安井行生のロードバイク徹底評論第12回 スペシャライズド・ヴェンジ vol.3

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安井行生のロードバイク徹底評論第12回 スペシャライズド・ヴェンジ vol.3

2015年、エアロロード戦争という名の集団から飛び出して一人逃げを打った先代マドン。集団も負けじとスピードを上げ、やっとこさマドンの背中が見えてきたと思ったら、集団内で牙を磨いていた新型ヴェンジが入れ替わるように飛び出した。この強烈なカウンターアタック。しばらく続くであろうこの鮮やかな単独エスケープ。それにまつわる現代エアロロード論。

vol.1はこちら

カムテール登場

各チューブを翼断面化してロードバイクに空力性能向上設計を盛り込んだいわゆる現代エアロロードの始祖は2005年のサーヴェロ・ソロイストカーボン(もしくは2008年の同・S3)だが、その後すぐ(2010年)に革命が訪れる。カムテール形状の一大ブームである。

先述のとおり空力的には最高な翼断面、しかし自転車にとっては不都合なことがいくつもある。前後に長いため、縦に硬く、横方向には弱くなる。ガキの頃使っていたあのプラスチックの定規を思い出していただきたい。縦にはほとんどしならないが、横にはビヨンビヨンである。それを自転車のフレームに使うと、踏むとフニャフニャで乗り心地はガチガチ、ということになる。それじゃダメダメだ。
そのうえチューブの表面積が大きくなるので、それだけ素材が多く必要になり、重くなる。もちろん横風の影響も受けやすくなる。
それだけではない。翼断面は真正面からの風に対しては非常に優れた空気抵抗値を示すが、少しでも風に角度が付くととたんに抵抗が増えてしまう。vol.1でも書いたが、走行中の自転車は5~10度の横風を受けることが多い。ということは、実走行で翼断面は理論ほどの利得はないことになる。
 
翼断面は確かに空気抵抗は少ないが、ロードバイクのフレームを構成するチューブとしての性能は最悪なのだ。生産技術的なデメリット(積層が難しい、高弾性糸を使いにくい、成形時に末端までキレイに加圧しづらいなど)も多いだろう。
 
ここで颯爽と登場するのがカムテール形状である。翼断面の後端の尖った部分をスパッと切り落としたような断面形状のことで、2010年にデビューしたスコット・フォイルが全身にこれを採用していた。
カムテール形状の物体を気流中に置くと、翼断面のように最後まで気流が乱れずに綺麗に流れてくれる。切り落とした部分は三角形の負圧エリアとなるのだが、上下から合流する気流が低圧部を三角形のエリアに閉じ込めるような役割を担うため、低圧部分が小さくて済むのだ(この三角形の低圧エリアを仮想テールと言う→図②)。
もちろん、負圧エリアができるということは圧力抵抗が発生するということであり、実際カムテールは翼断面より空気抵抗がわずかに大きいのだが、他の形状に比べると翼断面に近い空力性能を持つ。

安井行生のロードバイク徹底評論第12回 スペシャライズド・ヴェンジ vol.3

図②
翼断面(下)は周りの気流が乱れず、低圧部もない。だから空気抵抗が非常に小さい。カムテール(中)は翼断面同様、気流の乱れは少ないが、低圧部(仮想テール部)があるため、翼断面よりわずかに空力性能は劣る。円柱(上)は後半部分で気流が大きく乱れ、後方が全て低圧部になるため空気抵抗が非常に大きい。

そんなカムテール形状が自転車業界でいきなり流行り始めた理由は、剛性や快適性や軽さを犠牲にすることなく空力性能を高めようとすると、カムテール形状が自転車にとって非常に都合がいいことに誰かが気付いたからである。カムテールならば翼断面ほど前後に長くないので、剛性、柔軟性、軽量性がさほど犠牲にならない。横風に対しても強い。
今、自転車界でカムテールが多用されるのは、物理的に考えれば至極当然のことなのだ。

絵に描いた餅に非ず

シュツットガルト工科大学のウニバル・カム博士が風洞を使ってカムテール理論を打ち立てたのは1930年代のこと。自動車には早い段階から取り入れられていたのだが、なぜ自転車は今の今までカムテールを使ってこなかったのだろう?
「自転車の空気抵抗の7~9割を占めるのは人間(速度域や機材や体型やフォームによって変わる)であり、機材をエアロ化しても利得は少ない」という理由かもしれない。スチールの時代に比べてフレームが太くなり、車体の空気抵抗が無視できなくなったという事情もあるだろう。解析技術の進化によって自転車業界がやっとカムテールの実力に気付いたという理由もあるはずだ(CFDが急激に進化したのは2000年代のことだ)。剛性追求と軽量化が一段落したため売り上げ確保には新たな商品力が必要だった、というビジネス上の都合でもあるだろう。
 
ともかく、現在のエアロロードはほぼカムテール一色である。“空力性能において翼断面はカムテールに勝る”という理路に従ったもの(先代ヴェンジやルック・795など、カムテールではなく翼断面を多用したモデル)もわずかながら残っていたが、やはり剛性面や重量面での欠点が無視できなかったのだろう、徐々に姿を消しつつある。
 
自転車にとっていいことずくめに思えるそんなカムテール、実際のところはどうなのか。
結論から言うと、効果は間違いなくある。「空気抵抗の大半は人間起因」という理論以上の効果を感じるのだ。初代フォイルは、あぁ言われてみれば確かにちょっと速いかも、というレベルだったが、ドグマF8とドグマ65.1を同条件で比較したときは、明らかにF8が平地で伸びた。
本気でエアロロードヤバいと思ったのは旧型マドンに乗ったときだ。もうどう考えても速かった。サイクルスポーツ誌2017年2月号で行った室内バンク実走試験でも、その効果は明白だった(エモンダ比で40km/h走行時に必要パワー13ワット減。気温、ライダー、ウエア、パーツ、ポジションなどの条件は一定)。速いだけでなく乗り味もよかった。
エアロロード流行前夜には、「フレームだけをエアロにしてもたかが知れてんだろ」と懐疑的だったのだが、実際に乗ってみるとその効果を認めざるを得なかった。
 
エンジニアリングにおいて理論と実現象は一致しないことも多いが、カムテール形状は「剛性や乗り心地をさほど犠牲にせずに空力性能を向上させることができる」という理論をそのまま路上で実演する。これは決して絵に描いた餅ではないのだ。

安井行生のロードバイク徹底評論第12回 スペシャライズド・ヴェンジ vol.4に続く