旧街道じてんしゃ旅 食の街道編 餅の双六完全制覇? 新春の伊勢街道を走る
目次
ツアーイベント会社(RIDAS/ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画。今回は江戸時代「一生に一度は」と、庶民の間で大ブームとなった「お伊勢参り」の参拝ルートを巡る旅だ。
名物をたどる旧街道じてんしゃ旅
安芸灘とびしま海道にある「海の宿場町」を巡る取材を終え、今治から岡山まで輪行で帰る途中のことだった。
「井上はん(筆者のこと)、おもろい旅やったなあ~」
「島の風景もさることながら、地域の人との出会いがよかったですよね!」
「いやホンマに!! おまけにたくさん食べましたな……どれもうまかった」
シシャチョーこと迫田さんも筆者も、とびしま海道の旅は純粋に“おいしい旅”として記憶することになった。
有名な名産品もあれば、素朴で思い出深い地元の味もある。そして何より、そうした品々を忘れがたい土地の人たちが、惜しみなく提供してくれる。本当にありがたい思いだった。
「井上はん、この調子で“食”の旧街道、続けましょうや!!」
「そうですね!! ぜひに!」
とは言ったものの、単においしい名物を味わうだけなら、旧街道じてんしゃ旅でなくてもできてしまう。
それに私は、世間でよく見かける“グルメサイクリング”というものを、あまりやりたいとは思わない。サイクリングをスポット巡りのための単なる手段にしてしまうのは、少し違うと感じているのだ。
だから旧街道じてんしゃ旅である限り、走る道そのものに意味を持たせ、その道すがら名物をいただく、そんな旅のかたちでいきたいと思っている。
「でも迫田さん、おいしいカフェ巡りやオーベルジュ巡りみたいなものにはしたくないですね。それだと旧街道じゃなくてもよくなってしまう」
「当たり前ですやん! それやと誰でもやってるサイクリングやん! ワシらは“令和のやじきた”でっせ! 旧街道を外すようなアホなことはしまへんで!」
それを聞いて、ほっとした。
旧街道は祈りと食の道でもあった
さて、そうは言うものの、次の旧街道をどこにするかとなると、少し悩んでしまった。名物を追いかけて旧街道を選定するのでは、やはりどこかグルメサイクリング的な発想になってしまう。
電車に揺られながら思いを巡らせていた、その時であった。瀬戸大橋が間近になったころ、ふと車窓に目をやると「四国霊場めぐり」の看板が目に入った。この辺りは昨夏、遍路道を自転車でたどった辺りだった。
電車の中からではあるが、偶然にもその風景を再び目にすることになったのである。
「迫田さん、次は伊勢街道にしましょう!」
「な、何で? 伊勢街道? 前も行ったやん!」
「旧街道は五街道のように、江戸時代の施政で整備された道だけじゃないんです。東には月山参りや富士山詣、西には伊勢参り、熊野詣、四国霊場めぐり……信仰に基づいて形づくられていった旧街道も多いんですよ!」
「なるほど。ほんで『食』とは絡むんでっか?」
「もちろんです! 江戸時代になると『信仰』だけではなく、『旅行』としての道にもなっていったんですよ」
「確かそうやったね! 箱根でそんな話を聞いたわ! よし! じゃあ次は伊勢街道や!」
こうして次の旧街道は決まった。
信仰が拓いた旧街道
日本の旧街道を自転車でたどっていると、たまに不思議な感覚に出合う。なぜこの山あいに道が残り、なぜ峠に石仏や常夜灯が立っているのか。旧街道の発達を語るとき、物流や軍事だけでは説明できない背景がある。それが「信仰」だ。
伊勢参りや熊野詣、善光寺参り。自由な往来が制限されていた時代、庶民にとって巡礼は旅することを正当化する手段であった。参詣者が増えれば宿場が生まれ、茶屋が並び、門前町が発達する。旅人の食や土産物が育つのは当然のことだった。信仰の道は同時に観光と経済の道でもあったのだ。
そして当時の旅は、山賊や追いはぎ、天候不順や体調不良など、現代と違って一つの出来事が生死に直結していた。旅をすることが人生の一大イベントだったのである。そのような社会状況のなかで、街道沿いの道標や石仏、常夜灯などは、いわば旅の安全装置であった。
信仰に基づいて多くの人々が寄進し、こうしたものを街道脇に建ててきた。現代ではそれらの文物を通じて、かつてこの道に確かな往来があったことが分かる。それらは旅人の不安と祈りの痕跡だ。
そうした背景を学んでから旧街道をサイクリングすることで、何でもない道がとても魅力的に見えてくるのだ。
江戸時代の観光ブーム“お伊勢参り”
伊勢参りは信仰の旅であると同時に、江戸時代最大の観光ブームでもあった。伊勢参りと称すれば、庶民であっても旅を許されることが多かったという。
現代と違って神仏への畏怖の念は強かったであろう時代のことだ。記録によると、庶民の六人に一人は生涯のうちに伊勢参りに出かけたという。
その旅のかたちを支えたのが講中(こうちゅう)である。村や町の仲間が積み立てをし、代表を送り出す。現代で言えば、庶民が自分たちで旅行会社をつくり、団体ツアーを運営していたようなものだった。
さらに興味深いのは、江戸の旅人たちが伊勢参りだけで終わらなかったことだ。東国からの旅では、伊勢参りに富士登山を組み合わせたり、さらに足を延ばして四国八十八ヶ所霊場を巡る者もいた。いくつもの霊場をセットにした“巡礼ツアーパッケージ”が生まれていたのである。
江戸の旅人は「道中細見」と呼ばれるガイドブックを懐に、宿場と里程を確かめながら伊勢へ向かった。「伊勢参宮細見大全」のような伊勢参り専用のガイドブックも出版され、名所、食、料金などが記載され、それを頼りに旅をしたという。伊勢参りはすでに“観光ツーリズム”の舞台となり、信仰と娯楽と食、その全てが混ざり合った熱狂的なブームと化していたのだ。
食の街道としての伊勢街道
伊勢街道を語るうえで欠かせないのが「餅」である。
巡礼路に甘味処が多いのは偶然ではない。街道沿いの餅は、サイクリングでいうところの補給食としての要素が大きかった。糖分の補給に適していたからだ。さらに餅は神に供える縁起物でもあり、祈りの旅にふさわしいものだった。
こうして伊勢街道、伊勢参宮街道にはあちこちに甘味処が設けられたという。
桑名の安永餅。四日市のなが餅。伊勢のへんば餅。伊勢門前の赤福。宿場ごとに甘味が生まれ、この街道はいつしか“餅街道”と呼ばれるようになったのだ。
「迫田さん、いつ伊勢街道に行きます?」
「二日後やったらワシ予定空いてるわ! ルート調べといてくださいや!」
「え? 二日後?」
こうして、二日後に出発することになった。
伊勢街道・伊勢参宮街道
ところで、伊勢へ向かう道は一本ではない。全国各地から伊勢神宮へ幾多の街道が伸びていた。その総称が「伊勢参宮街道」である。
一方で「伊勢街道」と呼ばれる道は、より具体的だ。東海道から分岐し、桑名宿を起点に四日市、鈴鹿、津、松阪を経て伊勢へ至る参宮の幹線ルート。旅人たちの列がもっとも多く移動した道でもある。今回は旧東海道を旅してきた流れで伊勢参りをするという想定で道程を組んだ。
以前、旧東海道の関宿から伊勢参りする「伊勢別街道」はすでに取材していたので、今回は同じく旧東海道の桑名宿、四日市宿を通る道程にした。
まず旧東海道の部分、桑名宿、四日市宿の三里八町(約12kmあまり)を走った後、日永の追分から伊勢参宮街道に入り、神戸(かんべ)宿、白子宿、上野宿、津宿、雲出宿、松坂宿、斎宮宿、小俣宿、外宮の門前である山田宿、「おかげ横丁」のある古市宿、伊勢神宮の門前、宇治宿の総合計二十三里あまり、92kmの旅だ。
さて出発
旅の起点は、JR桑名駅。この駅前には桑名宿の名物「安永餅」がある。この餅は焼き餅で、東海道、伊勢街道それぞれの旅人に愛好されたという。
まずは駅前のお店で「安永餅」を購入。旅前の補給食として持ち運ぶことにした。そして街道の出発点、旧東海道編で訪れた海路の「七里の渡し」にて食す。
「うまい! 焼き餅やから香ばしいわ!」とシシャチョー。
まず朝食がわりに安永餅で腹を満たしてペダルを踏み出した。
「懐かしいなあ! 井上はん! 旧東海道を走ったのはもう7年も前か〜」
後ろでシシャチョーがつぶやく。
「ほんとですね……あの時は真夏でしたが……」
そうなのだ。最初のロケは2019年の盛夏。コロナ前のことだった。
「あれからいろんな街道を走りましたね〜」懐かしい気分でこの旧東海道の区間を走った。
途中で買い求めたのが四日市宿の名物「なが餅」。安永餅と形は似てはいるが、こちらは餅が厚めで柔らかく、柔らかい。また小分けの商品がなかったので、7個入りの大きなものを買うことになった。
「お尋ねしますけど、伊勢街道は各宿場町、お餅で有名なんですよね?」
とシシャチョーが店員さんに聞く。
「さて?そうなんですね。でも私たちは伝統の味を守っています!」
と自社製品を誇りに感じておられるようだった。
おそらく往時も「他の宿場町には負けたくない」とう意識があったのだろうなと想像する。さすがに7個入りは大きいのでシシャチョーのリュックが膨らんでいた。
さて出発。
四日市は今も昔も大規模な街だった。宿場町の中心部にたどり着くには、桑名から出発してかなり距離を乗ることになる。
一見すると何の変哲もない市街地を走るだけという様子だが、国道のその脇をクネクネと曲がりながら旧街道は走っている。
市街地で見どころがないように思えるが、道の各所に古い道標が建っていたり、住民の方が手書きで「東海道」と書いてくれている。それで十分に旧街道の雰囲気を醸し出してくれているのだ。
しばらくして次の甘味処が見えたので立ち寄り。こちらでは桜餅とおはぎを食した。結構なボリュームでしっかりと糖分補給。再出発した。
いよいよ伊勢参宮街道へ
旧東海道(ここでは伊勢を目指すので伊勢街道)との分岐点、日永の追分(ひながのおいわけ)にたどり着いた。この追分は現在でも国道の中にひっそりと残されている。大きな道標が立ち、「右伊勢道」と刻まれていた。
現在もサイクリスト向けの白いロゴやモニュメントが人気だが、往時はこうした道標こそが旅人にとっての目印であり、道案内の役割を担っていたのだろう。当時の記録を見ても、伊勢参りの旅人がここで合流したらしく、想像を超える数の人々がこの追分を行き交っていたという。しかし現在では、そんな歴史を知らない自動車がバンバンと往来している。
しばらくして神戸(かんべ)宿に入った。この辺りから古い町家や道標、石仏などが目につき始める。少しずつ伊勢神宮に近づきつつあることが、風景の変化からも感じられる。
街道沿いに古い旅籠(はたご)が残されていたので、立ち寄ることにした。
白子宿で次の甘味処を発見した。桜餅の張り紙があったが、四日市の餅屋で、食べていたので、小ぶりの大福を購入する。
「ずいぶん餅を食べたんで、口がちょっと甘いなあ。お茶買いますね」
そう言って筆者は自販機で麦茶を購入した。寒空にもかかわらず、やけに水分補給が多い。空気が乾燥しているのと、お餅の甘さを和らげるためだろう。
海が近いようなので少し寄り道してみたが、堤防に遮られてまったく海は見えなかった。
昼げは餅? やめてくれ
白子宿からは、伊勢参宮街道が幾度も国道をまたぐようになる。移動距離はそれほどでもないが、信号待ちが増え、自動車の往来も多いため、次第に二人とも口数が減ってきた。
それに餅は食べているが、そろそろ昼食を摂る時間だ。
「迫田さん、そろそろメシにしませんか?」
「そやね! あ、そば屋がある。行ってみましょ」
そうしてそば屋を見つけたが、何となく旧街道の風情ではないし、三重県なのに信州そばののぼりが……。別のところを探そうと出発したが、今度はそば屋どころか自動販売機すらない区間になった。
しばらくの間、沈黙のまま進んでいく。いつのまにか上野宿に入っていた。
「井上はん、背中の餅が重いわ……。悪いけど昼飯は餅にしてや!」
「ええっ!? 昼飯まで餅? それは勘弁してください! 塩気が欲しい!!」
補給食としてならいざ知らず、さすがに糖分過多だ。おいしいお餅も、過ぎたるはなんとやら……。
「確かにな……そやけど食べるところないですやん!」
国道に出たところでコンビニエンスストアを発見。ここでカップ麺をすすった。
「食の街道なのにカップ麺ですよ!!」
と不満げな筆者に、
「おかず食べなはれ!」
と四日市のなが餅を差し出すシシャチョー迫田さん。ニヤニヤとしている。
まったくこの御仁は、人をからかう才能に長けている。ただ、塩分を摂ったあとの餅は確かにうまかった。
「そやけど、さすがに二人で7個は食い切れんな〜。あ、そや!」
「何ですか?」と筆者。
「レジのお姉ちゃん、めっちゃ可愛かったから餅あげてくるわ!!」
「や、やめなはれ! 迫田さん!」
と言うが早いか、シシャチョーはレジ前に突進し、箱ごと餅を店員さんに差し出している。レジに並ぶ他のお客さんをそっちのけで、彼女にずっとしゃべりかけている。お姉さんは仰け反りながらも、お餅を受け取っている。そしてわざわざお礼のために、店の外まで出てきてくれた。
「サイクリングで伊勢参りですか?いいですね! 羨ましい!! あ、そうだ、伊勢では『へんば餅』が有名ですよ! ぜひ食べてください!」
と、お餅の情報まで教えてくれた。
ありがたい。迫田さんの“おぢアタック”も、たまには良いことがあるようだ。
「ありがとね! へんば餅買ったら帰りにまた立ち寄るわ!! 絶対やで!」
と調子の良いシシャチョー。
この人、絶対に立ち寄ることはないな……と確信する筆者であった。
津宿に入る。
ここも大きな産業都市のため、旧街道としての面影は薄いが、それでも一里塚跡があったり、道標があったりとそれなりに風情は残っている。
それと全国的に人口減少と経済の停滞が言われて久しいが、この街に限らずだが、開発が停滞している気がする。日中の中心街は人通りが少なかったり、シャッター商店街になっていたり。
ただそれがある意味、「生き物としての街」を感じさせ、それはそれで旅情を感じることになった。
シシャチョー危機一髪
雲出川(くもずがわ)の渡しでは当時の様子を描いた案内看板が建てられていた。1日あたり、ものすごい数の人々が渡っていたらしい。
そんなことに思いを馳せつつペダルを踏んでいると、川の堤防を降りたところで叫び声がした。
「ちょっとアンタ! 待って!!」
振り返ると、女性二人がシシャチョーに向かって何か叫んでいる。
どこまで行っても女性に縁があるな、この人……などと思っていたのだが、どうやら様子が違う。
「アンタ!リュックが全開やで!」
「えっ!? なんやて!!」
と慌てるシシャチョー。
見るとリュックのファスナーが全開。どうやらコンビニエンスストアからずっとこの状態で走ってきたらしい……。
驚いて中身を確認するシシャチョー。幸い、何も落としていなかったようだ。
「よかったなあアンタ! 何? 伊勢参りか! おかげ参りにならんで良かったなあ」
とご婦人二人。
おかげ参りとは、金銭をほとんど持たず、道中施しを受けながら旅したことを言う。
まあとにかく、何も落としていなくてよかった。
辺りは次第に日が暮れ始めてきた。町並みは瓦屋根の民家が増え、あちこちに常夜灯が目につくようになる。往時は薄暮になるまで人の往来があったのだろう。道迷いや追い剥ぎを避ける道案内として、また道中の安全を祈って、これらの常夜灯に火が灯されていたに違いない。
ちょうど日が暮れるころ、松阪宿に入り、ホテルに投宿した。夕げはもちろん「餅」ではなく、名物の鰻と松阪牛を食した。
















































