Fumy’s eye 別府史之が見た世界 étape18

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本場ヨーロッパで活躍するプロロードレーサー・別府史之選手の「今」を、本人の言葉で読者の皆さんにお伝えする連載。今回は、久しぶりに出場したレースと、東京オリンピックの男子ロードレースについてお届けします(編集部)。

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Bonjour!こんにちは、別府史之です。

ほんと、どこから話せばいいのか分からないくらいですが……7月下旬のツール・ド・ワロニーで、久しぶりにレースを走ってきました! 3月下旬から出ていなかったので、まるまる4か月ぶりです。しかも春先は4日間しか走ってなかったので、ワロニーの5日間で、ようやく9レース消化したことになります。

日本に帰って、でも全日本選手権の延期が決まって。その直後はシーズンこの先どうしていったらいいんだろう、と呆然としました。次のレースがなにになるのかまるで分からなかったし、正直、ちょっとモチベーション的にも難しいところがあったんです。それでも早急にシーズンプログラムを組み立て直して、7月後半に向けて調子を合わせていきました。

EFのメカニックトラック

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あまりに久しぶりの実戦だったせいか……ワロニーは初日からきつかった! 暑かったせいもあります。しかもワロニーってアルノ―・デマールとかが総合優勝するような、いわゆるスプリンター向けの平坦基調のレース、というイメージだったのに、蓋を開けてみたらめちゃくちゃアップダウンが激しくて(笑)。だから身体がびっくりしちゃったんでしょうね。

なんというか、自分の身体が「油が差されてないアンティークの機械」であるかのような感覚に陥りました。指先までオイルが回っていない、みたいな。もちろん練習はしっかり続けてきましたし、知り合いの選手たちと一緒に走る機会も多かったんですけど、レースの強度やスピードはまるで違いますからね。脈が信じられないくらいに上がって、あれ、なんか、心臓から手先や手首にうまく血がめぐらないぞ……と。今までに味わったことのない身体の辛さでした。

でも、まあ、ありがたいことに僕には長い経験がありますし、体重もそれほど増えたわけではなかったので、それほど心配はしていませんでしたけど。その通り、日に日に調子は上がっていって、5日目の最終日には好感触が戻って来ました。

しかも、その5日目は、東京オリンピックの男子ロードレースの日。スタート前にみんなでテレビでレースを見ましたし、僕は残念ながら出場は果たせなかったけれど、やっぱり心の中には「出たかった」という気持ちもあった。だから、僕もなにかしたい! そんな思いで逃げました!

 

 

※チームの坂本マッサーのツイッターより引用

 

それにしても東京五輪は、「超」がつくほどのサバイバルレースでしたね。周回コースではなかったから、その分、シンプルなレースだったかな。明神・三国峠の麓まで、ほぼプロトンはばらけず、大きな集団のままたどり着いた。富士山麓では少しばらけましたけど、下りが長かったし、チームカー隊列も長かったから集団は再びまとまった。つまりは、たったひとつの山で全部が決まっちゃった。たしかに最後の最後は接戦で、すごくエキサイティングではありましたけど、展開としてはかなり単純だったんじゃないでしょうか。

もちろん三国峠の破壊力がすごすぎたせいなんですよ。それに、そもそもオリンピックって各国の出場枠が少ないので、各国チーム内に戦略的に使える選手の数も少なくなる。そうなるとチームメートに与えられる役割は、ひたすらエースをできるだけ保護しつつ、麓まで連れていくことだけ。各チームにできることはそれだけなんです。だから勝負所までは淡々としてましたし、その後はシンプルに強い選手が勝った。

あのコースをレガシーにしよう、今後UCIレースに使おう……という意見も耳にしますけど、うーん、どうでしょう。山中湖周辺でレースができたら面白いんじゃないかな、とは思いますよ。ただ、明神・三国峠をメインにした場合、山しかない、上りしかない、そういうレースになっちゃいそうですけどね。それならいっそ、単純に、三国峠だけの「富士ヒルクライム」をやったほうがいいんじゃないですか(笑)。それほどまでに強度も勾配も高い上りなので、レースで使うとなると意外とワンパターンで、展開の良し悪しもなくて、面白くないかもしれない。

だったら逆回りにしてみる、というのはありかもです。あの急勾配を下りで通過する、という。あ、でも、ダウンヒルの場合、あそこは例えフルブレーキかけても時速60km以上出ちゃいますけどね! 僕もよくトレーニングで道志を抜けて、山中湖まで行って、あの三国を下って神奈川まで帰るコースを使うのですが、夏場、あそこを下るのはかなり危険です。リムブレーキだと、熱でタイヤがパンクする可能性もありますから。だから下りでもあまりブレーキをかけすぎないように、でもかけないのも危険……っていう。そういう急勾配なので、やっぱり逆回りでも、レースで使うとなると難しいのかな。

むしろ90年に行われた宇都宮の世界選手権のコースのような……上りもあるけど平坦もある、色々な展開が仕掛けられる、そんなコースのほうがレースとしては面白くなるはずです。世界選を記念して始まったジャパンカップも、今では鶴カントリーがなくなって、古賀志林道だけの短い周回コースになってしまった。周回が短くなれば、現場で見ているお客さんはそりゃあ嬉しいですよ。選手たちを見られるスパンは短くなるし、回数は増えるわけですから。だけど展開的には幅がなくなっちゃいましたよね。古賀志林道だけが唯一絶対の勝負所になっちゃったわけですから……。

ところで東京五輪は無事に開催されましたが、日本のUCIレースはいまだ多くが中止や延期に追い込まれている状況です。僕としても2年連続でジャパンカップが行われないのは寂しいですし、なにより日本で走っている選手にとっては、つらいでしょう。日本のロードレース界にとっては厳しい現状です。東京五輪が終わって「次」を見ていかなきゃいけないのに、国内レースもなければ、選手も育っていない。

国内のロードレース界は、真剣に考え直さなきゃいけない時期にきているんじゃないかな。東京五輪というチャンスを活かして、日本のレベルは上がったか? 今後なにをしていくべきなのかが、果たして明確に見えた? どちらもノーなんじゃないですか。とにかく今回の五輪で、改めて世界とのレベルの差をまざまざと認識させられましたよね。だったら今のままじゃダメなんだ、ってのを理解しなきゃダメなんですよ。いい加減。これまでの活動を根こそぎすべて変えていくくらいの必要はありますよ。

当時はそんなこと考えてもいなかったんですけど、結局のところ、僕にとっては2012年ロンドン五輪が最後の五輪になりました。あのレースではスタートから逃げて、銅メダル争いに加わって、22位でフィニッシュしたんですよ。当時は、ああ、ミスったな、もう少しだけ、もう少しだけ上に行けたかもしれなかったのになぁ……って悔しかったんですが、今振り返ってみると、決して悪くない結果だった。俺もがんばってたんだな、なんて(笑)。五輪自転車競技がプロ・アマオープンになって以来、日本男子史上では最高成績ですから。

でも、そこから、僕を含めて誰もそれを上回れなかったし、誰も新しい選手が育ってこなかった。僕と(新城)幸也が2009年にツール・ド・フランスに初めて出た時に、自転車メディアでは「初めて月に降り立った」みたいな表現が使われたんですよね。つまりは「これが始まり」だと誰もが信じていたんです。でも、結局は、なにも始まらなかった……。もちろん僕も幸也もその後もこうして世界のトップチームで走り続けてきましたし、幸也は本当に素晴らしい偉大なる選手だけど、でも、永遠にそのポテンシャルを保ち続けられるわけじゃないんですよ。絶対にいつか終わりがやって来る。いつかは世代交代しなければならない。

でも、いつまでも、十分な支援体制は整わなかった。どこか他力本願で、「彼らが頑張っているから、そのまま頑張ってもらいましょう」的なスタンスのままきてしまった。もっと国として色々と出来たんじゃないか、って本気で思うんですよ。今回のオリンピックを一区切りとして考えた時に、改めてそう感じたんです。

たとえば先ほど言ったコースの作り方だって、変えていくべきですよね。メカやマッサーなら世界トップレベルのチームで働いてきた日本人が何人もいますけど、たとえばコーチやトレーナーはほぼいない。進んで欧州の指導法を研究したいという人もいなければ、組織として予算を割いて、欧州に人員を送り込むこともしてこなかった。やっていることは何十年間も同じ。なにも変わっていない。「維持」してきたと思ってる人もいるかもしれないけれど、それって他の国と比べたらどんどん遅れて行っているだけなんです。

若い選手たちの育成についても、今までのようなやり方じゃもう通用しません。そもそもまったく結果がついてきてないですし、もはや僕や幸也のアンダーの頃のレベルとはかなり違うんですよ。世界で戦おうと思ったら、今やアンダーからじゃもう間に合わない。ジュニア世代から徹底的にやっていかなければならないんです。時代はもはやそういうところまできちゃってるんですよ。

津田(悠義)君はちょうど年齢的に良いタイミングで欧州に来たな、という感じです。そうそう、この間、Ag2rの下部組織のチームとすれ違ったんです。津田君いるかな~と見てみたら、アンダー23ではなく、さらに下のアンダー19のチームでした。で、そのAg2rの隣に、見たことないジャージの選手たちがいたんで、聞いてみたら彼らなんと、Ag2rがサポートしているコロンビアのジュニアチームでした。びっくりしましたね。え?彼ら全員コロンビア人で、しかもジュニアなの?って。もはやアンダーからではなく、ジュニアから青田買いする時代なんですよ。ああ、もうこりゃダメだ、日本はもっと真剣に考え直さないと、ジュニアからしっかり立て直してやっていかなきゃ間に合わないんだ、と悟りましたね。

コロンビアジュニアチームは、きっと夏休みの時期を利用しての欧州レース転戦だったと思うんですけど、強くなりたいなら、日本もそういう組織的な取り組みは絶対に必要になってきます。ジュニアという、まだ海外選手とそこまでレベルの差のついていない時期に、本場を見せてあげたらもっともっと可能性が広がっていくんじゃないかな。早い段階で現実を知ることで、この世界にすべてを懸けようっていう覚悟を抱けるし、具体的に進むべき道や選択肢を色々と探ることもできる。それに、たとえその選手がプロの道を選ばなくても、たとえプロになれなくても、若い時期にたくさん経験を積ませてあげるのは有意義なこと。ちゃんとした組織が、責任を持って、行うべき活動のひとつです。

 

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読者の方々から感想をいただきました。ありがとうございます。すごく頷ける意見が書かれてありましたので、せっかくなので皆さんにも読んでもらいたいと思い、ここで一部紹介させていただきます。

クマの肉球さん
「私は休日はほぼ夫と二人で行動、自転車に乗るのも車に積んで人のいないコースを選んで走ります。
やはりネックウォーマーは必須ですね。人が来たら口元を覆って通り過ぎたらずらす。
ひとりひとりの心がけで、コロナが収束に向かい、ロードレースも不安なく開催されるようになることを祈ります」

石坂さん
「毎日、自転車通勤してますが、安全意識やマナーは、まだまだと感じてます。自分達、大人がお手本を示さないと思ってます。また、自転車の交通ルールを知る機会が少ないからとも思います。
道路も峠道に縦溝が掘ってあったり、ワザと波状の形状作ったり、キャットアイなんかも二輪車からすると、怪我に繋がると思います。
ツールド九州が実現して自転車、コースの土地認知度が高まって、サイクリストに優しい環境になる事を願ってます」

お二人がおっしゃることは、まさしくその通りです。個人個人が安全意識、感染対策意識を持ち、将来に向けて希望を抱くことで、この先も自転車や自転車競技が普及していくのだと思います。クマの肉球さん、石坂さん、素晴らしいメッセージをありがとうございました!

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久しぶりにレースを走って、感触を取り戻した勢いで、いよいよシーズン後半に向かいます。ツール・ド・ポローニュ(8月9日~15日)、ユーロアイズ・サイクラシックス・ハンブルグ(8月22日)、そしてベネルクス・ツアー(8月30日~9月5日)と、ワールドツアー大会へ3つ続けて出場する予定です。調子もやる気も高まって来てますし、ようやく皆さんに走っている姿を連日お見せできるのが嬉しい。僕自身も楽しみにしてます!

それでは、また。

別府史之

 

 

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(宮本あさか)