旧街道サイクリングの旅 vol.7 旧東海道をゆく
目次
旅も4日目。宿の窓から差し込む太陽の光で早々と目が覚めてしまった。寝ぼけ眼で準備を始めたがなんだか頭が重い。そういえば昨夜はシシャチョーさこやんが本来の元気さを取り戻し、夕食どきに二人してハイボールのジョッキをがぶ飲みしてしまったのだった。予定では3日目に吉田宿(豊橋)に着いているはずだったが、予想外の暑さで遅れてしまっている。しかし昨日の走行が存外うまく行ったこともあって気を良くし、アテの魚も美味かったので「我々の旅はゆるりと行く旧東海道体験の旅だ。焦る必要は無い」などと言い合って調子に乗って飲んでしまったのだった。
そんなこともあって暑さもあるのでしっかり目が覚めてから出発することにした。
体も慣れた?4日目
まずは出発。2人して鳴海宿を目指す。
早朝の市街地は通勤で急ぐ人々でいっぱい。そんな中をかき分けるようにサイクリストの2人は進んでいく。
信号、信号、二段階右折、信号、また信号。なかなか遅々として進まない。そのうち太陽も高くなり、すでに2人とも汗びっしょりだ。
日本のサイクリング事情に思う
名鉄の呼続駅近くの山﨑川を越えたあたりでようやく走れるようになった。
気持ちよく走っていると、商店街の横に細く狭い路地を見つけた。シシャチョーさこやんが「ちょっと行ってみましょか?」。寄り道の余裕が出てきてすっかり旧街道旅を楽しんでいる。ひたすらサイクルコンピューターやパワーメーターを見ながらトレーニング的に走るのとは違い、旧街道サイクリングはこんな寄り道が本当に楽しい。自転車で旅をする醍醐味の一つだ。
そういえば先日、海外の視察でヨーロッパとオーストラリアに出かけた。仕事の途中でふと街中を見ると、様々な年齢の人が、様々な目的でスポーツバイクに乗っている。コミューターとしてはもちろん、トレーニング、ツーリング、マウンテンバイク、そしてたくさんのeバイク(電動アシストスポーツバイク)。サイクルウェアを着込んだ人もいたが、他にもパニアバックをつけた人、夫婦でカジュアルにサイクリングをしている人など、社会にスポーツサイクルが溶け込んでおり、車種もちゃんと目的とマッチしているように見受けられた。一方日本では、メーカーもメディアもサイクルショップもとにかく海外のロードレースやトレーニングメソッドの情報がメインで、MTBやツーリングなど、他のセグメントの情報は限定されてしまっている。そして車種がロードバイクに集約してしまっているのだ。本当に日本でのサイクリングはロードバイクだけで良いのだろうか?いろいろな課題があるとは思うが、ひょっとしたら遊び方も画一的になってしまっているのではないか。スポーツとしての自転車の将来は?と危惧してしまう。
シシャチョーさこやんのように、ある程度の年代でサイクリングに目覚めた人などには、現状では車種も遊び方も提案できていないのではないか?そんな人たちに超軽量の競技向けロードバイクを勧めることが正しいのか?フィッティングと称し、何でもかんでもレーシーなポジションをさせてしまうことが正しいのか?シシャチョーさこやんが眼を輝かせて何度も路地を走っているところ見るうちに、そんなことを考えてしまった。
旅は有松に差し掛かった。重要伝統的建築物保存群指定地域である。重厚な建築物が立ち並び、旧街道の特徴である曲がった道が伸びている。走っていて旧街道を感じる数少ない場所だ。電線も地中化されており雰囲気たっぷりだ。今日の旅の主目的地でもあるので2人して写真を撮り合う。1軒の家からご婦人が出てこられてこの辺りで有名な有松絞りの話を伺うことができた。残念ながらまだ店が開いていなかったので絞りを買うことができなかったが、江戸時代からの道中土産としては非常に有名なものなので次回はぜひ手に入れたい。ご婦人にバイクの写真を家の前で撮らせて欲しいと頼むと快く許していただけた。まだ朝と言うこともあり観光客もおらずたっぷりと雰囲気を楽しむことができ満足して有松を発つ。
「池鯉鮒」って?
「これ何て読みますの??」シシャチョーさこやんが聞いてくる。
「“ちりゅう”です」
「“ちりゅう”は“知立”ちゃいますの?」
確かに。
「池に鯉と鮒が付いているので水に関係するのかと思って調べたことがありますが、謂れは見つけられませんでした。」
とにかくその“ちりゅう”に着いたのだが、どこが宿場町の中心なのかわからない。おまけに写真を撮っているうちに道を間違ってしまい2km以上を余計に走ってしまった。気がついたら池鯉鮒宿は終わってしまっていた。シシャチョーさこやんに詫びる。ガイドとしてちょっと反省。
暑さでちょっとぼやけてしまったのかもしれない。
なにより事故に気をつけないと。
曲がりに曲がった二十七曲がり
「次は岡崎ですよ!」
「おぉ!都会ですな!ようやく昼飯が食えますな!」
岡崎宿は岡崎城の城下町である。一般的な城下町の特徴として、城下の道を直角に曲げて敷設し、敵が一気に城下に攻め込めないように工夫した。ここ岡崎ではなんと27箇所も道路を曲げてある。「岡崎の二十七曲り」だ。もちろん現在は碁盤の目のように道路が敷設されているので一つひとつは交差点になっている。歩いて東海道を旅する人にとっては楽しい区間だが、サイクリングでいくとこれがなかなかにキツい。止まっては曲り、信号を待ち、また止まるの連続だ。そして都市化されているので往時のものはほとんど目にすることはできない。それでも辻々に残る石の道標に導かれて江戸口まで進むのは楽しかった。街中を進むことに集中するあまり、美味しそうな地元飯が食べられそうなところを逃してしまった。仕方なくふたりして牛丼チェーン店でそそくさと昼飯を済ませる。
江戸幕府は五街道を手始めに全国各地の街道整備を行った。宿場町や本陣、伝馬制度など。そして松並木も大切な整備事業だった。旅人を風雨や日差しから守った松並木は戦前まで全国あちこちで見ることができた。残念ながら戦中の松根油の採取による伐採と都市開発のためにほとんどが姿を消してしまったが、池鯉鮒宿から藤川宿、赤坂と御油宿までは、見事な松並木が残っており往時の様子をよくとどめている。4日目の見所の一つだ。確かに下を通るときは日が陰って涼しく感じられる。これも旧東海道サイクリングならではの経験だ。
「おもてなし」はありがたいのだけれど……
日が随分西に傾いてきた。暑さも幾分和らいだ気がする。その頃になって赤坂宿にたどり着いた。ここには数年前まで実際に昔のまま営業してきた旅籠「大橋屋」がある。当時の姿をとどめた貴重な建物であり、何より安藤広重の浮世絵「東海道五十三次」に描かれた旅籠だったので、いつかは宿泊してみたいと思い続けてきたが、先日ついに廃業されたと聞き大変残念に思っていたのだった。その後、行政が買い上げて資料館にしていると言うことだったので、是非とも立ち寄ることにした。
果たしてたどり着いてみると、そこには立派に再現された大橋屋があった。安藤広重は当時ここに逗留した様子を浮世絵に描いている。宿の中庭にある石灯籠と蘇鉄が写実的に描かれている。回廊の障子は開かれており、湯上りの男や化粧をする飯盛女、給仕の仲居、客に売り込む盲目の按摩師などが生き生きと描かれているのだ。
そんな話をシシャチョーさこやんにしていたので彼も当時の雰囲気を期待していたのだろう。眼を輝かせて大橋屋に入ったのだが……敷居を跨いだ瞬間。
「ようこそいらっしゃいました。どうか10分お時間をください。民間のボランティアをしています。」
「あ、そ、そうですか……い、いや結構です……」とシシャチョーさこやん。
「せっかくですからぜひお聞きください!」
「ま、まずはゆっくり見させてください。」と私。
「そうはおっしゃらずに!せっかく来たんですから!ボランティアなのでお金は要りませんから!」
「いや結構です……1人でゆっくり見させてください……。」とシシャチョーさこやん。
どうもシシャチョーさこやんはこんな風にいきなりお世話されるのが苦手なようだ。
ボランティアの方の一所懸命なご説明もありがたいのだが、ここは街道の当時の様子を感じられる貴重な場所。1人で雰囲気を感じながら見たかったのだろう。
なんとなくわかる気がする。確かに詳細な情報を知ることが得られて良いのだが、それより先に旅の雰囲気を味わいたいことは往々にしてある。特にこのような旧街道旅の場合、当時に思いを馳せていたいものだが、それを味わう間も無く、入ってすぐに見るものも見られず延々と話しかけられのが苦痛に感じてしまうことがあるのだ。ボランティアの方が誠心誠意お話をしてくださるのはよくよく理解できるのだが、そこはどうか旅人目線で雰囲気が先か説明が先かを選べるべきであって欲しい気がする。入ってすぐ押されてしまい、のっけから大橋屋の雰囲気を感じることができなくなってしまった。残念……。大変申し訳ないのだが……。
なんとか2人で二階に上がり佇んでいたのだが、いつの間にかボランティアの方が上がってこられており、突然声をかけられる。
「ここは昔は……」
「ええっちゅうてるのに!!……まったく」
シシャチョーさこやんはどうやらオジサンに好かれるようだ。
赤坂宿とほぼ繋がってい御油宿を抜けた後は市街地を一気に走り吉田宿へ。
日はほとんど沈みかけていた。4日目の旅も無事に終了。距離は80kmを越えていた。普通のサイクリングなら80kmぐらいはなんと言うこともない距離だが、旧街道サイクリングでは通常の速度の半分も出せない。たどり着けるかハラハラしながら走ったがなんとかたどり着けた。
吉田宿を流れる豊川に佇むシシャチョーさこやん。初めての旧街道サイクリング、初日の暑さなど困難もあっただろうが、夕陽に照らされる横顔は満足そうに見えた。そしてJR豊橋駅で手際よく輪行の準備を済ませ、ホームを上がっていく後ろ姿はすでにベテランサイクリストの雰囲気すら漂っていた。
旅はこの後しばらくして吉田宿から続く。
参考文献:
今井金吾「今昔東海道独案内」(JTB出版事業局)
歌川広重「東海道五十三次五種競演」(阿部出版)
あんらくよしまさ「大津百町我儘百景」(サンライズ出版)
八隅蘆菴著/桜井正信監訳 「現代訳 旅行用心集」(八坂書房)
【text & photo:井上 寿】
滋賀県でスポーツバイシクルショップ「ストラーダバイシクルズ」を2店舗経営するかたわら、ツアーイベント会社「株式会社ライダス」を運営、各地のサイクルツーリズム造成事業を主軸としつつ、「日本の原風景を旅する」ことをテーマにした独自のサイクルツアーを主宰する。高校生の頃から旧街道に興味を持ち、以来五街道をはじめ各地の旧街道をルートハンティングする「旧街道サイクリング」をライフワークにしている。趣味は写真撮影、トライアスロン、猫の飼育。日本サイクリングガイド協会(JCGA)公認サイクリングガイド。
取材協力:RIDAS(ライダス)