猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第22回

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猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第22回

福島県境に喜ぶ筆者。超長距離では些細な事がとにかく嬉しい。

ブルベ300kmへの挑戦も後半へと差し掛かったところで、ついに私のサイコンが牙を剥く。止まらない謎の警告音!いったい何を警告しているのだろうか?

前半までの模様はこちら

私には、近頃話題になっているAIの人類への介入を警告しているように響く……。なぜならAIの介入は声優の私にとって他人事ではないからだ。

AIが私の声で勝手に演技をしてしまう事が現実となってきているのだ。現にアメリカの作品の契約書には「AIとしての使用を許可しますか?」という文言がある。

AIが人間の雇用を奪う。こんな馬鹿馬鹿しい話があるだろうか!?えぇい忌々しい!!様々な想いを込めて私はサイコンの電源をOFFにした。

そう……サイコンはAIではない。ただのコンピュータだ。訪れる静寂……私は後方のロングライド女子部の2人にサイコン生きてる?と聞き、ナビゲーションを2人に託した。

猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第22回

福島山中の自販機で給水する女子部。多喜氏は綾乃氏を気遣いしっかり休憩を取る心優しき走り屋だ。

 

しばらく走ると急に冷え込んで来た。福島県に入ったのだ。福島は4月後半というのに桜が満開だ。桜を愛でながらヒルクライム!悪くない。

そしていよいよ180km地点のPC3にたどり着いた。時刻は17時。ここで撮影スタッフがガラッと入れ替わる。労働基準法だろうか?「お疲れさまでした」と「おはようございます」の挨拶が飛び交う。

ブルベ参加者に労働基準法は適用されない。みんな己の意思で冒険を楽しんでいるのだ。

ここでしっかりめの夕食を取る。寒いのでコンビニの喜多方ラーメンを食す。疲れた内臓に汁物は有難い。

食事の最中に日没を迎え気温は一桁台まで下がる。

寒い!!

慌てて真冬の装備を出す。

もし冬物の装備が無かったらと考えると恐ろしい。改めてブルベは準備が大事なのだと痛感する。
長指のグローブにニットキャップを着用。なのにまだ寒い。完全に福島を舐めていた。急遽コンビニで貼るカイロを購入し、足の爪先とグローブの内側に貼り再スタート!!

ブルベは人生に似たり

ここからは復路になる。
待ちに待った下り坂だ!坂バカ俳優とは思えない発言だが、180km上り基調だったので、もう坂はお腹いっぱいだ。

福島の内陸から海岸線のいわきに向けて長いダウンヒル!!長い下りの途中で、ロングライド女子部の綾乃氏が人生最長距離200kmに到達した。
ここからは未知の世界を一漕ぎ一漕ぎ刻んで行く……。

考えてみたら我々は人生最長生存時間を日々更新しているではないか。人生自体がまさに超長距離の世界。

私の人生は下りに差し掛かったのか?
それともこれから激坂が待っているのか?

長く退屈な下りは先行き不安な人生について考察させる。

50kmは下っただろう……ようやく海岸線にたどり着いた!ここからはド平坦!しかも追い風! あっという間にゴールできると思われた。
しかし我々に試練が襲う。そう!200kmの壁だ!

200kmを越えると体のどこかが痛み出す。私も坐骨神経に違和感を覚え出した。
下手なペダリングをすると激痛が走るので恐る恐る回す。

追い風なのに時速が30km出せない。距離がなかなか消化出来ずメンタルも疲れ出す。

残り100km……我々はいよいよつらい領域へと入った。
そう!超長距離名物!限界越えだ!

苦しい、つらい「いったい何のために?」という永遠の問いが天から降りて来る。
まるで巡礼者だ……。

綾乃氏が遅れ始め時速は20kmまで落ちる。しかし綾乃氏の表情には「完走」への強い意思が見てとれる。

必ず完走させる!!

彼女のペースに合わせ粛々と時を重ねる。

そして遂に250km地点の最後のPCに辿り着いた。あと50km……。時速20kmで漕いだら10km、30分かかる計算だ。
50km走るのに2時間ちょっとかかる。

完走のために、ただひたすらそのために。最後のスタートを切った。

既に限界は越えている。
限界は越えてなんぼだ!
私はエベレスティングでそれを学んだ。

限界を越えるたびに獲得できるのが、頭のネジの外し方だ。

「ネジは外したもん勝ち」

猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第22回

限界を越えて……ネジが外れた筆者。

 

ネジが外れた我々はひたちなか市に入った。茨城県の海岸線は何故か原子力関係の建物が多い。
東京大学原子力研究所や日立臨海発電所。鹿島火力発電所。
まるで宇宙基地の様で壮大だ。初めて見る景色が唯一心を躍らせてくれる。

発電地帯を抜けると漆黒の太平洋だけになった。
それを照らすのは、ライトの灯りと己だけ。
非日常だ……己と向き合い続けた16時間。何度も限界を越えてようやくスタート地点の大洗海岸へと帰ってきた。

目標地点で見えたもの

ゴール。
長距離特有のじんわりと滲み出す達成感。
そこには感動の涙はなく、ただただ安堵と脱力感だけがあった。

AJ千葉の皆様が暖かく迎え入れてくれて、ブルベカードに完走のサインとメダルを貰う。
正式に300km走ったと認定されたわけだ。

しかし我々はまだ超長距離の入り口に立っただけだろう。
1200〜4000kmともっと恐ろしい限界の世界が世の中には存在する。

「いったい何のために?」何本のネジを外せばその答えは得られるのだろうか。

 

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どんな形であれ自己ベストは嬉しいものだ。

 

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