女子オムニアムで日本初アルカンシェル獲得 梶原悠未、夢の東京五輪金メダルへ弾み

目次

梶原悠未は女子オムニアムでの日本史上初、アルカンシェルを獲得した。
 
誰よりも何よりも負けるのが嫌いで自分自身に厳しい彼女は、まさに”努力の天才”。辛いときも強い気持ちを持って前を見続けた。前進を怠らなかった。今までの悔しい思いや確実に積み重ねてきた努力は必ず報われるということ、彼女は世界一を決める戦いの舞台でそれを証明してくれた。
 

虹色をかけた世界最高の戦い

 
2月26日からドイツ・ベルリンで行われているトラック世界選手権。ワールドカップシーズンを終えた集大成として、かつ東京オリンピックを目前に控えた今時期に各国が”一番強い”状態で準備をしてくる。日本ナショナルチームとしても万全の態勢で臨んだが、大会初日から、ワールドカップからさらに一段階引き上げられた各国代表選手の仕上がりを前に苦戦を強いられていた。ベルリンのバンクは記録が出やすいとのことで、さまざまな種目で世界記録も生まれていた。
 
競技日程3日目の2月28日、女子オムニアムが行われた。オムニアムという競技は、スクラッチ、テンポ、エリミネーション、そしてポイントレースの全4種目の総合獲得ポイントで競われる。
梶原はこの競技で2019-20シーズンのワールドカップにて、二つの金メダルを獲得しており、すでに他の国にマークされる存在として実力を発揮してきていた。

第1種目:スクラッチ

序盤から中盤にかけては順繰りと先頭交代をしながら、大きな集団は周回数を重ねる。そのうち単独でのアタックなどが頻発したが、全て吸収。スクラッチでは、ロードレースと同じように最終順位によってポイントが配分されるため、最終周回に向けて位置取り争いが激化していく。ラスト1周の時点で後方に位置した選手たちが接触し、5人の落車が発生。先頭を争っていた梶原は巻き込まれることなくスプリント。第1種目を首位でフィニッシュした。
 
 

第2種目:テンポレース

攻めの走りで6回のポイント周回をトップ通過して着実にポイントを稼ぎつつ、集団をラップすることに成功。これにより20ポイントの大量得点を獲得し、テンポレースを2位で通過。総合ポイントではスクラッチに引き続き首位をキープした。
 
 

第3種目:エリミネーション

オムニアムで梶原がもっとも得意とする種目。なぜならエリミネーションという種目の分析を、所属する筑波大での卒業研究のテーマにしており、それだけ戦い方、パターンを熟知している。見ていても安心できるような位置取りでレースは終盤に突入。しかし、残り6人のところでオーストラリアの選手と接触し、梶原は落車し、左腕を負傷してしまう。すぐにスタッフが駆けつけ、レースがニュートラルになったところで体とバイクの状態を確認。再スタートが切られた。
 
 
ここで梶原の集中が切れてしまうことが危惧された。レースは水物だ。ほんの些細なことで、どんなに実力があっても歯車が噛み合わなくなってしまうことなんていくらでも起こりえる。だが、レースに復帰してからの梶原の表情は、転ぶ前とまったく変わらない集中力を保ったままのように見えた。その後、梶原は残り3人のところでエリミネートされたが、その時点で2位以下と20ポイントの差をつけて総合首位を保った
 
落車の影響は少なからずあった。最終種目、ポイントレースを残し、「10段階で言うと8」というほどの痛みを抱えながら、アイシングとテーピングを施した。だけれども梶原は、残された最後の戦いに目を背ける理由なんて一つも持たなかった。
「最初の3種目を全て上位でまとめることができたことによって、2位以下の選手たちに対してすごく大きなアドバンテージを持ってスタートすることができたので、そこはすごく自信にもなりましたし、落ち着いてレースをすれば勝てるっていう確信がありました」と、梶原は自信を持ってバンクへ向かった。
 
 

第4種目:ポイントレース

 
最後のスタートラインに並ぶ梶原にクレイグ・グリフィンコーチは、「とにかくパニックにならないように。冷静に。ちゃんと自分がリードを持っているんだからこのままいけば大丈夫だ」と声をかけた。
レースがスタートすると、2位にさらに差をつけるべく、梶原は初回のポイント周回からポイントを獲得しに行く。そして、2位のイタリアを徹底的にマークした。クレイグコーチからは、「特に前半を注意しろ」とのアドバイスを受けていたが、梶原は終始イタリアを視界から逃すことはなかった。危なげなく周回数を重ねていき、全て完璧にチェックに回った。
 
 

5人の逃げグループ。後ろの電光掲示板には梶原が1位であることが表示されている

 
残り10周を切った時点でイタリアを含む4人が集団から抜け出すと、それにも食らいついた。梶原を含む5人の逃げグループとなったが、その時点での上位選手が集まり、一つでも順位を上げようとしたために動きが荒かった。梶原は、電光掲示板でポイント差を確認し、抜かれることはないだろうと判断。残り5周の時点で安全策を取るべく集団に戻った。逃げグループがそのまま先着し、ポイントレースの最終スプリントの頭を取ったのはイタリアだった。メイン集団で19人目にフィニッシュラインを切った梶原は、2位のイタリアに12ポイントの差をつけた状態で優勝を確定させ観客席の最前列で声援を送っていた母のもとへとまっすぐ向かった。涙ではない、満開の笑顔で抱き合った。
 

優勝し、観客席にいる母の有里さんと固く抱き合った

 

悔しさの昇華

日の丸を持ってウイニングラン

 
幼い頃から抱く梶原の夢は、オリンピックでの金メダル。夢へのステップを刻むために常に目標を更新し続け、今いる自分の立ち位置を確認し、自身でスケジューリングをしてメニューを組んで、トレーニングを積み重ねてきた。
彼女は、アルカンシェルに対しても大きな思いを持っていた。ジュニアの世界選手権でにアルカンシェルを目前にして逃したことがあったからだ。
 
「ずっとあと一歩あと一歩っていうところで逃してきたので、もうあと一歩では逃したくない。あと一歩抜け出して勝てるようになりたいです」
 
挫折を感じるほどの悔しさはさらに高い目標へと昇華した。
 
「そこで立ち直れたのは、エリートの世界選手権で絶対にアルカンシェルを着るっていう目標が新たに立てられたからまたエリートでも挑戦し続けることができました。その目標はオリンピックで金メダルっていう目標と同時に絶対叶えたい目標ですね」
 
こう梶原は今大会の前に話していた。まさにあと一歩抜け出しての勝ちを見せてくれた。
念願のアルカンシェルの着心地を聞くと、キリッとした表情から一瞬、フニャッと柔らかい笑顔を見せた。そして強い光を灯したその目はさらに先を見つめる。
 
「ジュニアで銀メダルで終わったときに、絶対にエリートで金メダル、アルカンシェル着たいっていう思いでトレーニングに励んできたので、次はこのアルカンシェルを守り続けられるようにまたトレーニングを頑張りたいと思います」
 
夢への到達まであと少し。彼女なら、彼女の気持ちの強さなら絶対に実現できる。そう思うのだ。
 

メダルを手にした梶原と、日本代表スタッフたち

梶原 悠未(かじはら ゆうみ)プロフィール:
JCF登録:茨城県
所属:筑波大学
生年月日:1997年4月10日  155㎝/53㎏
出身校:筑波大学附属坂戸高等学校(埼玉県)→筑波大学
梶原 悠未Twitter

 

女子オムニアム最終成績:
優勝 梶原 悠未(日本)
2位 PATERNOSTER Letizia(イタリア)
3位 PIKULIK Daria(ポーランド)