再び日本人を欧州戻すために チームユーラシア-iRCタイヤの取り組み【後編】

目次

アタックする大関宙

アタックする大関宙

ベルギーを拠点に、若手選手の育成やレース参加のサポートを行うチームユーラシア-iRCタイヤが、2022年の夏休み、サイクリングアカデミーを再開させた。

いまだ感染症による危険や制約が、完全に消えてなくなったわけではない。それでも2年間の空白を経て、3年ぶりにサイクリングアカデミーは再開に漕ぎ着けた。「このままでは日本と世界の差はますます開いてしまう」という焦りと、「欧州に軸足を戻さなくてはいけない」という決意で、この夏、9人の中高生を受け入れた。

サイクリングアカデミーを主催するチームユーラシア-iRCタイヤ代表、橋川健氏に話を聞いた。

前編はこちら

 

歩くように無意識に

「今はストラバで数値がはっきりと目に見える時代です。たとえばアカデミーの選手と同じ世代の外国選手たちのデータを比べてみても、数値的には負けていない。でも実際にレースの場面になると、いきなりぶっちぎられる。全然うまく行かない。つまりはレースの走り方が、特に集団の位置取りが下手くそということです。

欧州の、いわゆる自転車大国で生まれ育った選手たちの多くは、小さい頃から同じ世代の選手たちと競い合いながら技術を身に着けていきます。僕の次男がU15のレースに出ているので、見に行くと、ベルギーの子どもたちは荒れた路面でも、狭い道でも、鋭角コーナーでも、平気で2列並走でシャーッと上がって来る。集団の密度もすでに違います。人間って普段は特に意識しなくても、歩けるじゃないですか? それと同じで、ヨーロッパの選手たちは、子供の頃からの積み重ねで、無意識に位置取りが出来るようになっている。

でも今の日本だけで走ってきた子どもたちは、そういうわけにはいかない。彼らにとってはまさにカルチャーショック。アカデミーの選手たちにも、場面に合わせて図に描いたり、ビデオを見せたりして、『君はここにいて、他の選手が1人ここにいる。じゃあこの後、この選手がこっちに動いたら、君ははどうすればいい?』と、いちいち解説しなきゃならない。

しかも覚えるべきことはひとつではない。集団の位置取りの仕方、横風の時の動き方、先頭交代のやり方……。何十個、何百個もある。それを一つひとつ学び、実際にレースで体験して、理解していく。ヨーロッパの選手たちが無意識にできていることを、日本の選手たちは頭をフル回転させて、ようやくできるようになる。最終的には意識しなくてもできることを、少しずつ増やしていくしかありません。

以前、雨澤毅明がナショナルチームでヨーロッパに来た時に、審判の許可を得てアクションカメラを自転車に取り付けたことがあります。で、レース後に動画を見てみたら、隙間だらけで簡単に割り込まれるし、風が吹いたら風上に行ってしまうし。風下は集団がぎゅうぎゅうになるので、慣れていない選手は、怖くて風上に行きがちなんですね。しかも雨澤は脚力があるから、風上でも耐えられちゃった。でも、やっぱり、そこですごく無駄に脚を使うことになる。だから動画を見ながら、雨澤に指導をしました。

その数日後、改めてアクションカメラをつけて走ったら、ものすごく上達していました。さらに雨澤は、あえて最後尾からスタートし、力任せではなく位置取りのテクニックのみでひとりずつ抜いていく……という使命を自らに課して、レース本番に見事やりのけてしまった。雨澤の動画は、今でもアカデミーの選手たちに見せて、教材にしています」

 

落車は確実に減らせる

「落車に関するワークショップも行ってます。集団の位置取りの仕方を学習で上達させることができるのと同様に、落車も論理的に減らすことができる。もちろん落車は完全になくせるものではありませんし、学習の効果がすぐには出ない選手もいます。ただ、そんな選手であっても、すぐに落車率は半分近くにまで減らせます。数年かけて学んで行けば、最終的に1%程度にまで減らすこともできるんです。

落車は起きてはいけないし、減らしていかなくてはならないもの。選手はこの意識を持つべきです。巷でよく使われる「落車に巻き込まれた」という言い回しは、間違っています。「巻き込まれた」のではなく、その原因のひとつは、絶対に自分側にもある。

今年のインカレで、残念ながら、落車による死亡事故が起こってしまいました。ただ「落車」の原因と、「死亡」の原因は、分けて考える必要があります。もしも落車が起こった場合に、重大事故に発展してしまわぬよう、コース上に安全対策を施すのは主催者の絶対的な義務です。ただ落車自体ができる限り発生しないよう努めるのは、選手側の責任です。

落車というのは、いわゆるコップに水が1滴ずつ入ってくようなもの。路面が濡れていた。空気圧が高かった。コーナーだった。前で集団が詰まっていた。こういった様々な条件がコップの中に水のように積み重なっていき、最後の1滴で、突如としてあふれ出てしまう。つまり、ほんのちょっとしたきっかけで、たとえば前の選手が急に動いた……とかで落車は起きる。

で、落車した選手は、『前の選手が急に動いたから落車した』って必ず言うんですよ。いや、でもね、雨が降っていたのだったら、まずは空気圧を落とすべきだった。コーナーが濡れているのは分かっていたのだから、車間距離やライン取りに最大限の注意を払うべきだった。そもそも自分のハンドリングテクニックが上手ければ、避けられていたかもしれない。そういう小さな理由を一つひとつ解決していれば、前の選手が急に動いても、落車は起きなかったのかもしれない。

すべての選手が、まずはこの事実を認識しなきゃいけない。落車は必ず自分の側にも原因がある。落車を減らすためにできることを、選手各々が考えるべきなのだ、と。落車の少ない選手というのは、小さな積み重ねを経て、自ら落車を避けている。決して運が良くて落車をしなかったわけではない。そういう意識を選手全員が持てば、全体としての落車も減る。こんな意識付けを、サイクリングアカデミーでは力を入れて行っています」

 

落車に関するワークショップ

落車に関するワークショップ

 

落車に関するデータ

落車に関するデータ

 

それでもヨーロッパを目指してほしい

「サイクリングアカデミーに来た選手たちに話を聞くと、みんな、やっぱりヨーロッパでプロになりたいと言います。『将来の夢はカンチェッラーラみたいになりたい』『欧州で活躍できる選手になりたい』って。5人いたら5人全員がそう口を揃えるんですけど、じゃあ、高校を卒業したらどうするの?って話をすると、大部分が『大学行きます』って。

もちろん、大学に行くなとは言いません。じゃあ橋川さんのとこに行けば欧州でプロになれるんですか?って聞かれても、僕はそこまでの道順を教えてあげることしかできませんから。たとえその道を進んでも、ゴールまで到達できるかなんて分からない。ヨーロッパ人でさえも、プロになれる確率は恐ろしく低いんです。

若い選手たちが進学を選ぶのは、僕らが失敗例をいっぱい作っちゃったのも原因かもしれません。別府、新城に続く選手を出せていない。これがやっぱり大きいんじゃないかな。大学行かずに欧州に行ったって、結局はダメじゃん、みたいな。だから『ヨーロッパでプロ』の夢は抱きつつも、より現実的な道を選ぶ。今は大学に行きながら日本のJプロツアーやJCLを走っている選手がいて、そこには現実的な道がありますから。

そもそも絶対にヨーロッパじゃなきゃダメなんだ、という強い執着心を持っていないのかもしれない。もしかしたら、日本の若い選手たちにとっては、欧州のプロレースは『テレビの中の世界』なのかな。だから心に熱く燃えたぎる思いがない。

だから、ヨーロッパでプロになりたいっていう夢を少しでも抱いて、わざわざお金を払ってヨーロッパに渡り、サイクリングアカデミーに入ってくれたのだから、選手たちには本物のプロのレースを見せてあげよう……と思い立ったんです。これまでのアカデミーは、レース活動と落車を起こさないための取り組みが中心でした。でも今年はレースを見て、感じてほしかった。ヨーロッパのレースの凄さを知って、胸にぐさって突き刺さるような感動を味わってほしかった。

ツール・ド・ワロニーに選手たちを連れて行きました。たしかにツール・ド・フランスでもなく、パリ〜ルーベでもない。でも沿道には観客が四重五重と詰めかけ、さらにはカフェのテーブルや椅子の上に立ち上がって背伸びしながら、みんなレースの通過を待ってる。プロトンが来ると観客はフェンスをばんばんばんばんって叩いて。選手たちのにっこにこな顔を見ているだけで、みんなの興奮が伝わってきました。

 

ツール・ド・ワロニーで、19歳のプロ選手キアン・アイデブルックスと

ツール・ド・ワロニーで、19歳のプロ選手キアン・アイデブルックスと。直後にツール・ド・ラヴニール総合制覇を果たした。ベルギーの次代のチャンピオン

 

今年のU23のヘント〜ウェヴェルヘムでは、同じ道をプロのレースも通過した。だからレースを終えた後に、少し出発時間を遅らせてプロレースの観戦をしたら、ちょうど新城幸也が走ってきた。それも20人くらいの先頭集団のすぐ後ろの、ものすごくいいポジションに1人で入ってきて、会場がわぁーーって大きく沸いた。新城がヨーロッパで走るシーンを、選手たちはテレビやインターネットで見たことがあっても、実際に本場で見るのは、きっと初めてだったはずです。すごくいいものを見せてもらいました。日本の選手たちにとって、あの体験が大きな刺激になっていてほしい。

 

プロレースを観戦

プロレースを観戦

 

この年齢ではこういう数値を出して、こういう準備をしなきゃいけない、この年齢までに絶対にこのカテゴリーに達していなければダメ……っていうのは、実は二の次なのかもしれない。『俺も絶対この場でいつか走るんだ』『彼らと同じようなジャージを着て、観客の中で、この歓声を浴びたい』っていう、『強い思い』を持たせてあげることがまずは大切です。そう改めて認識しています」