猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第16回

猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第16回_2

君ケ野ダムにて記念撮影。

2023年がやって来た。
今年も日本国の三重県では貧脚の三兄弟がお正月ライドを企てようとしていた。強力なオーガナイザーに自転車ライターの浅野真則氏が今年も手を上げてくれた。しかし、昨年と同じではいささか寂しいではないか。

そこで駆けつけてくれたのはピークス・コーチング・グループの中田尚志氏である。私のコーチングを担当してくれたのは、チャリダー☆をご覧になっていただいた読者なら先刻承知のことと思う。

というのも昨年の乗鞍のフィニッシュ後、畳平で浅野氏と中田コーチは面識がある事を知り、ならばと正月に5人が集ったのはとても自然な流れである。どこでつながるか分からないのが自転車業界だ。

猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第16回

スタート地点。右から2番目の三男は虎視眈々と優勝を狙っている。

 

今年は昨年の極寒とは違い穏やかに晴れ渡っている。

津インター近くのサオリーナ(吉田沙織から来ている)というスポーツ施設に集合し美しい景色で有名な美杉方面へと向かう。

一番脚がある浅野さんが先頭をひく。私は初めて一緒に走る中田コーチと談笑しながら走る。昨年のトレーニングの事やSDA王滝で入賞した事を話しているウチに1980年代の自転車競技の話になった。

当時、世界の自転車レースを支えていたのは日本の技術らしい。もちろん今でも日本の技術は最先端の信頼を得ているが、昔からそうだったのだ。しかし選手は世界に通用する人は居なかった。だから新城幸也選手や別府史之選手が出てきた時は夢のような話だったと。

そして当時はレースを観るのも1年に1回しかテレビでの放送がなく。それを録画しては1年中テープが擦り切れるまで観たらしい。

今では有料チャンネルでライブでレースを観戦できるのが当たり前の時代だ。自転車の世界もかなり進化してきているのだと感慨深くなる。

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車が少ない道を美杉村へと向かう。

 

そうこうしていると雲出川沿いの桜の名所が現れる。浅野氏は地元の人間も知らない素敵なサイクリングコースを網羅する。

信号も車もなく本当に走りやすい道だ。そして景色が日本の原風景のよう。昔話の世界へ迷い込んだみたいで何とも楽しい。

ここまで穏やかだったライドも青山高原からの吹き下ろす激しい向かい風で様子がおかしくなってくる。
三重県の冬は北西の風がほぼ毎日と言っていいほど強く吹く。したがって往路は向かい風で強度が高くなるのだ。

ここで私の悪い癖が出る。
私は少し心拍が上がると最大まで上げないと気が済まなくなる変な癖がある。
坂バカと言われる所以だ。集団の前に出るとそのまま強度を上げる。
するとすかさず中田コーチが「ペース速ないっすか?」といさなめる。
私はいかんいかんとペースを緩めた。

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一年振りの兄弟ライド。共通の趣味が有るのは有難い事だ。(撮影:中田コーチ)

 

穏やかさを取り戻した集団は写真が映える絶景ポイントで撮影大会。
あくまでも今回は楽しいライドなようだ……と誰もが思った。

美杉村に入るとゴールの君が野ダムが現れた。
ダムに坂はつきものだ。

上りが始まると均衡が崩れるのはツール・ド・フランスでも三重ライドでも同じだ。

最初に仕掛けたのが三男だ!
私は昨年のライド後に「あと10kg痩せたら俺と同じくらいになるで!」
と随分上から目線で言ったらしい。

よほど頭にきたのか、弟は見事10kgのダイエットに成功し新車も購入した。
誰よりもモチベーションが高い三男の強烈なアタックだ!
私どころか浅野氏や中田コーチまで一気に仕留め手柄を上げる魂胆だ!

今までずっと先頭を引いてくれていた浅野さんを無視した御法度なアタックに、一瞬誰も反応できなかった。
誰も追わない空白の時間ができる。
ここで最初に動いたのが浅野さんだ!

昨年サッカーW杯のドイツ戦で逆転ゴールを決めた浅野選手も三重県出身。
そう!浅野大明神のアタック潰しだ!
恐らく7倍は出ているであろう猛烈なダンシングであっという間に三男を捕えダム頂上へと消え去った。

続いて私も三男を捕まえにかかる。
すると中田コーチが高いケイデンスでカッ飛んで行った。
坂での高ケイデンスは難しい。さすがのスキルだ!

猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第16回

君ケ野ダムからの絶景。

 

何とか三男に追い付くも10kg痩せた男は速い。
捕まえる前にダムの頂上に着いてしまい敗北した。

しかし弟の成長は嬉しいものだ。
聞くと10分だけなら320W出せるらしい。
一年で見事な成長だ。
しかしFTPは3.8倍。
私が4.2倍なので坂ではまだ良い勝負だろう。

みんなでダムで記念撮影して帰路に着く。
帰路は見事な追い風だ。

追い風になると今まで無口だった長男が急に饒舌になり始めた。
往路は付いて行くだけで必死だったようだ。そう追い風は人を饒舌にさせるのだ。
長男「昨年は早々に千切れたけど……今年は調子えぇわぁ〜」
それは追い風だからだ。

しばらく走ると前方に見事な虹が現れた。

私「こりゃ新年早々縁起がえぇなぁ〜」

三男「アルカンシェルやなぁ!」

長男「今年は世界チャンピオンやで!」

と愚かな三重弁が飛び交う。
追い風は人を前向きにさせるのだ。

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追い風の前に現れた見事な虹。今年はどんな年になるのだろうか。今年も何卒よろしくお願いします。

 

ゴール直前に中田コーチが
「皆が全員楽しく終われるって自転車ならではで良いですよね」と仰った。

私は向かい風の時に強度を上げようとした自分を恥じた。
誰も千切らない大人なライドで、新年にふさわしい素晴らしいライドとなったのであった。

今年はどんなライドが待っているのだろうか…
あの見事な虹のような輝かしい成績をおさめる事はできるのだろうか?
期待するとロクな事がないので、
今年もただ粛々とペダルを回すのである。

猪野 学 公式Twitter