「アンバウンドグラベルXL 350マイル=560km」に、トレイルランナー山本健一氏が挑む!

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世界最大のグラベルレース「アンバウンドグラベル」。大会最長のXLカテゴリーに挑むのは、プロトレイルランナーの山本健一(やまもとけんいち)。総延長約580km、獲得標高6750m、タイムリミットは36時間。初出場で総合28位の高記録を打ち立てた、熱き走りの舞台裏に迫る。

アンバウンドグラベル2025

得意分野はウルトラレース

24時間55分53秒。走った距離は579.7km。好きなことを全力でやれた満足感と、終わってほしくない寂しさと。カラカラに乾いた身体に、感情の洪水が怒涛のように押し寄せる。とにかく圧倒されっぱなしだ。初挑戦のグラベルレースに、僕は身も心もやられてしまったらしい。

僕、山本健一はプロのトレイルランナーだ。100マイル(160km)に代表されるウルトラトレイルを主戦場に、10年以上にわたり世界中のビッグレースを転戦してきた。ライフワークはトレイルラン、スキー、そしてサイクリング。グラベルライドを始めたのは3年前。年がら年中、とにかく山を駆け回るのが大好きな男なのだ。

自転車との出会いはまさに“怪我の功名”だ。というのは、故障の療養期間でできるトレーニングにロードバイクが最適だったから。ランナーに怪我はつきもので、治して走ってを繰り返した。全関節を酷使するトレイルランとは違い、自転車は着地衝撃がなく身体に優しい。クロストレーニングの一環としてロードバイクを始めたのは2013年。程なくして、いつもトレイルランでお世話になっているA&Fの新美さんから紹介され、グラベルバイクと出会った。

以来、スチールのアドベンチャーバイクで地元山梨の林道を駆け回った。ライド仲間は行きつけのショップ「YOU CAN 山梨店」の高野店長。オフロードを走る喜びは、脚でも自転車でも全く同じだ。風と一体になるロードも気持ちいいけれど、多彩な路面を乗りこなすグラベルのほうが性に合った。スピードに捉われない自由さや、遊び方の幅が広いのもお気に入りだ。ランでは味わえないスピード感とスリル、そして機材を自在に操る奥深さがそこにはあった。

ハマったとはいえ、自転車のレースやイベントに参加するほどではなかった。本分はランナーであるし、ただ楽しくペダルを漕ぐだけで満足していた。ある日いつものように新美さんとトレイル談義をしていると、大会の話が転がりこんできた。どうやらアメリカにものすごい自転車イベントがあるらしいと。名はアンバウンドグラベル(以下UB)、会場はカンザス州の小都市エンポリアだ。

便利なもので、世界中のエピックなレースを家にいながら鑑賞できる時代だ。UBも様々なレポートや動画が上がっていたから、情報収集は簡単だった。それが新世界の入り口だった。

アンバウンドグラベル2025

泥まみれへの礼賛

衝撃的だった。地平線まで伸びる真っ白い農道を、カラフルな大集団がすさまじい速さで駆け抜けていく。バイクもジャージも判別できないほど泥一色に染まったライダーたちは、見たこともない世界の住人だった。トレイルレースでも泥は被るけどせいぜい腰下までだから、ビジュアル的なインパクトが全然違う。カッコイイ、僕もこんな全身泥まみれのレースをしてみたい。直感的にそう思った。

UBのカテゴリーは全部で6種類ある。ジュニア50、25、50、100、200、そしてXLの350マイルだ。花形の200マイルは競争率が高く、トッププロは8時間台でゴールする高速レースだ。一方で、僕の得意分野は10時間以上の超長距離レース。ウルトラランナーとしては問答無用で350一択だ。人生初の自転車レース、それもいきなりのXL参戦。なんとも僕らしいじゃないか。挑戦はこうして動き出した。

アンバウンドグラベル2025

自転車については初心者だけど、ウルトラレースならベテランの域だ。だから長距離走に関しては、ある程度自信と経験があった。出るからには絶対に完走しベストを尽くしたい。そこで機材面で少しでも有利になるように、軽量で速いカーボンフレームのバイク(コナ・リブレCR)を準備した。タイヤはパナレーサーのグラベルキングX1、サイズは45C。レース当日は1.7気圧で走らせた。加えて夜通し走るためのハイパワーなライト、長時間稼働のCOROS(カロス)のサイクルコンピューター、チェーンオイルや非常食を入れるバッグ一式を取り付けた。

補給戦略も重要だ。XLでは外部サポート禁止、ガソリンスタンドの売店は利用OKで、道中6箇所ほど立ち寄れる。休憩時間抜きで平均時速20kmとすると、ゴールまで29時間以上かかる。行動時間から消費カロリーを逆算して、必要な数のジェルとフラスクをバックパックに詰め込んだ。他にはグミを2パック、水のボトル1本、600kcal摂取できるANSWER600(アンサー600)の粉を仕込んだ空ボトルを1本、保険としてバイクにセットした。緊急時を除いて固形物とカフェインは一切摂らず、オール液体摂取だ。クレイジーに見えるかもしれないけど、これは経験から導き出した僕の最適解だ。

挑戦にあたって、撮影クルーから現地サポーターまで良いチームに恵まれた。いざカンザス入りすると、メディアで見た通りの煌びやかでチルい雰囲気が心地よかった。みんな仕上がってるし、どのバイクも速そうだ。世界中のレーサーを惹きつけるのも納得の、ある種の熱狂が渦巻いていた。

補給の準備 アンバウンドグラベル2025

レースであってレースじゃない

XLのエントリーは208名、うち日本人は3名。この場にいる全員仲間であり勇者だ。制限時間は36時間。金曜日の午後3時、どのカテゴリーよりも先駆けてスタートした。さあ、長くて短い1日の始まりだ。

肝心のレース戦略だが、序盤はとにかく抑えることに決めていた。これは八ヶ岳の矢野さんからもアドバイスされたことで、周囲に流され飛ばしすぎれば自滅まっしぐらだ。猛スピードの先頭パックは早々に見送り、第3パックで余裕をもって過ごす。行きずりのライダー達とローテーションを回し、ソロでは出せないスピードでかっ飛んでいった。実は集団走行はこれが初めてだ。上りで集団がスローダウンしても、ぐっと堪えて飛び出さないように抑える。最初の100kmはあっという間だった。

XLにエントリーした日本人3人 アンバウンドグラベル2025スタート

コースはもう最高の一言だ。大半は引き締まったフラットグラベルで、日本にはない路面がどこまでも気持ち良すぎる。山梨のホームコースはガタガタでピーキーだけど、ここではスムーズにペダルを回し続けられる。ほどよく締まった林道、突如現れるドロドロの水溜まり地帯、全速力で突っ込むとずぶ濡れになる渡渉、泥で固まったテクニカルな轍、真っ暗闇のトレイル。どこまで行っても飽きることはない。カンザスの荒野に身を委ね、夜も夢中で走り続けた。

ピットストップは100マイルおきに3回、ラスト50マイル前に1回とざっくり決めていた。売店に着いたら、フラスクにジェルの原液2パック(550kcal)を流し込み、買ってきた水で薄める。これを8セット作ってバックパックに仕込み、うち2本はすぐ取り出せるフロントポケットにイン。加えて水のハイドレーション2Lも背負う。全て液体だから効率的に、ハンドル操作を邪魔せず安全に補給できるのだ。この戦略はうまくハマり、最後まで走りに集中できた。緊急用のカフェインタブレットは、道中で友人になったライダーにあげてしまった。

あらゆる面で、XLは100マイルのトレイルレースに似ていると分かった。まずオフロード競技だし、レース時間、夜間走行、補給、ペーシングなど、過去の経験が大いに生きた。トレイルと違うのは進行速度の速さだ。サイクルコンピューターの距離の減り方が遥かに早く「飛ばしすぎじゃないか!?」と心配になるほど。また、トレイルでは1時間以上登りっぱなしという場面も少なくないが、UBでは一切ない。そう考えると気楽だ。細かなアップダウンで脚を休めながら、足攣りに気をつけて漕ぎ続けた。

とりわけ印象的だったのが、レース全体にただよう空気感だ。道中を共にするライダーたちは、ライバルというより旅の仲間だ。最難関に挑むというリスペクトが見えない絆を生む。パックがバラけてからはソロライドが続いたけれど、すれ違うライダーには声をかけるようにした。走りながらおしゃべりして、我に返るとゴールに近づいている。パンクした参加者を気遣いあったり、食料を融通したり、全員で完走を目指す。その姿がただ美しかった。

まだ走りたい、終わってほしくない。走り出した直後からそんな思いが頭を巡る。僕は今、最高にレースを楽しんでいる!

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感情の洪水に溺れる

どんな旅にも終わりはある。ゴールを切ったのが午後3時55分。想定以上に順調すぎて、西の空はまだ明るいままだった。丸1日走って身体はボロボロだけど、心はもうちょっと走りたいほどに充実していた。唯一心残りなのは、意外と顔まで泥まみれにはならなかったこと(笑)。大会記録が連発するドライコンディションだったから、水たまりが全然なかったのである。会場でもらった泥掻き用の木のヘラは、最後まで使うことはなかった。

終わってみれば全身筋肉痛。余すことなく身体を使えたということか。足腰と手の疲労が特に凄まじく、終盤はフロント変速すらおぼつかないくらい手がしびれた。かたい轍にハンドルを取られ落車は2回したけど、結果的にパンクもメカトラも一切なく、正しい機材で走り切ることができたと思う。初出場で28位と善戦できたのは、これまでのウルトラレース経験のおかげだろうか。何よりサポーター、サプライヤーの皆様に感謝したい。

アンバウンドグラベル2025フィニッシュ

ウルトラトレイルにハマって約15年。ゴールで味わう成功体験と達成感、さみしさ、うれしさ、いろんな感情が爆発するあの快感に、僕は長いこと囚われてしまっている。XLのゴールも全く同じだ。ありがとう、それ以外何も言うことはない。挑戦者だけが味わえる境地に、自転車でも辿り着くことができたのだから。“グラベルで世界とひとつになる”あの感覚は、UBがくれた1番の贈り物だ。完走賞のでっかいジョッキグラスと、どうにも消えない手のしびれをちょっとしたお土産に、日本に帰国した。

相変わらず、自転車についてはよく知らないままだ。でも初心者だった僕も、いっぱしのグラベルライダーになれた気がする。レース中に「来年も来よう」と心に決めた。チャレンジはまだまだこれからだ。日本にはXLほどのビッグレースはないけれど、グラベルを通して色んな景色を見てみたい。ランもバイクも、ひとつしかない身体であれもこれも楽しみたいと思う。来年は大集団で泥だまりに突っ込んで、頭から足まで泥にまみれるとしよう!

山本健一さん