猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第8回

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猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第8回

どれだけ走っても一本道が続くスケールの大きさ。インターバルにもって来いだ

ご褒美ロケをやるよ!と、ある日チャリダーの番組スタッフが言って来た。
ご褒美……あまりチャリダーには馴染みの無い言葉だ。
今年50歳を迎える私は、どうやら自転車との向き合い方を変えなければいけないようだ。
悩み多きアラフィフに向けたロケをやるらしい。

 

北の大地に抱かれて

猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第8回

マイナス30度近くなる凍てつく名寄

 

向かったのは北の大地、北海道の名寄。

昔、サスペンスドラマで殺し屋を演じた時に根室に行った事がある。
殺し屋なのに何故か殺され、根室の浜辺に打ち上げられるシーンを撮影した。
死体メイクをして控室で待っていると、某大御所女優に「あんた顔色悪いわね!シャキッとしない!」と怒られた。
気を取り直して撮影に挑むと、寒さで震えが止まらず「てめぇ!死体のくせに震えてんじゃねぇ!」と監督に怒鳴られた。死体だって生きている。
これは立派な死体に対するパワハラだ。

という訳で北海道にはあまり良い印象がなかった。

旭川空港に降り立つと一面の銀世界。
そこから更に北へ車で2時間。名寄に到着すると空気が一変する。
名寄は北海道でもかなり北の方にあり寒さのレベルが一味違う。
「凍てつく」という言葉がしっくり来る厳寒の土地だ。
雪に囲まれているのにカラッと乾燥している。全てが凍っているのだ。

 

まずはご褒美

合宿といえば早々に自転車に乗り、猛者に引きずり回されるのが通例だが。
今回はいきなり風呂に入る。
しかも北海道の大地を眺めながら入る即席露天風呂だ!
北海道のコーディネーターのOさんが作ってくれた。
このOさん何でも即席で作ってしまう天才なのだ。プロパンガスを持参し風呂を沸かす。ちょっと熱めのお湯だが名寄にはちょうど良い。
これ以上の絶景露天風呂に入る事は恐らくこの先無いだろう。

猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第8回

即席露天風呂に浸かる筆者

 

風呂に入ると今度は体をほぐす!
私は体へのケアを怠ってきた。
しなくても何とかなっていたからだ。
しかし、体の「柔軟性」は、パフォーマンスに直結するのだ。
大腿四頭筋やふくらはぎの下半身の筋膜リリースはもちろんだが、大事なのは姿勢に伴う上半身だ。
特に胸椎 胸郭 肩甲骨は呼吸にモロに影響する。

猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第8回

背中の下に敷いて寝るだけで胸椎の柔軟性を取り戻せるトリガーポイント。
自転車競技は背中が大事….らしい

 

私はこれまでプロに会う度に「どうしたら速くなれますか?」と愚かな質問を繰り返して来た。しかし皆さんその質問をすると何故か表情が曇る。
自転車競技は全身が連動して動かなければならない。どれかひとつが出来ても意味が無いのだろう。
聖徳太子の様に色んな事が同時に出来ないといけないのだろうか。

 

 

寒くて熱いレース

合宿の最後には、負け続けている私のメンタルを回復するために雪上レースを用意してくれた。
名寄の農家の皆様が10日かけてコースを作ってくれたのだが。
クオリティの高さに驚いた。バンプもたくさんあるし水を巻いて凍らせたツルツルゾーンまである。
そしてレース本来の楽しさを思い出すために様々な工夫がしてある。

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1週間かけて作ってくれたコースのツルツルゾーン。トラクションをかけると一瞬で転ける

 

遠く旭川からもたくさんの参加者が駆けつけてくれた。
皆様当たり前の様にスパイクタイヤ付きのファットバイクを所持している。
全国どこへ行ってもそうなのだが、皆さん必ず私にその土地の坂を自慢して下さる。
北海道では十勝岳!
冬でもファットバイクでヒルクライムをするらしいが、先に頂上に車を置いてからヒルクライムするそうだ。
汗で濡れたままで下山すると汗が凍って危険らしい。

今回のレースは予選で3位に入った者だけが決勝へと進める。
番組の撮れ高的にも何とか予選は通過したいものだ。

 

猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第8回

ファット・バイクは前輪だけスパイクタイヤで充分走れる

 

氷点下24度の熱い予選がスタートしたっ!
スタートはルマン式!
50m先の自転車まで深い新雪を全力疾走!いきなり最大心拍だ!そして北の皆様とてもランが速い!やっとこさ4番手で自転車に跨る。
シクロクロスやMTBのレースもそうだがスタートダッシュで殆ど決まる!なぜなら抜きたくてもラインが無いからだ。
前に3人も居ればラインは皆無だ。
これはまずい…1人抜かないと予選敗退。

するとシュークリーム地点が現れた。
シュークリーム地点とは、名寄の牛乳を使ったシュークリームを食べてカメラに感想を言うレースを緩くする地点だ。
皆さん最大心拍でなかなか飲み込めない。そしてシュークリームは口内の水分奪い去りコメント出来ない。
妙な行列が出来る。

やっとコメントし再スタートしてゴールすると何故か私は3位に入っていた。
シュークリームのカオスの中で順位を上げていたようだ。
おかげで私は決勝に進出する事が出来た。

そして決勝!予選で学んだ!スタートが全てだ!少し脚を削ってもスタートで前に出る!

初の優勝目指してスタート!
今度はフローレンス・ジョイナー(古い)並みのダッシュを決める。
何とか3位で自転車に乗る。前が2人だと一台分のラインが空く。すかさず踏みアウトから1人パスし2位に浮上。前は一人だ。
コーナーではラインが無くなかなか抜けない。
ポイントはバックストレートだ!!

実は私は撮影の空き時間を利用してコースの試走をしまっくっていたのだ。セコい!
人間が小さい!そこまでして勝ちたいか!
そう!私は勝ちたいのだ。生まれてこの方、1位になった事がない。
私はまんまとバックストレートでトップに躍り出た!

最後に訪れるのはこれまたレースを緩くするキャベツ地点!
雪の中に隠されている名寄の名産”雪の下キャベツ”を掘ってゲットしないとゴールできない。
優勝は目前だ!私は勢いよく雪に手を突っ込んだ!すると手に何か当たる…キャベツだ。人生はうまくいく時はとことんうまくいく。

周りを見ると皆さん死に物狂いで雪を掘っている。
このままゴールしてはさすがに気まずい。
するとコーディネーターO氏と目が合った。「どうしたらいい?」と目で助けを乞うがO氏はゲラゲラ爆笑してらちが明かない。
仕方ないので私はキャベツを探すフリを続けるが、完全にキャベツは表に出ちゃててバレバレだ。

仕方なくそのままゴールし初の優勝を成し遂げた。
全くもって大人げない結果となり周りの冷ややかな視線を覚悟したが北海道の皆様はその大地の様に大きく寛容で……暖かく祝福してくれたのであった。

 

北の大地は癒やしの大地

こうして雪上レースにより私はメンタルを回復する事ができた。
レースもそうだが、私は名寄という土地自体に人を癒す力があったのだと思う。
何もせずボーっと地平線を眺めているだけで何か力が湧いてくるそんな土地であった。
世の中にはそういう「人に力をもたらす土地」というものが存在するのだと思う。
もう一度北の大地に行ってみたいものだ。
もちろん死体役ではなく。

猪野 学 公式Twitter