2020全日本トラック コラムpart1 強さの伝承

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11月5日~8日、群馬県・グリーンドーム前橋で行われた全日本選手権トラックレース。新型コロナウイルスの影響で、世界大会の開催目処が立たない中で開催された久しぶりのトラックレースだった。東京五輪代表候補も揃う中で、現在の力を披露する場となった今大会で見えた一場面を切り取る。
 
2020全日本選手権トラックレース

大会2日目のスプリントで当たった中野(奥)と新田(手前)

 

精神面を問う、とは

2020全日本選手権トラックレース

3日目のケイリンでは、6人の強者のみが決勝に残った

 
トラック短距離の選手たちにレースについて話を聞くと、ロードレース選手からはあまり聞かない「挑む気持ち」だったり「意識の甘さ」だったり、肉体的なところというよりは、精神面についての言葉がよく出てくる。これは、肉体の限界を超えた精神面での勝負のシーンを何度も何度も経験しているからこそのように思える。
 
勝ち負けを決めるレースにおいて、よっぽどレベルの均衡した選手たちが集まらない限り、スピードや出力など肉体的な面や戦術面が足らないことで、最後の一踏みを振り絞るようなギリギリの勝負まで辿り着けずにふるい落とされてしまう場合が多いように思える。
 
精神面についての言及が多いということは、それだけ”勝負の場面”に立っているということではないだろうか。もちろんレースにおいての勝ち負けの場面というのもあるだろうが、それ以外にも”勝負の場面”がある。自分自身のリミッターを外す”勝負”と、恐怖心との”勝負”だ。
 
2020全日本選手権トラックレース

大会最終日の1kmTT発走前の新田。大会前からタイムを狙うと意気込んでいた

 
短距離は競技の特性上、1分など短い時間で自分の持てる全ての力を出し切らなければならない。普通の人であれば、全力を出し切るということすら脳がストップをかけ、できないことが多いはずだ。
 
選手たちは限界の勝負に挑むにあたって、自分の脳のリミッターを外さなければ限界を超えることはおろか、自分の全力すら出しきれないで終わってしまう。そのリミッターを外すためには、かなり精神的な部分が関わってくる。当たり前だが、誰しも辛いことはしたくないのだ。肉体が悲鳴をあげ、もう無理だと脳が体に指令を出す。そこをいわゆる根性で無理やりこじ開けていかねばならない。それも何度も、だ。
 
2020全日本選手権トラックレース

1kmTT後、あらゆる場所で倒れ込む選手たち。同じ辛さを知る深谷も助けに入る

 
では、”出し切る”ということはどういうことか。1kmタイムトライアルを走り終わった選手たちを見れば分かる。初めて見たときは、こんなに短い間に人はこんなにも”出し切れる”のかと驚愕したことをよく覚えている。息も絶え絶えで、自分で歩くのもままならずその場に倒れ込み、この世の終わりのように呻く。新田祐大はその激痛を「両脚をみんなに鉄パイプで殴られ続けるみたいな感じ」と表現していた。
 
2020全日本選手権トラックレース

悶え苦しむ新田。この表情がどれだけ厳しい戦いに身を置いているかを物語っている

 
一度その辛さを体感したら、スタートラインでは恐怖心に支配されてもおかしくはない。走り終えた後、何が起こるか分からない苦痛が確実に待っているのだから。肉体を鍛え上げ、戦術を使いこなし、さらにその先を精神面で突破する。それだけ精神的負荷が大きい競技なのだということをまず伝えたい。
 

勝者の背中から学ぶ

2020全日本選手権トラックレース

前週のBMX全日本でチャンピオンとなった長迫がトラックでも結果を残す

 
昨シーズン、元々五輪出場枠を獲得しに行く予定もなかったチームスプリントでの躍進はものすごいものだった。2019-2020シーズンのワールドカップでは、まるで覚醒したかのような出来。メダルどころか、表彰台の頂点にすら登った。シーズン途中ながらチームスプリントでの五輪出場枠を狙いにいく方針も講じられたほどだった。結果として今年の2月末の世界選手権で、あともう少しのところで五輪出場枠を逃してしまったものの、今後につながるものは確実に得られた。
 
今大会でもスタートリストに名を連ねたドリームシーカーレーシングチームのタイムは、抜きん出たものになるという予測も立った。
 
今回のチームスプリントに挑んだドリームシーカーのメンバーは4人。予選を長迫吉拓、深谷知広、中野慎詞で走り、決勝は新田祐大、深谷、中野で走ることに決めた。ワールドカップ5戦で優勝したメンバー(長迫、新田、深谷)にしないのには理由があった。
 
「私感ではあるんですけど、長迫、深谷、中野は、おそらくパリオリンピックに向けて中心的なメンバーになるんじゃないかなと感じています。本人たちもそういう意識づけの中で戦うことになってくると思うので、そのリハーサル的な部分も含めて、大会が少なくなっている中で走るチャンスを得られると思い、3人を選抜しました」
こう新田は説明する。
 
2020全日本選手権トラックレース

予選は1走が長迫、2走が深谷

2020全日本選手権トラックレース

予選、決勝ともに3走を任された中野

 
また、この大会に入る前から新田は、チームスプリントと1kmTTでの日本記録更新を目標として掲げていた。チームスプリントを自分が走るのは最後かもしれないとも話をしていた。それゆえに自分が持っているものを次世代に受け継ぎたいという思いがあった。
 
「今回、中野が新選手として参加してくれたんですけど、まだ大学生で、ナショナルチームとしての経験は今までなかったんです。僕の経験上、ナショナルチームのトップ選手たちとチームで走るとなったときのマインド的な部分、フィジカル的な部分の違いがあまりにも大き過ぎてしまって、特にレースと練習のギャップは非常に大きい。そのギャップを埋める感覚を少しでもつかんでほしいということで、過去ワールドカップで金メダルをとった僕と深谷から中野選手へのバトンタッチをしたいなと思って、発走順番も今までは僕が2走、深谷が3走でやっていたんですけど、順番を変えて、僕が1走、深谷が2走、中野が3走という形で組み合わせました」
 
2020全日本選手権トラックレース

日本新記録を出したドリームシーカー

 
予選では早速目論みどおり、58秒926でトラック周長333m×3での日本記録を更新。予選2位のチーム・ケイドリームス1(荒川仁、寺崎浩平、山崎賢人)とは、1秒133という差があった。
 
もう一度日本記録更新すら期待された決勝。予期せぬ事態が発生する。
 
スタートして1走の新田から2走の深谷の2走につながるが、3走の中野が後輪の機材トラブルによってまさかのストップ。記録としては、DNFとなったが、1走の時点で0.22秒、2走の時点ではさらに0.415秒、予選のタイムより上回っていた。
 
2020全日本選手権トラックレース

新田が1走という珍しい(懐かしい)出走順で決勝は走ったドリームシーカー

 
「これがオリンピックじゃなくて、世界選じゃなくて良かったな」と、新田は中野に話したという。
 
また、新田は中野に対して、なぜ今回のアクシデントが起こってしまったのか、それを改善するためにはどうすべきか、その先にあるのは何なのかということをあえて感情的に話をしたそうだ。
 
「みんな優しいので、優しくなだめるっていうことは、こういう状況だからこそ、(他に)やる人たちがいるからこそやってはいけない。もちろんみんなが感情的になったら意味はないです。深谷が感情を抑えて話すことをやっていたので、あえて感情的に話すことがおそらく彼の成長にもつながると思いました。何が重要かっていうのは、そういう感情的なぶつかり方をした時に察するタイプだと思っているので。残り3日間あるので、いろいろ感じてくれるんじゃないかなと思ってます」
 
これは奇しくも、思わしくない戦いをした際に感情を露わにするブノワ・ベトゥヘッドコーチがやってきた方法と同じだった。
 
「ブノワを演じたわけじゃないんですけど、彼の中でなんでそうやっていたかっていうのも、今は説明をされているから分かりますけど、最初は分からなくて。なんでだろうっていうところが歯痒かったり悔しかったりしていたところが、後ほど理解して、そういう場面を選んでやっている、やらなきゃいけないんだっていうのが分かったので、今回はこういう場面を使って僕もそうしました」
 
2020全日本選手権トラックレース

1走が荒川、2走が寺崎、3走が山崎の順番

2020全日本選手権トラックレース

笑顔溢れる会見では決してなかったが、それでも1分を切る記録を出した3名

 
決勝でのドリームシーカーのDNFにより、チームスプリントで優勝した荒川、寺崎、山崎は、全員ナショナルBチームとして選抜されおり、パリ五輪を目指して活動している選手。この大会は今後に向けてコーチ陣や他の選手に対して自身の成長をアピールする機会だった。
 
しかし、こんな形で日本チャンピオンジャージを受け取ることになった3人に笑顔はない。
「まさかこういう形で勝つとは思っていなかったので、ちょっと複雑な気持ちです」と荒川は話し、寺崎は、「予選タイム的にも決勝で逆転できるタイム差ではなかったので。まずは1分を切る、自己ベストを出そうっていう目標でやっていたので、すごい不本意な形ですけど優勝という形になってしまったので、そこはちょっと残念ですね」と語る。
 
山崎も「結果を出すために今日来たので、結果が出たのはうれしいですけど、タイム的には負けているので、そこはこれからつなげていきます」と話した。
 
2020全日本選手権トラックレース

3走の山崎が最後のホームストレートを追い込む

 
世界の舞台でメダルを取るようなドリームシーカーの走りを実際に見て、寺崎は学んだことをこう語る。
 
「普段一緒の環境で練習をしていて、タイムとかも知っているので、踏んでいるギヤもスタートの技術とかも全然まだまだ僕らは足らないので、正直不本意な形で勝ってしまったんですけど、全然タイムでは負けているので。これからまだまだ伸び代は自分ではあると思っているので、ギヤももっとかけられるようになって頑張りたいです」
 
山崎もまた、ドリームシーカーのメンバーに大会と練習の違いを見ていた。
 
「練習は同じ環境でさせてもらってるので、普段も見ているんですけど、大会になると雰囲気も変わって、今日来たときからアップとかもすごく時間を管理して一人一人動いているというのを見たので、実力以外にもそういう部分、自分は差を埋めていきたいなと思っています」
 

新星が持つマインド

2020全日本選手権トラックレース

スプリントで新田に猛追する中野

 
今大会前に新田率いるドリームシーカーレーシングチームに加入した中野慎詞は、昨年の全日本で既に頭角を現していた。昨年のオリンピック前最後のワールドカップシーズンに向けてナショナルチームのメンバーが仕上がっているなかのケイリンで2位という結果は衝撃的だった。現在は早稲田大の3年生で、激戦区の中で唯一、大学生でナショナルチームのA代表として選出されているほど実力を買われている。
 
新田が持つ中野に対しての印象はこうだ。
 
「日頃から僕たちは練習を一緒にやっているので、その練習の中でのタイムは、彼の同年代と比べると一目置く存在だなっていうのは感じました。ただ、僕は成績だけでは考えていなくて、人間性も見ていて、行動力とか決断力、考え方が今時の子というか、すごくスマートな考え方をする一方で男くささがあったりだとか、スポーツマンらしさっていうのも見え隠れするところが魅力的で、その辺りに僕は惚れて声をかけました」
 
本人と話をしてみると、大学生らしさをのぞかせながらも、今のナショナルのトップ選手に通じるような一本筋の通ったマインドを持っていた。
 
「初日のチームスプリントで自分のミスで金メダルを逃してしまったので、自分への怒りと悔しい思いからスタートした大会だったんですけど、引きずっている場合じゃなくて次の個人種目に切り替えて頑張ろうと思って臨みました」
 
結果、引きずらなかったのかを聞くと、こう返ってきた。
 
「引きずらなかったです。もう過ぎちゃったことですし、すぐ切り替えて。初日でダメだったからって他もダメっていうようじゃ、自分が目指している世界には飛び込めないと思っているので」
 
その言葉どおり、翌日以降の個人戦、ケイリンでは昨年と同じく決勝に上がった。スプリントでは1/4決勝まで勝ち上がり、新田と対戦。3回勝負で2回先に勝ったほうが1/2決勝へという場面で、先勝したのは中野の方だった。
 
「新田さんには勝てる、勝つと思って臨みました。去年とかは、”勝つ”とかじゃなくて、決勝に乗れただけでも良かったという部分があったんです。今年は力がついてきているのも自覚がありますし、トップの選手たちと対等に走れるようになってきているので、勝ちたい、勝とう、みたいな」
岩手県出身で元々アルペンスキーをやっていた中野は、足腰が強く、小さい頃から負けるのが嫌いだったそうだ。結果、2回戦、3回戦と新田の爆発力には敵わず敗退。レース後にクールダウンをしている新田のところへ中野が話しかけに行くシーンを見かけた。中野は涙を流していた。
 
「悔し泣きですね。勝てると思って臨んでいたので。競技で負けて泣いたことって一回もなかったんですけど、自分の中でそれほど自信があって、すごく勝ちたいっていう気持ちがあったからこそ出た涙なんだと思います。新田さんのところに行った時はすごい悔しかったですね。自分から『ありがとうございました』と言いに行って、いろいろ新田さんからアドバイスをもらいました」
 
2020全日本選手権トラックレース

新田に差し切られた中野

2020全日本選手権トラックレース

レース後に目に涙を浮かべながら話をする中野と新田

 
中野の目標はパリオリンピック。その上で、ワールドカップでメダルの獲得経験があり、実戦経験も多い新田や深谷のいるドリームシーカーで走ることには意味があると話す。
 
「強い深谷さん、新田さんの中で走れるというのは自分にとってすごく大きなことですし、自分が目指す世界、パリオリンピックで金メダル取るっていうのが自分の目標なんですけど、そこで勝つためにはそういう世界に入って、自分を磨くというか、強い選手たちの元でやるっていうのが大事だと思います。競技力の他にも戦術や戦略、走り方とかを教えてくださるので」
 
実際に加入して、変わったこともあるという。
 
「自覚も変わりましたね。お話をいただけたということは、少なくとも期待はされてると思うんです。期待されている中で下手な走りはできないと思っています。もっと気が引き締まったっていう感じですね。大学生としてやってるんじゃなくて、一応コンチネンタルのプロチームなので、プロチームの一員として、学生が入ったっていうのは今までなかったので、周りからも注目はされると思っています。そうやって期待されて入っているのに、予選で負けてしまったとか、タイムが出なかったとかそういうのは良くないと自分では思っているので。去年までだったら決勝行ったらいいなっていうくらいだったんですけど、今年は決勝行って当たり前で、優勝しようっていう気持ちで臨んだので、そういう面がすごく変わったのかなと思います」
 
今後、ワールドカップやネイションズカップに出場する機会も間違いなく訪れるはずだ。その日に目指すものとは。
 
「金を目指していきます。出るからには1位を狙っていきたいんですよね。3位以内に入れればいいやとか、表彰台でいいやってなったらそれまでだと思うんです。出るからには勝ちにいかないと、3位を目指したら3位にはなれないですし、優勝を狙っていくから、例えばそれがダメだったとしても次につながるし、そこで優勝できたら次はネイションズカップじゃなくて世界選手権とか、出る大会全てで優勝するという気持ちで戦っていきたいと思ってます」
 
21歳が世界の舞台で戦う日を楽しみに待ちたい。ケイリン・スプリントの現世界王者だってまだ23歳なのだ。伸び代は計り知れない。
 
2020全日本選手権トラックレース

最終日1kmTTでは、新田に続いて2位という結果の中野。2周目までは新田を上回るタイムだった

 
新田らが東京オリンピックに向けて代表枠を、そしてその頂点をかけ、戦って築いた日々は、確実に一つの指標となってチーム全体が前へ進んでいる。短距離種目において、次のパリ、その先に向けても明るい材料は多い。日本が自転車強豪国へ向けて歩みを進める片鱗を見た気がする。
 
 
 
2020(第89回)全日本自転車競技選手権大会 トラック・レース
開催期間:2020年11月5日〜8日
開催地:ヤマダグリーンドーム前橋(群馬県前橋市)
 
チームスプリント
1. チーム・ケイドリームス1(荒川仁、寺崎浩平、山崎賢人) 59.930
2. Dream Seeker Racing Team(新田祐大、中野慎詞、深谷知広) DNF
3. JPCA(小原佑太、新山響平、松井宏佑) 1:00.576
 
1kmタイムトライアル
1. 新田祐大(JPCA/Dream Seeker Racing Team) 1:01.551
2. 中野慎詞(岩手/Dream Seeker Racing Team) 1:02.011
3. 小原佑太(JPCA)1:02.260
 
スプリント
1. 深谷知広(JPCA/Dream Seeker Racing Team)
2. 山崎賢人(JPCA)
3. 新田祐大(JPCA/Dream Seeker Racing Team)