【新連載】猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第1回

目次

猪野学 コラム①

猪野学の新連載スタート!

坂バカ俳優、猪野学(いの まなぶ)。NHK BS1の番組「チャリダー★」で活躍する姿は、多くのサイクリストが知るところだ。Cyclist(サイクリスト)で連載中だった「猪野学の坂バカ奮闘記」が、サイト閉鎖にともないサイクルスポーツへお引越し。さらなる活躍をレポートしていく。第1回は、サイクルスポーツの読者に向けて、猪野さんの自己紹介と最近のサイクリスト的な活動について。

 

私は坂を上る事をこよなく愛しているサイクリストである。
いわゆる、坂バカだ。

そして俳優を⽣業としているので、 ⼈はいつからか私の事を坂バカ俳優と呼ぶようになった。

私はNHK BS1で放送中のチャリダーという⾃転⾞情報番組で、数々の坂を上り、ヒルクライムレースに参加してきた。数々のトップアスリートや猛者共に引きずり回され、早10年が経とうとしている。

そんな坂バカ俳優の⽬線から⾃転⾞の楽しさや、奥深さ、そして過酷なライドの裏話などを書いて⾏けたらと思う。

 

バンクでの過酷な体験

記念すべき1回⽬は、東京オリンピックトラック競技⽇本代表チームを取材した時の、⾝の⽑もよだつ恐怖体験を記そうと思う。

私はかねてからよくテレビでトラック競技を観戦していた。

すると、テレビの中で選⼿に怒号を浴びせるスキンヘッドの強⾯の男がいる。
闘将ブノワ・ベトゥ コーチだ。

各国の代表を強くした⻤コーチとして知られる彼。私は「こんな恐ろしい指導者に関わらなくて良かったぜ」と、ぼんやり無責任にテレビを⾒ていた。
数年後に、この男に時速70kmまで、 バイクで押されるという恐ろしい体験をさせられるとはつゆ知らずに。

そう、”恐ろしい指導者”に関わる日が本当に来たのである。東京オリンピック前に⽇本代表の取材ができるという話が舞い込んで来たのだ!
あの⻤が居るところに⾏くのかと思うと少し怖かったが、代表が拠点としている修禅寺にあるベロドロームに乗り込んだ。

伊豆の豊かな緑の中に突如現れる銀色のベロドローム。その異様さもさることながら、建物内に⼊ると空気が⼀変する。
私はこれまで数々の⽇本代表の取材をしてきたが、今回の短距離チームの空気ほど張り詰めたものはなかった。
誰も⼀⾔も⼝を聞かず⼀点を⾒つめている。

 

猪野学 コラム①

 

⻤のブノワが⼝⽕をきる。
「今⽇のトレーニングは痛みを伴う。痛みを伴わなければ、それはサボっている事になる」
選⼿達が無⾔な意味がここで分かった。 皆これから起こり得る痛みに備えていたのだ。

トレーニング開始!
全員⼀列で⾛り出し、アップが始まる。

そしてアップが終わると⼀⼈ずつバイクぺーサーから発射!フルもがきが始まる。ベロドローム内250mバンクにバイクのエンジン音が響き渡り、スピードをそのままにすごい形相で選手が解き放たれるのだ。時間でいったら90秒くらいだろうか。

もがき終わった選⼿達はそれぞれに倒れ込み、悶えている。まるで戦場だ。
こんな場所とはとっととオサラバしたい気持ちに駆られた。

猪野学 コラム①

初めての領域を体験した400mトラック。屋外は風の抵抗ももろに受ける。

 

 

次は私の番だった

選⼿達のインタビューも終わりひと段落すると、私は番組スタッフから、ベロドロームの外にある400mのトラックに案内された。
天気もいいし外でロケ弁でも⾷うのかと思ったが、私はすぐに事態を察した。
トラックの真ん中に居る⿊いジャージの悪魔。
ブノワだ!先程まで代表選⼿を叱咤していた⻤。

するとブノワは「ヨクキタナ イノ! キタエテヤル!」と⽚⾔の⽇本で⾔うではないか!?
よく⾒たらバイクのタンクにカンペが貼ってある!番組スタッフが仕込んだのだ!

なんという事だ!⽇本代表を強くしたブノワの特訓を⾝をもって体験しろといのか!?

しかしブノワを⾒ると先程のトレーニングの時と違い笑顔でゲラゲラ笑っている。どうやらお笑が好きなようだ。

しめたっ!お笑なら任せてくれ!

確かに、こんな⾚い⽔⽟ジャージに⿊縁メガネをかけた道頓堀⼈形のような男を相⼿に本気でしごく訳はない。私は少し安⼼して⾃転⾞に跨った。

 

猪野学1

お借りしたピストバイク。ややサドルが高い。すぐにポジションを出さなければいけないのもロケの醍醐味だ

 

バイクぺーサーが初めての私にブノワは、まずは慣れるために後ろに付けと⾔う。
時速40kmで後ろに付くが恐怖⼼からか、なかなかピタリと付けない。
するとブノワはバイク後輪に付いているバーにワザと⾃転⾞の前輪を接触させろ!と⾔うではないか。

ブノワ「イノ! ⾞輪を真っ直ぐ当てろ!斜めに当てるとアウトだ!」

野球じゃあるまいし、そんな簡単に出来るものなのか!?
恐る恐る接触させるとタイヤがピョンと当たるだけで落⾞しない。
簡単に書いているが時速40kmの⾼速で、タイヤをわざとハスらせるのは、なかなかの恐怖体験でだし、サイクリストにとってハスるのはご法度で、やはり怖い。

何とかバイクパーサーに慣れて来たので、「今度は徐々に速度を上げて発射するから、後は⼰でもがけ!」との事。
先程 ⽇本代表がやっていたトレーニングだ。

スピードを上げ出すバイク、時速は60km!
ぺーサーとはいえキツい。残り⼀周のところで発射!その時点で脚も⼼肺も限界だ!
しかしピストバイクの恐ろしいところは、リヤコグがホイールと固定されている(ロードバイクならペダリングを止めてもホイールが回るでしょ)ため、急にペダリングの脚を緩められない!ペダルが回り続けるのだ!
時速60kmのまま脚は回り続け。無酸素状態になり意識が遠のく、初めて体験する領域だ。

何とか意識があるままフィニッシュするが、脚はガクガク、頭は酸素が⾜りずフラフラで吐き気がする。
⾒るとブノワは顔を真っ⾚にしてゲラゲラ笑っているではないか。

ブノワよ!体を張って笑いを取る! これがジャパニーズコメディだっ!
と誇らしげな私にブノアは
「イノはまだ⽴てているし、喋れているから限界には程遠い」と⾔った。

⼀体、⽇本代表選⼿はどんな強度の限界を超えているのだろうか?
選⼿達はインタビューで、「限界を超える⾼強度のトレーニングはどんな痛みが待っているか恐怖でいっぱいになる」と⾔っていた。

痛みや苦痛を超えなければ強くはなれないのだろう。
⾃ら苦痛に⾶び込む選⼿達の姿に感動を覚えた。

猪野学 コラム①

特訓後は気持ち悪くてロケ弁が食べれなかった。これも初めての経験だ

 

感化された私は、⽇々のトレーニングに90秒フルもがきを取り⼊れた。

40秒を過ぎたあたりから酸素が無くなり、無酸素領域に⼊り痛みが始まる。
60秒を過ぎたら体中の⽳という⽳から⾊々と吹き出しそうになる。
ここからの1秒1秒が本当に⻑く感じる。
アインシュタインの⾔っている事は正解だ!
時間はその質量によって歪むのだ。

猛烈に苦しい1秒1秒を耐え続け、最後の10秒、更に強度を上げる。

これで暫くは動けなくなる。
しかし⼼肺機能は確実に強くなる。

たった90秒で様々な痛みを体験出来る。
皆様も!是⾮!90秒の世界へ!

猪野 学 公式Twitter