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小林海(マリノ)の体当たりスペインロードレース参戦記 第11回

レース

5日間のステージレース「ブエルタ・レオン」出場

こんにちは。「小林海の体当たりスペインロードレース参戦記」第11回目です!
 
前回書いたブエルタ・サモラから中1日でブエルタ・レオンが始まる。
ブエルタ・レオンはスペインのステージレースの中でも極めて格式の高い5日間のステージレースだ。2年前まではUCI2.2クラスのレースで、第1ステージCembranos-Calzada del coto、第2ステージPasada de valdeon-Sabero、第3ステージLa Bañeza-La Baña、第4ステージFolgoso de La Ribera-Castillo de Crnatel、第5ステージBanavis de Orbigo- Banavis de Orbigo。梅丹本舗が出場して清水都貴選手や新城幸也選手が勝利したことで知られている。

正直、サモラを走る前は、連続してレオンを走りたくなかった。サモラ後の疲労度を考えると、サモラよりもきついと言われる5日間のレオンを走るのはかなりしんどいのではないかと思って監督に話したところ、「サモラを走ってみてしんどかったら走らなくてもいいから自分で決めろ。でも、レオンはU25のレースで、チームのエース格は誰も出られないからできれば出て欲しいんだよね」と言われた。サモラでは調子が良かったし、疲れてはいたが思っていたほどではなかったので出場を決めた。

 
ブエルタ・レオン第3ステージ最後の峠
ブエルタ・レオン第3ステージ最後の峠


ブエルタ・レオン1日目、131.9km。細かいアップダウンがあって風も強く、路面の悪い場所にも入り、1日目からかなりきついレース展開になった。常に、前、前でレースを運ぶが身体が思うように動かず、路面が悪くきつい場面でパンクをしてしまい、集団に復帰した後もメカトラが続き、最後の横風区間で先頭集団に入ることができなかった。疲労度が増してくる後半戦よりも最初の2日間で結果を残したいと思っていたが、1日目はうまくいかなかった。
 
2日目、115km。前日よりもアップダウンが激しいコースで、後半に3級山岳が下ることなく連続する。まずそこで残っていないと最後の小集団でのスプリントには参加できない。このステージも狙っていたため、できるだけ脚を使わずに3級山岳まで集団待機をした。山岳が始まると予想以上にきつく、集団後方で切れるか切れないかの苦しい状態で耐える。しかし、その後の下りがとてもテクニカルで危険なため、集団が分裂することはわかっていたが、前方で上りをクリアできなかったために、そこでレースが終わったことを悟った。案の定、下りでメイン集団は分裂してバラバラになり、第2集団に取り残されてそのままフィニッシュとなった。
 
3日目、136km。このレースでのクイーンステージだ。レース中盤に山岳が始まり、その後、道幅が狭くて路面の悪いテクニカルでアップダウンしかない道が永遠のように続き、終わったと思って下ると20km以上の上りが待っている。今まで走った中でもダントツにきついコースだった。
 
最初の2日間で何もできていなかったので、チームとしても何か目立つことをしなければならなかった。どうせこのステージでは順位など狙えず、僕のやるべきことは明白だった。それは、逃げに乗ることだ。最初の2日間では全く逃げが形成されず、今大会ではまだ1度も誰も逃げることができていなかった。
 
しかしこの日は、絶対に逃げができると確信していたので、序盤からがんがんアタックなどをして逃げを試みた。スタートから1時間経って5人の逃げが形成された。集団内で5人が逃げていくのを見ていて、あの逃げは確実に容認されると確信したため、もう1人の選手とブリッジをしかけて前の5人に追いついた。計7人になった逃げ集団は容認された。とりあえず一段落つきほっとした。その後、2つの山岳を先頭通過し、山岳ポイントを獲得しながら最後の山岳まで逃げた。そこからはゆっくりグルペットを形成してレースを終了。結果的に山岳賞争いで2位タイについた。翌日の目標はこの時点ではっきりとした。

 
4日目歩くのもしんどい・・・
4日目歩くのもしんどい・・・


4日目、139.4km。僕がやることは、また逃げて山岳ポイントを獲得することだ。2つの山岳を1位通過すれば山岳賞獲得は確実だった。序盤のテクニカルで勾配のきつい上りがある場面で逃げができると思い、最初の30分は何が何でもフルで逃げようと動き回るが、なかなか逃げが容認されない。
 
ブエルタ・アビラから蓄積していた疲労のため、さすがにつらく、集団後方に下がってしまった。これ程なのは久しぶりで、〝今日はもうだめなんじゃないか、完走できるかなコレ〟とまで思った。そんな事がちょうど頭を過ぎった時に前で逃げ集団が形成された。さすがにあれも容認されないだろうと思ったが、きついのは僕だけではなく集団全員がきつかったようで、逃げは容認された。
 
ブリッジかける脚もなく〝僕のブエルタ・レオンはもう終わったかなぁ〟と考えながら集団で走り続け、レース半分の所にあった最初の山岳に到達。パラパラと何人かが飛び出していく。〝あいつ等が飛び出して行くのに何で俺は飛び出さないんだろう〟とわけのわからないことを思い、僕は集団から飛び出して行った。そこからは思いのほか脚が動き、身体のあちこちを色々な痛みが通り越していて、もはやこれ以上苦痛を味わおうがどうしようが何も変わらない気がして思い切ってペダルを回した。
 
その後、飛び出してきたもう1人の総合上位の選手と一緒に全力でローテーションし、2つ目の山岳で逃げ集団に追いついた。今まででいちばん身体が思うように動いている感じがした。その山岳を2位通過し、ポイントでは単独2位になった。テクニカルな下りを集中してこなし、残り25kmでメイン集団と2分半の差。〝こちらは11人、ゆるい上りゴールだから最後の山岳まで1分の差を維持できれば十分勝てる、今の自分はおそらくこの中で一番強い、勝利は目の前だ〟と思った。
 
しかし、ここでまさかの事態が起こる。4人も送り込んでいるチームがあったのに、その誰ひとりとしてローテーションに加わろうとしない。正直、何がしたいのかわからなかった。4人もいれば勝てるチャンスが十分にあるのになぜローテーションに1人も送り込まないのか。逃げ集団はそのまま協調体制が崩れ、瞬く間にメイン集団に捕まってしまい僕のレースは終わった。山岳順位も2位で終わってしまった。
 
 

『ブエルタ・レオンで良い走りをした7人の選手たち』に選出される!

5日目、個人TT 15km。総合1位の選手が山岳1位だったので、本来なら2位の僕が最終ステージの山岳賞ジャージを着るはずだったが、この日はTTということでなぜか各賞のジャージが配布されなかった。前日から山岳ジャージを着ることだけがモチベーションだったので、正直めちゃめちゃがっかりした。
 
ド平坦で、TTバイクやハイトの高いホイールやディスクホイールの性能で大きくタイムが短縮できるコース。僕は特にTTバイクを用意せず、ノーマルバイクにロードレースで使っているハイトの低いホイールで走った。結果は優勝者から1分30秒遅れ。この器材でエリートのスペインチャンピオンとこれだけの差しかなかったのは、ポジティブな結果だと自分では思った。TTの器材を使えば1分以上短縮できたはずだと思うので。チームからも来年はTTバイクをセッティングしようと言ってもらえた。
 
今回のブエルタ・レオンの僕の走りが、スペインの自転車サイトで取り上げられ、『ブエルタ・レオンで良い走りをした7人の選手たち』に選ばれた。http://elpeloton.net/2015/07/nuestro-7-ideal-de-la-otra-vuelta-a-leon/
このレースのおかげで僕のスペインでの注目度が一気に変わった。