【コラム】ケルビム・今野真一「自転車、真実の探求」第4回 自転車の美学

目次

ケルビム・今野真一「自転車、真実の探求」第4回

ケルビムが製作したツーリング車

自転車の「美しさ」とは

編集長中島丈博氏に、自転車の美についてお考えを?と、お題をもらった。私にとって非常に壮大なテーマだ。
まずは、自転車の魅力はなにかと考えたとき、大きく分けると「乗ること」「観戦」「競技」「自転車そのもの」ということになる。そして私には「製作すること」も入ってくる。

とりわけ自転車そのものの魅力には、走行性能はもちろん、「美しさ」という要素も重要である。

幼少期、家に戻れば時間を忘れ日が暮れるまで工房に並ぶ競走用自転車を眺め心を弾ませていた事を思い出す。極限まで薄く塗られた塗装に、エッジの効いたラグやエンド部にスピード感あるフォルム。そして、四方八方に光を放つスポークホイールや銀色に輝くステムやハンドル。職人達が製作するスチールフレームのプロポーションに完全に魅了された。この世の物とは思えない「気高さ」に、これが地を駆けるマシーンなのか?と魂を揺さぶられ、その後の人生は大きく変わった。

40年以上経った今でも、当時感じた「美」を追い続け、当時は知らなかった多くの名車に出会い、そして翻弄される。自転車を取り巻く様々な「美」を考察してみよう。

梶原フレーム

 

人類、スピードへの憧れ

以前の取材で、いわゆるママチャリとロードレーサーでなぜママチャリは美しくないのか?と問われたことがあった。「ママチャリは美しくない!? そんなことはないのでは!」と返したことがある。

毎日、ママチャリで家族の食材を買い出しに行く母親を見ている娘がいたとしよう。彼女にとってママチャリは家族愛の象徴の様な美を放つかも知れない。「美」とは基準が曖昧であり、判断基準は個々に異なる事を前提におきたい。

では、もしロードレーサーが美しいならば、その美しさは、私が思うに人類の「スピード」への憧れがそう感じさせているに他ならない。人類は長い間、食物連鎖の底辺近くで生活をしており、猛獣の餌食となる事も多々あった。いつも逃げ、そして怯えて過ごしてきた。

その理由には、力も牙もなく、強い爪も持ち合わせていないというのが弱者となってしまう理由だろう。しかし決定的な違いは? そう、それは脚が圧倒的に遅いのだ。まさに致命的だ。脚が速ければ、大きな肉食動物から逃れるのは容易だろう。考えて見れば中型犬でさえ人間よりも速く走れるのだから、まぁ遅い。

きっと人類はコンドルやチーターを眺めては憧れを抱き続けていたに違いない。

「あんな風に速く走れたら」

と。

速い動物達のフォルムといえば、鳥は徹底的に流線型で軽く、チーターは無駄がなく筋肉質。その憧れは我々の中で「美」へと変わるのではないか。結果スピードの出る乗り物=「ロードレーサー」は、いつの時代も我々に「美」をイメージさせる要因なのかもしれない。現代、人類はもはや逃げる事はしなくていい。数千年後には美の基準は変わるであろう。

ただこれは私の仮説であり、学術的根拠はどこにもない事を付け加えておこう。

 

ルネ・エルスという古典美学

ルネ・エルス

文学、美術、音楽etc、俗に芸術と呼ばれるくくりで語られることの多いこれらのジャンルには、必ず古典というものが存在する。つまりそれだけ積み重ねてきた歴史が長いということ。別の見方をすれば古典芸術というのは、現在進行形で発展する芸術とは別に、いい意味で様式美として進化の止まった芸術とも言えるだろう。今を生きる人間が古典芸術というジャンルを製作したり、演じたりすることで評価を得る。過去の作り手の意図を如何に理解し、それを正しく再現できるのかが評価の対象となる事が多い。

同じことが我々輪界にも起こっている。つまり、過去の自転車の様式美を忠実に再現し製作するということだ。
※ヴィンテージの自転車を収集(コレクション)するということではなく再現するということ

大きな要因のひとつに、自転車界に名を残す稀代の名工房「Rene HERSE(ルネ・エルス)」の存在があるように思われる。Rene HERSE、自転車好きなら一度はその名を聞いたことがあるであろうその自転車は、サイクリストであるルネ・エルス氏が1940年代にパリ近郊で立ち上げた工房だ。
(その後、弟子のジャン・デュボア、娘のリリー・エルスが工房を引き継ぎ、1986年まで続いた。※現在工房は廃業。その名のみアメリカ人愛好家が引き継いでいる)。

その美しさから芸術品と称され、元競輪選手であり、引退後にフランスに渡り名画家となった加藤一(はじめ)氏は「エルス氏はアルティザン(職人)だが、彼が作り出す自転車はアート(芸術)で、彼は本質的に高度な技術を持った一流の芸術家だ」と評した。その自転車は製造から80年以上が経った今でも気品漂い、当時、芸術と評された理由もわかる美しさだ。

しかし美を追求するというよりも、彼は自転車職人として常に性能を追求していたことも忘れてはならない。当時最先端素材と言われたレイノルズ531チューブをいち早くフレームに取り入れたほか、ジェラルミンなどのアルミ合金を導入するなど、レースを走るライダーたちに最高の走り提供するため様々な開発を行なっていた。日本ではその様式美が多く語られる事があるが、加藤氏も見抜いていたように、彼は一流の技術を持った生粋の自転車職人であった。

事実、当時彼の製作した自転車はパリ・ブレスト・パリに代表されるブルベや、ツール・ド・フランスなどのツアーレースで入賞を重ね、競技者たちから注目を集め信頼を勝ち取っていった。

ルネ・エルス

話を戻そう。なぜ古典と言われるジャンルが存在し、その要因がルネ・エルスなのか。それは彼が当時最先端の技術を持って製作していた自転車にある。彼が作っていた競技用自転車。それは今でいうところのツーリング車というジャンルに分類されるランドナーやスポルティーフになるからだ。

当時は補修パーツもコンパクトでないし、チームサポートも禁止。ライダーはレース中のトラブルを全て自分で解決しなければならないため、工具や補修パーツを積載する必要があった。また道も今ほど整備されておらず、パンクというタムロスを避ける必要も含め、タイヤにはそれなりの強度と、荒れた道でもスピードが出せることの両立が求められた。

これらの条件を当てはめていくと、必然的にこのレースフレームはツーリング車の形状になってくるのがわかるだろう。そう、我々がツーリング車として認識しているランドナーやスポルティーフは当時の最先端レーサーフレームという側面もあったのだ。1950年代 これが日本のサイクリスト達と合致し大きなムーブメントともなった。

丸石やアルプス、東叡社に、もちろんケルビムも。多くのメーカーやビルダーがツーリング車を製作し、多くの場合のお手本はルネ・エルスの自転車だった。その結果ルネ・エルスの自転車は神格化されたのかもしれない。

デザイン面ではエルスは、多くの角度が混在することを嫌った。泥除けステーやキャリアにワイヤー等とことん角度を合わせた。日本ランドナーの第一人者、中堀剛氏によれば、これは当時のステルス戦闘機のデザイン理論だそうだ。エルスは航空関係のパーツ製作依頼も請負っていた。
私の推測でしかないが、出入りの航空業者に「無駄な角度は減らして欲しい」なんて注文されたのではないか? そしてエルスはそのデザイン理論を自らの自転車に踏襲したのではないか? そんな想像をしながら自転車を眺めるのは実に楽しい。

 

ケルビム・今野真一「自転車、真実の探求」第4回

ケルビムが製作したツーリング車

 

ルネ・エルス

ルネ・エルス

ルネ・エルス

 

職人としての美

私が職人として「美」を意識するきっかけとなった人物がいる。梶原利夫氏である。

梶原利夫さん

日本のスチールフレームを語る上で決して欠かすことの出来ない人物である。幸運にも父の盟友であり二人は切磋琢磨し今のケルビムを作りあげた人物だ。美しいロードレーサーへの探求を早くから提唱し数々の名車を作りあげた。

彼は決してデザイナーとしての資質を持っている訳ではないが、そのフレームたちは目利きの職人達が見れば圧倒される「美」の迫力を放つ。彼はヨーロッパの名車を研究しつくし、ラグや全体的なフォルムに二方向に広がっていく双曲線、即ちハイパボリックパラボロイド曲線(双曲放物線面)を活用しているという事実を突き止めたことを私にそっと教えてくれた。それは私の自転車製作に於いて機能と美が確実に隣り合わせにいる事を発見した瞬間でもあった。そして自転車を作る上で「美」を意識することがなんたるかをケルビムの工房にも根付かせた。

梶原フレーム

梶原フレーム

梶原フレーム

 

教養体験美の限界

自転車を見て何らかの「美しさ」を感じるときに注意しなければならないのは、教養体験による美なのか否かということである。私は絵画や彫刻が好きで時間があれば美術館に足を運ぶ。「本物」をこの眼で確かめるためだ。しかしここで一つ問題がある。

例えば現在 フランスルーヴル美術館に鎮座する彫刻「サモトラのニケ」。勝利の女神像として有名で、その美しさは私が語るまでもない彫刻だ。

2000年前のギリシャ時代の物で、サモトラキ島で発見された。宮殿の中なのか外なのか? どの様に聳え立っていたかは不明、当時は海に囲まれた小さな島で太陽と海の光を燦々と浴び輝き、汚れや埃も積もっていたでしょう。夜は、か弱く揺らぐロウソクの炎で照らされていたのかもしれない。

当時、人々の心境と言えば他国の民族による侵略に恐れ、身を守る行為の一つとして、人々は神や女神の存在を微塵の疑いもなく誠に信じ像を讃美していたのは容易に想像出来る。そして、ニケ像が美の対象だったか否かは今となっては確かめる余地はない。

2000年以上経った今日、戦争体験もない私がジェット機で安全なルーヴル美術館を訪れ、空調の整った部屋の中で理想的な光の下。実像を見て「やはり本物は美しい」などと抜かしてよい物かと……目の前にあるのはまさに2000年前のニケ像である。

さて現代、我々の前にあるルネエルスやイタリアの名車たち。私はその美しさには翻弄されるが、その時代に活躍した姿やその場にいた訳もなく、現代とは全く異なる当時の荒地を快走していた時代にその自転車がどう映ったかは、わからない。

しかし時代を経てサモトラのニケの如く、多くのストーリーが生まれ、その自転車にまとわりつく、時代の栄光や歴史を教養体験として知り、その栄冠を崇め、そして今は製作者も無く、再現不可能なその希少性など含め「美」のお手本として語る。今もなお美しい自転車の代表とされ模範的工作としうて崇められている。

タイヤは腐り、リムはガタガタ。乗りつぶされフレームの芯も出ておらず相棒を失った古い名車。それが果たして我々自転車乗りにとっての美なのか?では、我々は何を見て美を感じているのであろう?

そこで名車の美を理解したと認識する事はあまりに安直な思考なのかもしれない。自転車はどこまで行っても自転車であって、乗られて、走ってこそ自転車だ。

私にとって、競輪場で見る自転車は美しい。整備はこれ以上なく完璧、選手は自転車を丁重に扱い多大な信頼を寄せ、時には祈りすらする。無論、作る側の緊迫感は命を削る思いで製作されている。

これはどんな名車を見るよりも私の鼓動は高鳴る。競輪に限らず、どんなアマチュアの自転車でも同じだ。私の目標は今を生きるそんな美しい自転車を作る事だ。決してフォルムだけの話で片付けたくないと強く願う。

 

まとめ

今回は自転車乗りを取り巻く様々な美をあげさせて頂いたが、どれも抽象的になってしまいうまくまとまらず申し訳なく想うばかりだ。
というのも、このアールがここに繋がっていてここが美しいのだ! と力説し、ある種の食レポートの様な表現になってしまうことを避けたいとの想いもある。

「美」私の職人人生の1つのテーマである。ここで答えを出すつもりもなく私自身答えはない。機会があれば、自転車を構成する一つひとつの美しさについて掘り下げ筆を取らせて頂きたいところだ。

ケルビム・Racer-2022

ケルビム・Racer-2022
ケルビム・Racer-2022

今私の前には製作し終えたばかりで発表前夜の「Racer」というモデルがある。自画自賛で呆れるくらいに「美しい」。教養的な美は一切介入しておらず、まだ未完成だ。オーダーメイド自転車は私一人で完成させることは不可能なのだ。

なぜなら あなたが乗りあなたの相棒となったとき「最高傑作」は完成する。特別な人生を共に「作り」そして共に「走る」。それこそが自転車職人にとっての「美しさ」なのかもしれない。