“地域密着”で積み上げたこと。2021年は分岐点となるか
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異例づくしの今シーズン。世界を飲み込んだ感染症をきっかけにして、あまりにも多くのことが起こった。国内チームの代表の一つである宇都宮ブリッツェンというチーム、そしてメンバーにも大きな打撃を与えることとなった。
無観客のまま終えた今シーズンの終わり、12月6日に行われた宇都宮ブリッツェンのシーズンエンドパーティーで退団する鈴木譲、大久保陣、鈴木龍、そしてエースとしてチームに残る増田成幸にも話を聞いた。(増田単独のインタビューはサイクルスポーツ3月号にて)
鈴木譲が溢した涙
宇都宮ブリッツェンのシーズンエンドパーティーでマイクを渡された鈴木譲は、言葉を詰まらせた。静かに涙を流しながら、チームに、サポーターに、スポンサーに感謝を伝えた。震えた声で絞り出すように言葉を紡ぐその姿は、いつも淡々としている彼からはとても想像ができないものだった。在籍7年。その歳月で築き上げてきたものは、とても大きく、深いものとなっていた。
鈴木譲は、この7年、時にはチームのエースを任されることもあったが、UCIレースなどのステージレースでは基本的に増田成幸の女房役として走ることが多かった。長い間、鈴木譲が増田のアシストに徹し続けた理由をこう話す。
「僕の場合、もちろん勝ちたいっていう気持ちもありますし、実際そういう状況になったらもちろん頑張るというのはあるんですけど、難しいスポーツですよね。自転車って。
増田選手の場合、すごい特殊というか、不思議な選手なんですよね。勝ちたいという純粋な気持ちもあれば、本当にチームのために走ることもできたりとか。そういう選手って人を引っ張る力があると思うんです。競技に向かう姿勢も近くで見ていて、本当にそういう選手だったらサポートしたいって心から思える選手で。だから、妥協するじゃないですけど、明らかに増田選手の方が向いてるという場合は、そこでいかに他の選手が折れて、アシストに徹するっていうのができたらと思うんです。
僕の考えている価値観なんですけど、与えたら与え返されるというか、助けたら助けてもらえるという風に常々思ってるんですよね。恩着せがましく助けてやったとかじゃなくて、とにかく誠心誠意尽くしたら、僕が宇都宮クリテリウムで勝ったように増田さんがアシストに回ってくれたりとか。
それって信頼関係だと思うんです。そういう信頼関係を選手同士で築けたときって、なんだかもう、レースに自分の力だけで勝ったとき以上の喜びがあると思うんです。それが自転車の、ロードレースのいいとこかなって思っているので。そういうのを、なかなかまだ実感してない選手たちが実感していって、チームプレーの良さみたいなものを感じてほしいなとは思います」
7年間、彼ら自身もたくさんのレースを走って信頼関係を構築していった。増田という選手の存在について鈴木譲に聞くと、声を潤ませながらこう返ってきた。
「変な話ですけど……、救ってもらったなと思います。
ブリッツェンに来て、競技に対して集中して取り組んでないような……、人間って分かっていてもそれが何でかできていかなくなるときもあるじゃないですか、堕落していくというか。そういう状況でブリッツェンに入ってきて、増田選手は、あのときはやっぱりキャノンデールから出戻りという感じで、もちろんつらいこともあったと思うんですけど、とにかくトレーニングに取り組む姿勢とか、競技に向かう姿勢みたいなのを見て、僕もこのままじゃだめだなと思う訳です。やっぱり本当に人を変える力じゃないですけど、人を引っ張る力がある人だなと思いました。本当に、感謝してますね」
ヨーロッパで先の見えない天井を感じた増田が「これでいい」と思うことは決してなく、努力を止めることはなかった。その背中は結果としてチームメイトを奮い立たせていた。
後ろ髪を引かれた2020シーズン
鈴木譲は、2020年で選手生活にピリオドを打つつもりだった。宇都宮ブリッツェンのメンバーとしてジャパンカップを走って。
しかし誰も予測しえないこのコロナ禍。選手としての最後を迎えるはずであったジャパンカップは開催されなかった。
「増田さんがオリンピック(の代表内定が)決まって、ジャパンカップで花道を作ってもらおうかなと去年から考えていたというのもありました。やっぱり特別です。地元のレースですし、あれだけハイレベルでお客さんも来て、認知度のあるレースって日本だけじゃなく、アジアから見てもないですし。そこでブリッツェンが活躍することの価値っていうのは、7年いて感じていて。本当に特別感があるレースだと思うんですよね。国内選手にとってもそうだし。本当にものすごく完成されたチームで、その一員として走って、選手人生を締めくくりたかったっていうのは、本音を言えば思いますね。今でも」
昨年末、鈴木譲は自分から2020年いっぱいで契約の満了を申し出ていた。だが、考えていた締めくくり方とは程遠いものとなってしまい、辞める決断が揺らいだ。
「今年ハイシーズンのレースが全部なくなってしまって、踏ん切りがつかなかったっていうこともあったかもしれない。気持ちよく辞められるようにまた来年移籍して、続けようって思えたことを自分の中でうれしく思うっていうところはあります」
そんな思いとは裏腹に、予定されていた元々のシーズンが始まる頃には、感染拡大に紐づいてチームの財政状況も悪化。そのあおりを受けたのは、鈴木譲を含むチームの中でも中堅~ベテラン勢だった。
「予算的に厳しいなら、出て行くか辞めるかは自分で決めようと思っていました」
鈴木譲は振り返る。
レースがない期間、予算削減を理由にチームの運営会社から来季の契約がないと告げられた選手たちは、納得のいかない面もあり、チームの柱である増田も交えてチームのスポンサーのもとへ直談判にも行った。
長い期間にわたってスポンサーと絆を深めていたのはチームの運営会社だけでない。“地域密着”との言葉通り、選手自身がスポンサーの人々とやりとりをすることは多く、そこでの人間関係や信頼関係も積み重ねてきていた。長年在籍したベテラン選手たちならなおさらだ。選手を応援したいと言ってくれる支援者も多いと鈴木譲は話す。
スポンサーは、選手たちの直談判に耳を傾けてくれ、運営会社に対して話もしてくれた。
7月のシーズンが始まる前には、スポンサーの人々の協力もあり、ベテラン選手たちのいわゆる“クビ”の決定をも覆した背景もあったようだ。結局、退団する選手・残る選手は自らの意志で進路を決めた。
チームのモチベーション
レースが再開されてからは、ここ数年で見る宇都宮ブリッツェンの中でも際立ってチームの結束力が見えた。増田も「今年ほどみんなで一致団結したシーズンっていうのはなかったんじゃないかと思います」と話していたほど。
開幕連戦では早速勝利も挙げた。しかし勝利者インタビューで発されるのは、「本当は○○を勝たせたかった」とか「いろんなストレスがあった」とか、どこか含みのある言葉ばかりだった。
群馬連戦での二戦目で勝利した鈴木龍は、「みんなあまり練習をできていなかったのは事実なんですけど」と振り返る。そしてこう続けた。
「結束はすごく強かったと思いますね。モチベーションだったり、結束力だったり仲間との絆とかでカバーして、どうにか優勝したりとか、後半戦の走りにもつながりましたね」
選手たちはシーズンが始まる前には、トレーニングに支障をきたすほどに動き回っていたという。自分たちの納得ができるように、そして今後の選手たちの将来に向けて行動を起こさずにはいられなかったのだ。
結束力は、このメンバーで走るのは最後という思いと、現状を覆すため、さらにはフラストレーションを解消するために生まれていたようなものだった。
「本当にもっと、もっと強いチームだと思うんですよね。そういった何か違うことをモチベーションに、原動力にして、強くなっているチーム、その形を僕は目指してたわけじゃなくて。本来の切磋琢磨して、お互いがお互いを高め合うチームという本来の姿を本当はもっと見せたかったなと思います。自分自身もやっぱ集中しきれてなかったですし、本当はもっといいレースができたなっていうのは、正直思いましたね」
鈴木譲はそう打ち明けた。
今シーズンでの引退を決断した大久保も、「レースが再開した頃には、もう引退するって自分自身も決めていましたし、辞める選手も決まってたので、このメンバーで(レース)するのももう最後だと思っているというのもありました。みんなで練習のときは、傷をなめ合うじゃないですけど、ストレスを吐き出しながらでした。(年齢が)上のアベタカ(阿部嵩之)さんもそうですし、譲さんや増田さんもやっぱり優しいので、自分たちに何でも言える環境を作ってくれるんです。年上の選手で持ってるもんだと思いますよ、チームが」と話した。
ブリッツェンの強さとは
改めて、国内レースで活躍し続ける宇都宮ブリッツェンの強さはどんなところからきているのだろうか。
合計で4シーズン、ブリッツェンに在籍した大久保はこう語る。
「選手個々がリスペクトし合ってるんですよね。若い選手も全員。ふざけるときはふざけるし、やるときはみんなでやる。だからもめ事もない。でもやっぱり上の選手がいいからだと思いますね。増田さんあたりが、背中で、力で引っ張ってるからいいチームなんだと思います。あと、監督の力も大きいです。ちょっと頑固なとこもあるんですけど、選手ファーストなんですよね」
そんな増田は、日本のレース界を引っ張っていく一人としての自覚を持ちつつも支配をするタイプではなく、コミュニケーションをしながらのチーム作りを意識していた。
「自分と鈴木譲がキャプテンでやっていて、チーム作りは一生懸命やってますけど、うちのチームは誰か一人が引っ張っていって、それにみんながついていくようなチームじゃなくて、なるべくみんなで意見を出し合って、俺はこうしたい、ああしたいっていうのをまとめながら舵を切っていくというチームなので、誰も独裁者みたいなのもいないし、派閥みたいなのもない。いい意味でみんな個性豊かで自由にやれているし、でもまとまるときは、今年みたいにみんなでまとまれる。すごくいいチームではありますね」
大久保はそんなブリッツェンで選手としてのキャリアを終えたいと考えていたと話す。それには理由があった。
「監督もアベタカさんにも、『陣がこんなに長続きすると思わなかった』と言われました(笑)。ブリッツェンに来られたから(長続きできた)。ブリッツェンが人生を豊かにしてくれましたね。人との出会いもそうですけど、競技を長く続けさせてもらって、本当に幸せな選手人生だったなと思いますね。ブリッツェンのおかげです。だから戻ってきたんです。戻ってこられて良かったです」
7年間在籍し続けた鈴木譲にとっても、このチームの存在は非常に大きいものとなっていた。
「ブリッツェンに夢がなくなったら、もう自転車界にも夢がないと思ってしまうぐらいの存在なんです。奇跡のチームだと思うんです。ブリッツェンができるから、他のチームも付いてこられるというか、同じことができると思うんですよね。
このチームが無理だったらもう本当に国内のロードレース界って未来がないって僕はそれぐらい思っていて。だからこそ、自転車レースみたいに先頭を引くのってつらいですけど、その集団の先頭を引いて、日本のレース界を引っ張って、先頭突っ走っていってほしいなと思うチームです」
奇跡のチーム、そう思ったのには今シーズンの背景も大いに関係した。
「選手の立場というのがすごい弱い業界じゃないですか。でもブリッツェンに関しては、選手たちが地域の支援者たちの人たちとの密なコミュニケーションを取ってるんですよね。僕らがアクションを起こすと、チームの運営会社の決定をひっくり返すことができるくらいの立場まで、地域との信頼関係を本当に積み重ねたと思うんです。結束力もそうだし、地域との繋がりという部分で、ブリッツェンができなかったら、国内のチームに未来がないと思えたのは、そういう経緯があります」
リーグの二分化、選手の立場
来季、Jプロツアーとは別で新たにジャパンサイクルリーグ(JCL)が立ち上がり、実質、国内レースがJプロツアーとジャパンサイクルリーグに二分されるという形になる。二分されることに対して、選手たち自身が何かしらを選択できるような立場にないのが現状のように思える。
2021年、愛三工業レーシングチームに移籍する鈴木譲は、今年と同じくJプロツアーを走ることとなる。来年の状況について鈴木譲はこう考える。
「何のために別々で走るのかなとは思うんです。僕が今までプロをやってた十数年間、選手の価値、選手の立場っていうのがより弱くなってるような気がしてならないので、選手たちが一致団結していかないといけない。常々感じてるんですけど、僕らも知らないところでこういったリーグのことも決まってしまったり、振り回されてしまっているというか……。それがなんか悔しいというか、もうちょっと何とかならないのかなと思ってるんですよね。
もちろんチームのことと、自分の実力を維持して、そこでしっかり仕事をするっていうのも大事なんですが、選手たちの将来っていう部分で何かできないかなと何年か前から結構考えてはいるんです。こういう状況でやっぱり(その思いは)鮮明になりますね」
新リーグが立ち上がることが悪かと言われたら決してそうではない。業界が競い合って発展していくことは誰もが望むことだし、ただでさえマイナースポーツなのだから、現状を変化させようとするエネルギーは間違いなく必要なものだ。
ただ、現段階で考えるのであれば、二分化という事実に対してあまりにも不安要素が多すぎる。そして、所属チームによってどちらのリーグを走るかが決まってしまう選手たちにとってのメリットがどこに生まれるのかも不明瞭だ。
とはいえ、JCLも始まってみないと分からない点もまだまだたくさんある。そこに何か新たな役割や活路を見出していけるのであれば、Jプロツアー側はそれを見習っていくべきだし、その逆もしかりだ。ともかく狭い業界内での“潰し合い”ほど意味がないことはないと思うのだ。
来シーズンのように突然大きな改革が訪れようとしている状況下で、レースという仕事場でまさに仕事をする選手たちが自分たちの仕事場に対して何も意見を言えないというのは、いささか不可思議に思える。ヨーロッパでは、選手会の代表意見としてレース運営に対して話をするシーンも見られる。日本のロードレース界には、選手会というものが存在しない。
本来であれば、もっと対等に意見を出し合って、多くの頭で考えていく必要があるように感じる。
今年は、“絶対”なんてないということをまざまざと見せつけられた1年だった。2021年だって各レースが正常に開催される保障なんてどこにもない。スポンサーフィーで成り立つ自転車チームゆえに、レースがなければ広告塔としても機能しなくなる。来年1年で次の一手を考えていかなければ、将来を考えることすら許されなくなるときが唐突に訪れるかもしれない。
子どもたちがそんな選手たちの状況を見て、自分もこうなりたいと本当に思えるだろうか。
不安視しているだけでは未来は変えられない。
延期された東京オリンピックが開催される予定の2021年。どのような分岐点となっていくのだろうか。