猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第45回
目次
ラスボスの鶴峠。こいつをやっつければ長かった四国一周が終わる……
坂バカ俳優、猪野学(いの まなぶ)。NHK BS1の番組「チャリダー★」で活躍する姿は、多くのサイクリストが知るところだ。Cyclist(サイクリスト)で連載中だった「猪野学の坂バカ奮闘記」が、サイト閉鎖にともないサイクルスポーツへお引越し。さらなる活躍をレポートしていく。今回は、ブルベ「BRM1012徳島1000km」の参戦記最終日だ。(編集部)
前回のお話(BRM1012徳島1000km 3日目)はこちら

最終日のご褒美
四国1000kmもいよいよ最終日を迎えた。完走する人、できない人、泣いても笑っても今日、制限時間がやってくる。深夜2時にホテルを出発し50km先のPC11の室戸岬を目指す。漕ぎ始めてすぐにあることに気付く。昨日まで痛かった坐骨神経の痛みがまったくなくなっている。そして体が軽い……ここまで800km走ってきて疲労がまったくない。そう! 黒潮温泉 龍馬の湯の効能なのだ! 世の中にはさまざまな温泉があるが、とんでもない治癒力を備えたものが存在する。私が知る限りでは群馬県の法師温泉と三重県の湯の山温泉はとてもパワーがある。今回、新たに黒潮温泉 龍馬の湯が加わった訳ぜよ!! 最終日にして龍馬の力を借りて待望のフィニッシュ地点へと快調にペダルを回す。
深夜なだけあって車はほとんど走っておらず、おまけに追い風で楽に時速35km巡行ができる。これはあっという間に室戸岬へ着いてしまうぞ!と走っているとまた脳裏に「右側を見てみろ」とよぎった。ふと右を見ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
見事な満月の月光が太平洋をキラキラと輝かせ、これまで走ってきた高知県の海岸線が遠く足摺岬の方までクッキリ見えるのだ。
私は思わず脚を止めて呆然としてしまった。
とんでもないご褒美だ……この景色を見ただけで四国1000kmを走った価値があったというものだ。人生の大半は凡庸だが時に信じられないことが起こる。
室戸岬での再会と仲間の奮闘
866km地点のPC11室戸岬に着いたのは夜明け前だった。ここでロングライド女子部を待つ。
90分ぐらい待っただろうか、伏見さんと綾乃さんがやって来た。しかし監督との再会のリアクションは薄く、淡々とPC到着の連絡をスマホで送信している。
すると楓さんもやって来た。人一倍キツいことが嫌いだった楓さんが800kmをこいできた……自転車には人を変える力がある。
4人そろったので次のPCまでの海岸線を一緒に走ることになった。スタートしてすぐに綾乃さんに睡魔が襲う。伏見さんと楓さんには先に行ってもらい、私は綾乃さんの道端仮眠を見守ることにした。
15分くらい経つと突然むくりと起き上がり自転車にまたがり走り出した。聞くとこの道端仮眠を何度も何度も繰り返しここまでたどり着いたそうだ。改めて完走への強い意志を感じる。これは何としてでも皆で完走しなければならないと身が引き締まる。しばらく走ると前を行く2人に追いついた。
最後のPCまでまだ100kmある。そこへ14時までに着かないと完走は厳しい。ここで楓さんが遅れ始めた……全身が痛いらしい。私は痛み止めを与え楓さんの荷物を持ち軽量化に協力する。気持ちが焦るがいっこうに上がらない楓さんのペース。全員共倒れになってしまっては意味がないので、心苦しいが楓さんを置いて3人で先を急ぐことにした。
すると今度は綾乃さんが暑さで具合が悪くなってしまった。幸いコンビニがあったので氷で体を冷やす。
浪費する時間。私はこのときかなり焦っていた。次のPCまでは長い上りがあるからだ。上りで失速するとさらに時間を浪費する……。
これまでの苦労が水の泡になってはいけない!! 「せめて伏見さんだけでも完走してくれ!」急に感情的になった私は、まるで今生の別れのように涙を流し伏見さんに先に行ってもらった。龍馬の湯で体は治ったが……感情は壊れたままのようだ。
体を冷やした綾乃さんと再スタートする。すると最後の長いヒルクライムが始まった。しかしここにきて綾乃さんが踏めるようになってきた。ブルベには波がある。1000kmとなると、その波を何度も何度も越える。たまたま良い波になったのか……完走への強い意志が良い波を引き寄せたのか分からないが、綾乃さんはあっという間にヒルクライムを終えると下りで伏見さんに追いついた。さっきの涙ながらの今生の別れは何だったのか? 激しく恥ずかしい。
四国1000kmを完走して
下りを終えると957km地点、最後のPC12道の駅もみじ川温泉にたどり着いた。時間は12時。完走するには充分な時間がある。
休憩していると何と楓さんも到着した。楓さんにも良い波が来たのだろう。彼女達はこの後、四国1000km完走を果たした。「ロングライド女子部」を発足してわずか2年の快挙であった。
残りは50km……私は一人、ゴールへと向かうことにした。最後に難所の鶴峠があったが、しっかり休んでいる私には大した峠ではなかった。最後は下り基調で徳島の市街地へ。そして14時24分、73時間24分で四国1000Kmをやっつけた!
不思議と達成感はなかった……ここまで来るのに何度も達成感を得てきたからだろう。もう充分過ぎるほど絶望と歓喜を味わった。
最初の2日間のスピードブルベはかなり苦しかった……あのまま休まずに走り続けていたら60時間は切れただろう。しかしのんびり走った後半の2日間の方が得るものが多かった。先を急ぐも……ゆっくり歩むも……ペース配分を決めるのは己自身だ。
これから先は、どんなペースで生きていくのだろうか? 四国1000kmでブルベの企画はひとまず終了となる。今、振り返っても最もキツい企画であった……。吐き気、睡魔、豪雨、雷。人はなぜブルベを走るのだろうか……四国1000kmから半年経った今だから思える。挑戦する価値は大いにあると。














