたレーシングチームは、新しい試みとして、クラブハウスを兼ねたカフェを運営していました。しかもレースやトレーニング以外の時間に、選手たちもそこで働いているそうです。単なるオフィスではなく、ファンや市民も集まれる場所をチームが提供するというのは、新しい形じゃないですか。それに大分を走っていると、時々「スパークルの人?」と聞かれたりして、チームの活動が地元に着実に根付いているんだなぁと実感しました。

なにより大分で「お、いいな」と思ったのは、自転車通学の中高生たちがみんなヘルメットをかぶっていること。今年の4月から高校でも義務化になったそうです。しかも学校指定のヘルメットではなくて、レース用のヘルメットなんですよ。乗っている自転車もマウンテンバイクやクロスバイク、ロードバイクと、スポーツ自転車が大半でした。すごく嬉しくなっちゃいました。だってこれなら週末に友達と「走りに行こうか」って流れに自然になるかもしれないですし、この装備ならそのままで走りに行けますからね。

大分にはUCI大会のおおいたアーバンクラシックもありますし、2023年には熊本や福岡とあわせてツール・ド・九州も開催する予定だそうです。だから今、大分では、自転車が熱いんだな、自転車を通して町を盛り上げているんだな、と肌で感じました。

地域密着型、といえば鹿屋のシエルブルーもそうですね。鹿屋市では市長に表敬訪問する機会もありましたので、色々と自転車に関するアドバイスをさせていただきました。

たとえば僕が話したのは、道路脇の標識や看板について。自転車選手を長くやってきましたが、実は走っていて楽しい道と、楽しくない道があるんです。走っても走っても時間が進まない、いつまで走っても終わらない……そういう道って楽しくないですし、もう走りたくないって思っちゃいますよね。それはなぜだろう?って色々と考えてみたとき、頭の中に浮かんだ理由のひとつは「走っている最中に得られる情報量の違い」です。自転車選手の才能というのは、道を1回走ったら忘れないこと。だから周りよく見ながら走っているんです。標識も看板も、もちろん風景も。

ただ鹿児島の場合、道も広いし風景も雄大なんですが、道路脇の目印のようなものがほとんどないんです。時々見かけるのが、国道名の標識くらい。地名さえもあまり見かけませんでした。だから情報量が少なすぎて、なんだか走っていて間延びしちゃうんです。僕の地元、神奈川県だと峠の名前が書かれた標識があちこちで見つかりますし、ヨーロッパの峠なら1kmごとに「勾配○%、山頂まで○km」という看板さえ立ってます。そういう看板って、自転車乗り的には盛り上がるポイントなんですよ。ここからスタートしよう、あの標識まで全力で行こう、今度はあの看板まで……っていう具体的な目標になるんですよね。そうすると楽しくて、時間の流れを早く感じますし、またそこへ走りに行きたくなる。そういうものです。

あと1つ、気になったのが、九州って神々しいほどに素晴らしい土地ですけど、道路自体が残念ながら自転車向けにできてはいないこと。新しく作られた道もたくさんあったんですけどね……。今の時代に、自転車のことが少しも考えられていない、そんな道がいまだに新しく作られ続けているということが悲しかった。

これは九州だけに限らず、全国的に同じことなのかもしれません。日本は道路の幅自体はすごく広いですし、場所によっては歩道さえも車道と同じくらい幅広くとられている場所がある。でも自転車が走れる場所がないんです。ほんの数十cmずつ自転車用に分けてもらえたら十分なんですけど。今から道路を作り直す必要はなく、ほんの少しの工夫でできるんじゃないかな、っていつも走りながら考えてます。かといって自転車レーンを作ればいい、ペイントすればいい、っていうものでもありません。今だって自転車用に道路にペイントが施されている道はたくさんありますが、実際に自転車で走ってみると……あれ?っていう場合ありますよね。そこに「悪意」があるわけではないのは理解してます。でも「いや、これ、走れるように作ってませんよね?」ってどうしても首を傾げちゃう。

自転車が乗りやすい道というのは、自転車で走っていて安全な道という意味でもあります。僕も自転車選手として、「自転車って良いものですよ」って伝えていきたいけれど、そのせいでサイクリストたちを危険にさらすことはしたくない。先日も高校時代に時々練習に出かけていた場所に行ったら、自転車進入禁止になっていたんです。知らずに少し走ってしまったら、土地の責任者の方が慌てて出てきて、理由を教えてくださったんです。昔、この道で悲しい事故があって……と。だからすぐに謝罪してUターンしたのですが、僕みたいにトレーニングしていた人が事故に遭ったのかもしれない、と思っただけでやっぱりめちゃめちゃ悲しかった。

だから大分の中高生のヘルメット義務化は安全意識の向上につながる大切な一歩ですし、道を作る側の方々にも、安全に走れるような環境づくりに力を行っていただけたらと思ってます。僕もTwitterで国土交通省宛に意見を投稿しましたが、この先、脱炭素社会を推進するのであれば、自転車の利用者により配慮していくべきです。なにより実際に自転車に乗る人間の意見を、大いに取り入れていただきたいです。

こうして色々な「気付き」を得られたのは、実際に日本を走る機会を持てたおかげですね。もちろん走っている途中でたくさん声をかけていただきましたし、この間は実家の前の上り坂で、ロードバイクで反復練習をしている子どもたちに出会いました。実はこの上り坂のせいで、子供時代は友達が家に遊びに来たがらなかったんですが(笑)、僕もやっぱりここで反復練習をしていたんですよ。そんなことを知ってか知らずか、子どもたちが練習しているのを見て、なんだか不思議な感覚でした。僕が小さい頃は、そんな風に自転車の練習している人自体がほとんどいなかった。でも世代が変わり、自分が練習していた場所で、今こうして若い選手たちが同じように練習を積んでいる。「あ、別府選手! 応援しています!」なんて声をかけてくれましたが、ああ、なんか、長いことやってきたことは間違ってなかったな~と、しみじみさせられました。

高校卒業後に渡仏して以来、毎年1か月から1か月半くらいしか日本には滞在してこなかった自分ですが、今回こうして日本に少し長めに帰ってきて本当に良かった。九州でもたくさんの人に温かく迎え入れてもらい、ファンの皆さんにも声をかけ応援をしてもらえて、すごく感謝しています。選手冥利につきます。ありがたいことです。そして、こういう人たちがいるからこそ、僕は自転車を続けてこられたんだ、と改めて確認することもできました。

別府史之が見た世界17

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別府史之が見た世界17

別府史之が見た世界17

自分で釣ったカサゴを、お店でさばいていただきバジル和えでだしていただいたことも

レースがない分、色々と考えることも多い日々でした。トレーニングしながら「自分はいったいどこに向かって走っているんだろう」なんて悩むこともあったし、里帰りの大きな理由のひとつでもあった全日本選手権も延期になってしまって、ショックも受けました。本来ならば全日本でいい走りをして、シーズン後半につなげるつもりでしたからね。

でもそんなことは自分の意志ではどうにもならないこと。思い通りに行かなかったことを悔やむよりも、今はシーズンのこれからについて前向きに考えています。だって大きな目で見れば、今回帰って来たのは間違いではなかった。あくまでポジティヴに考えてます。

それでは、また。次回はフランスからお届けします!

別府史之

 

 

メッセージはinfo@cyclesports.jpで。メールタイトルには「Fumy’s eye」とご記入ください。またTwitterやFacebookコメント欄からの投稿や、別府選手への質問もお待ちしております!

 
(宮本あさか)