旧街道じてんしゃ旅 食の街道編 餅の双六完全制覇? 新春の伊勢街道を走る 二日目
目次
ツアーイベント会社(RIDAS/ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画。今回は江戸時代「一生に一度は」と、庶民の間で大ブームとなった「お伊勢参り」の参拝ルートを巡る旅だ。
名物も食べ過ぎ注意
昨夜の夕げは豪華にも鰻&松阪牛のハイブリッド丼を食した。大ぶりの鰻の香ばしい香りと松阪牛の油が、朝起きてもまだ口の中に残っているような気がする。そして鰻丼を酒のあてにするわけにもいかず、二人して餃子を食べに出かけ、しこたまハイボールを飲んでしまった。
どうも餅の甘さの反動が来てしまったらしい。まったく……。
そんなわけで今回の二日目は、いつもの旧街道じてんしゃ旅に戻って、気だるいなかでの出発となった。
「まだ腹がこなれてない感じです。朝食もあんまり食べられませんでした」
「当たり前や! アンタ大盛り頼んどったやろ(笑)。高校生じゃあるまいし、そりゃこなれへんわ!」とシシャチョーがあざけるように笑う。
「も、餅が効いてるんですよ! 餅が!」と言い訳気味の筆者。
だが幸いにも今日はわずか30km弱の道程だ。そこまで腹は減らないだろう。早めに到着して、伊勢神宮とおかげ横丁を取材することにした。
それはそうと昨日は松阪宿に着いたのが遅かったものだから、昨夜は街の中を見ることができていない。
シシャチョーが「ぜひに!」と言うので、この辺りの名所である「松阪城」と「御城番武家屋敷」を見に行くことにした。
松阪城は非常に広大で、威容ある石垣がいまも残る城である。近江出身の戦国武将・蒲生氏郷によって築かれた城で、城下には武士の暮らしを守る警護の藩士たちが住んだ「御城番屋敷(ごじょうばんやしき)」が置かれた。現在もその姿をとどめる武家屋敷であり、朝日の中で白壁の美しい町並みを見ることができた。
松阪宿は城下町、武士の町というだけではない。伊勢参宮街道沿いに栄えた商人の町でもあり、ここから日本の近代商業史を動かした三井家が生まれた。もともと呉服商として始まった三井家は「越後屋」として大いに繁栄し、店主は「三井越後守」とも呼ばれた。武士階級のための商いを庶民へと開き、後の百貨店文化の原型をつくったという。
明治になると越後屋は三越へと姿を変え、日本橋に本店を築く。五街道の起点である日本橋の袂に建つ三越は、浮世絵にも残る「大店」であった。今も日本橋には三越本店がある。
滋賀県出身の筆者にとって、近江出身の蒲生氏郷が拓いた城下町であり、旧街道じてんしゃ旅の起点・日本橋へとつながる三井の故郷でもある松阪宿は、一気に身近な存在に感じられた。

旧東海道編の再現。井戸水を汲み上げる
へんば餅
伊勢に入り、へんば餅の店に着いた。昨日のコンビニエンスストアのお姉さんがおすすめしてくれた店だ。なるほど人気店だけあって、ひっきりなしに客が訪れている。
へんば餅の由来を調べてみると、伊勢神宮の神域には馬に乗ったまま入ることができなかったという。そこで旅人は馬を降り、預ける場所が設けられていた。その辺りを「返馬(へんば)」と呼び、そこで売られていた餅が「へんば餅」になったそうだ。
今の感覚で言えば、駐車場のような場所で餅を売っていたのか……というイメージが浮かんでくる。
「井上はん、確かにこの餅うまいわ!!」
餅を頬張りながらシシャチョーが言う。筆者も昨日の餅の食べ過ぎを思い出したが、一口食べてみた。なるほど、確かにこれはうまい。粘り気が少なく少し硬めで、歯切れのよいところが好みだった。
「これはうまい! ヨメに買うて帰ろう!」とシシャチョー。
「あれ? コンビニのお姉さんには買って帰らないんですか?(笑)」
「そんなもん、誰が買って帰りますかいな!!!」
ズッコけた。
ところで、こうした街道沿いの餅などは、当時はいったいいくらぐらいだったのだろう。調べてみると、宿場や間宿の茶屋で売られていた甘味は、だいたい20〜100文ほどだったという。現代の感覚に置き換えれば800円から4000円程度。旅の道中食としては、決して安くない。
では一回の伊勢参りには、どれほどの予算が必要だったのか。実のところ庶民にとって伊勢参りは、人生最大級の出費を伴う一大旅行であった。旅籠は一泊二食付きで130〜200文ほど。現代で言えば6000円から1万円前後に相当する。さらに川渡しや渡し船の賃銭、土産物や遊興の誘惑も加わり、結果として一日あたり1万5000円〜3万円ほどの出費になったと考えられる(もちろん地域や街道によって幅はある)。
往復で数十日にも及ぶ伊勢参りは、個人では簡単に賄えない旅だった。だからこそ村や町では講中を組み、積立によって代表者を送り出したのである。順番が回ってきて、ようやく一生に一度の伊勢参りが叶う、そんな旅だった。
金のない旅人は木賃宿(きちんやど=煮炊きの薪代だけで泊まれる簡易宿)に泊まったり、施しを受けながら旅する者もいたという。
いよいよ伊勢神宮へ
しばらく走って斎宮(さいくう)宿に差しかかる。ここから先は宿場町が近い距離で連続していく。終着点である伊勢に、それだけ多くの旅人が押しかけたということだ。旅籠や茶屋、土産物屋、そこに働く人々。宿場町は膨大な参詣客を受け入れるために整備され、伊勢参りという一大ブームを支えていたのだろう。
やがて山田宿に到着。豊受大神宮(外宮)に立ち寄ろうとしたが、この日は日曜日で参拝客があまりにも多い。駐輪場も見つからず、たじろいだまま先へ進むことにした。
伊勢の終盤では小俣、山田、古市、宇治という宿場町が連続するが、それぞれ性格は大きく異なる。
小俣宿は伊勢直前の控え宿で、旅人が門前へ入る前に息を整える静かな宿場だった。規模は小さいが、古い町家や道標が残り、街道の余韻を感じさせる。宿場に入る頃には、道の表情がもう門前町のそれになってくる。古い道標だけでなく、「伊勢参宮街道」と書かれた現代の案内もあちこちに見えるようになり、空気がぐっと伊勢に近づいていく。
山田宿は外宮門前の巨大宿泊都市である。講中の団体参宮客を受け止めるため旅籠や宿坊が密集し、参宮最大の拠点として栄えた。今も外宮門前には商店が並び、当時の様子をうかがわせる。
古市宿はその中間に位置する独特の町で、宿坊と遊興が混在した“参宮の解放区”だったという。信仰の緊張がほどけ、夜には羽目を外す旅人も多かったという。一生に一度の大冒険を楽しむ旅人たちがにぎわいを作った場所でもあった。
そして宇治宿は内宮門前、旅の終点である。宇治橋を渡れば伊勢神宮。門前町の空気が一気に濃くなり、赤福に象徴される甘味や土産物が所狭しと並んでいた。
その門前のにぎわいを現代に蘇らせたのが「おかげ横丁」である。江戸から明治期の町並みを再現し、伊勢うどんや赤福など伊勢の味が集まるこの一角は、参宮文化を追体験できる場所となっている。
いよいよおかげ横丁に入る。しかしこの日は日曜日。自転車を押して歩くのも難しいほどの人混みだった。何とか通り抜けて、伊勢うどんを食べ、伊勢神宮の参拝へ……と試みたが、混雑と駐輪場の問題もあり、お参りは次回に持ち越すことにした。鳥居の前で手を合わせ、伊勢神宮を後にする。
帰路は近鉄・五十鈴川駅から桑名宿まで輪行だ。
「井上はん、今回もおもろい旅でしたな! 食と信仰というテーマも良かった!」
「本当ですね。食と何かを組み合わせると、旧街道の旅はもっと広がりそうです」
そうなのだ。有名な街道だけが旧街道じてんしゃ旅ではない。全国に四百本、五百本とも言われる江戸時代までの道には、まだ無数の食と歴史が眠っているに違いない。
輪行の支度を終え、電車を待つ。だが昼食は伊勢うどんだけでは足りない。腹が減ってきた。
「腹減ってきましたね。もうちょっと何か食べておけば良かったな……」
「井上はん、なんや腹減ってんのか(笑)」
シシャチョー迫田さんがニヤニヤしている。
「餅やったらあるで!」
鼻先に突き出された。
やめい!!
餅はしばらく遠慮しておく。

今回の取材で伊勢までの現地情報をいただいた、桑名宿にある自転車メーカー「Muller(ミューラー)」の手塚社長と犬の豆ちゃん。ありがとうございました!































