2025筧五郎の三遠南信ぐるり旅・後編【愛知・長野・静岡】
目次
愛知県の東三河地域では、その豊かな自然を生かし、県、市町村及び、観光関係団体が一体となってオールシーズン、オールエリアでスポーツが楽しめる地域として「東三河スポーツツーリズム」を推進しており、僕・筧五郎自身も関わりが深い。2025年は東三河はもちろん、県境を越え遠州や南信州(東三河と併せ、総称して「三遠南信エリア」と呼ぶ)の魅力的な道や豊かな環境を繋ぎ、ダイナミックにぐるりと巡るように⾛ったらどうなるだろう? という想像が膨らみ「筧五郎の三遠南信ぐるり旅」として約380km/獲得標高約5700mを⾛破する4日間をかけた旅に出ることにした。今回は旅の後編となる3、4日目だ。
2025年7月6日(日)Day3
三日目のスタートは「名勝・天竜峡(長野県飯田市)」からだ。天竜川の浸食によって造りだされた、南北約2kmにわたる峡谷で、昭和9年に名勝として国指定を受けている。特に四季を通じて舟下りが楽しめるとのこと、僕も一度乗ってみたいものだ。温泉も有名で、アルカリ性単純泉のお湯はとろりとしており、柔らかで美肌の湯とも言われており、昨夜は宿泊先でそのお湯を堪能させてもらった。
「さすが長野、爽やかだな!」とスタート時の気温は周囲の環境と相まってか20度程と涼しい。もちろん昨日に引き続き天気は快晴で、今日も良い旅になる気がした。そんな今日のルートは天竜川に沿って旧富山村(愛知県豊根村)まで下り、そこから厳しい上りを経て東栄町まで進む行程だ。昨日と同じく、この度のハイライトとも呼べる山岳ステージ。当然ながら獲得標高がしっかりあるものの、川に沿って下っていく、南下していくのだ、と思うとなぜだか気持ちが楽な気がするのが不思議なものだ。
ルートの序盤は天竜川を右手に置きながら、県道1号線を進む。がつんとした上りがあるわけではないのだが、高低図で見るとのこぎりの歯のような地形で、斜度の強い細かなアップダウンが繰り返される。
序盤はあまり眺望もなく、爽やかな朝の空気の中を淡々と進むものの、長野県泰阜(やすおか)村から長野県阿南町へ差し掛かるあたりで、急に視界が開ける。下り坂であったが、思わずストップ。長野らしい空の広さ(個人的な意見だが何故か長野は空が丸い、やけに広い気がする)、眼下に広がるモダンな橋と小さな集落。「うんうん、これだよ、これこれ」と、眼下に広がる景色に妙な納得を覚える。
そのモダンな橋(南宮大橋というらしい)を超え、阿南町に入ると、今度は天竜川を左手に、右手にと橋ごとにスイッチしながら進むわけだが、下流にある「平岡ダム」や、その先にある国内有数の大きさ誇る「佐久間ダム(1956年に完成、国内第8位の貯水率を有する)」により川が堰き止められ生まれた「佐久間湖」の見事な湖面の景色を楽しむことができた。
この日は無風で、その山の緑を映した水鏡や、場所によって少しずつ色合いを変える緑色、そしてなにより静寂がすばらしかった。鳥の囀りを聞きながら湖面を眺めていると対岸(そこはクルマでは行けない秘境駅区間だ)を⾛る飯田線の音が時折聞こえたりもした。「おお! これぞまさに秘境。ここは日本なのか?」と思わせる風景に、この三遠南信エリア山間地の持つ奥深さと、そこに自転車で旅する速度感が合わさりなんとも言えない穏やかな気持ちになった。
さらに南下を続けた先、長野県、静岡県、そして愛知県が交わるところに愛知県旧富山村がある。2005年に豊根村に合併される前は人口約200人で当時としては「離島を除く市町村で最も人口の少ない村」だった場所だそうだ。現在では50名ほどが静かにダムのほとり、斜面に張り付くように暮らしている。当然、そこには学校もスーパーもない。この東三河の仕事を引き受けるまで僕は愛知県にこのような場所があることを知らなかった。これまで輪行(JR飯田線・大嵐(おおぞれ)駅が最寄り駅として存在する)の旅で訪れたりする中で、ここの静けさ、秘境感にいつの間にかどこか心を惹かれている自分がいた。いつかここでの暮らしとはどのようなものなのか、そこに暮す人たちに尋ねてみたい。ちなみにここ愛知県に村はふたつで、そのふたつとは日本一豊かな村と呼ばれる「飛島村(とびしまむら)」と人口1000人に満たない愛知のてっぺん、ここ豊根村だ。同じ村と言ってもなんだかこの対比はすごいと感じるのは僕だけだろうか。
富山村を通過すると天竜川に別れを告げる。ということはダム沿いの平坦基調の道とも別れなければならないことを指す。ここから豊根村役場方面に抜ける県道426号の坂はかなりきつい。さすがに三日間の疲れも出てきたせいか坂を上る脚も重く、呼吸も荒くなる。暑さなのか疲労なのか全くわからないが、とにかく苦しく途中何度か休憩を挟んだ。少しずつ南下してきたせいで、じわりと暑さが堪えてきているのかもしれない。道端で休んでいても特に誰も通過することなく、聞こえるのはただただ自分の息遣いと心臓の音だけだ。あまりに苦しくゴールのトンネルを抜けた時には思わず大きな声が出てしまった。
峠を何とか越え、急峻なワインディングを下るとこちらも新豊根ダムによりできた「みどり湖(愛知県豊根村)」に出る。ここまで来ればダム湖沿いのなだらかな道となり豊根村役場はすぐそこだ。役場の日陰で一休みしながらぼーっとする。特に聞こえる音もない。三日目をスタートし、75kmほど来たが、すれ違うクルマ、バイク、人は数えられるほど僅かだ。同じ愛知県にあっても「愛知県といえば名古屋」というような都会的なイメージとはかけ離れた場所なのだ、とつくづく思う。しかしここにはここの暮しがあり、名古屋には名古屋の暮らしがある。その違いになんだかしみじみする。
役場を出ると本日最後の上りへと突入する。豊根村から東栄町へと抜ける県道74号・阿南東栄線だ。約6kmの道幅も広くない急峻な坂だ。ここまで休み休み来ているがすでに脚は売切れている。けれどももがきたい、きちんともがいてこの日を終えたいと、自ら意識的にスイッチを入れ無心で坂を登った。きついけれどもやはり「これだな、こういうことなんだ」と思う。頂上のトンネルを抜けると、急に視界が広がり、東栄町・御園地区に到着だ。御園地区は標高約700m。開けた南斜面の先に高い山がなくとても見通しが良く(木々も山が深く連なり合う奥三河では珍しい)、季節や気象条件によっては一面の雲海も見られるそうだ。御園の名前は伊勢皇大神宮の神領であったことに由来があるらしく、それが理由かどうかはわからないけれど僕は初めて訪れたときから、ここに続く坂も、何故かその神々しく感じられる天空のような空気や、雰囲気がとても好きなのだ。

本日最後の上りは県道74号。豊根村役場付近から御園地区を抜け、東栄町に至る静かで険しい峠だ。地元の人以外、豊根側から通り抜ける人は少ない。東栄町側からの上りは東三河で一番好きな上り。そちらを表とするなら、この裏側からの上りも良かった
そしてここには茶善一(ちゃぜんいち)というミシュランガイドにも掲載された知る人ぞ知る人気の蕎麦屋がある。あまり考えもしなかったが今日は日曜日であり、蕎麦以外にも夏は豪華なかき氷も有名で、その食と空気、両方の涼を求め多くの来訪客で賑わっていた。「2時間待ちです」の定員さんの言葉に「また来ます」と爽やかに返事を返し、長野、静岡、愛知の秘境、県境を行く三日目の旅を終えた。朝からここまでほとんど出会う人もおらず秘境を堪能してきた僕にとって、急に目の前に現れた田舎に集う人、人、人の波になんだか不思議な気分になった。しかし、とにかく、三日間⾛り切れたことは、少しだけ僕を安心させた。
2025年7月7日(月)Day4
目が覚めると案外眠れたことが意外に感じられた。東栄町での宿は「だのん(三河弁で「そうだね」という意味)」。古民家をリフォームしたゲストハウスだ。名前の語呂も響きも良い。ここは以前東三河の仕事でもお世話になった場所で、沖縄から移住した金城さん(あいちゃん)が切り盛りしている。オープンして10年になるそうだ。クーラーがなく扇風機だけだったので「眠れるかな」と思ったが、思いのほか涼しく、しっかり休むがことができた。やはり朝晩の涼しさは都会とは雲泥の差だ。出発が早朝だったため、あいちゃんが朝食にと、おにぎりとサーターアンダギーを持たせてくれた。この秘伝のサーターアンダギーはとにかく絶品で、これも奥三河を体験する中で僕がファンとなった大切な一品だ。こんなふうに朝ごはんを持たせてくれるような、さりげない人への気遣いが奥三河の魅力だと知れば知るほど感じる。
さて今日の出発地点は東三河の水瓶とも呼べる新城市の東部に位置する「宇連(うれ)ダム」からだ。まさに下流域を潤し、発展させてきた水源で、東三河南部の農業、工業、生活はこの水によって支えられている。1949年に着工し、1958年に完成、竣工されたことで干ばつに苦しめられてきた東三河を豊かな土地へと変えたそうだ。そしてこの旅も今日が最後かと思うと、寂しいような、一方で疲れ切った僕の脚からは「早く終わりにしてくれ」という声も聞こえくるようだ。しかし最終日一番怖いものは暑さだ。この二日は山岳ステージで、行程そのものは厳しかったものの、標高の高さからくる涼しさにずいぶん救われた。しかし今日はここからひたすら南下し、お昼には浜名湖、そして一番暑い時間帯に渥美半島を横断し、伊良湖岬まで帰らなければならないのだ。そしてその距離は4日間で最長の距離となる。
とはいえスタート時点ではまだずいぶん涼しい。宇連ダムを後にし、宇連川(下流で支流と合流し豊川となる)沿いの「望月街道」を⾛る時点ではまだ暑くはない、まだ大丈夫だ。
この望月街道は望月喜平治さんによって開かれた道で、現在では国道151号ができたことにより、その役割が変わり、川沿いの美しい側道として、多くのサイクリストや地元の散歩の方などを楽しませる大変ロケーションの良い道となっている。ここも東三河に仕事で来るようになってから何度となく通った、僕の好きな場所のひとつだ。川とJR飯田線の線路に挟まれた道では運が良いと約2時間に一本のJR飯田線が通過する姿を間近で見ることができる。いまにも落ちてきそうな大きな一枚岩や、そこに繰りぬかれたトンネル、そして開湯1300年の湯谷温泉(ゆやおんせん)などを抜けると、そこからはいよいよ一路、海を目指し進むことになる。

この一枚岩に名前はあるのだろうか。調べてみたけれどよくわかなかった。実際に見ると剥がれ落ちるのではないかと思うほどの、覆い被さってくるようなスケールなのです。下で草取りしていたおばちゃんがいて、大丈夫だろうかと思ってしまった

左手には宇連川があり、望月街道、JR飯田線が並行して⾛っています。ほとんどクルマは来ません。タイミングが良いと大迫力のJR飯田線の通過を見ることができます。本数が少ないので、すれ違いたい場合はしっかり時間を調べていきましょう

歴史ある温泉街・湯谷温泉。その歴史は古く開湯1300年と言われています。旅も四日目、温泉にゆっくり浸かりたい。ここ湯谷温泉は秋には紅葉を楽しむことができ、日本三大東照宮のひとつ鳳来寺山東照宮はここからすぐそこです
国道151号線に長篠付近で別れを告げると、国道257号を経由し、福津峠を抜けいよいよ静岡県に入る。飯田から浜名湖へほぼ垂直に南下すると、標高や植生が大きく影響しているのだろうが、長野の広葉樹を中心とした爽やかな緑色と、どこかからっとした空気の組み合わせから、奥三河の杉檜を中心とした深い緑色と、湿度の強い空気感へと変化し、そして静岡に入る頃には照葉樹のつるっとした緑と、どこか海の湿気を感じさせる空気へと変化していく。
ここで峠を越える際にパンクをした。この旅唯一のパンクだが、修理というより、修理している時の暑さが体力を削っていく。峠を下り浜松市三ケ日町へ入ると空気の変化だけでなく、辺りは一面のみかん畑の景色へと変化する。時期が悪く当然三ケ日みかんを見ることも味わうこともできない。緩やかなワインディングの下りとともにみかん畑を抜けると、目の前には浜名湖が現れる。鼻孔を突く塩の香り、わずかな波の音、そして逃げられない暑さ、海の湿度がそこにある。浜名湖は太平洋の海水が流入する汽水湖(きすいこ)で、もともとは淡水湖だったが、1498年の明応地震の高潮により砂州が決壊して外海と通じ、汽水湖となったそうだ(ウィキペディアより)。
湖畔の景色は美しいものの、これまでと比較し交通量の多さ、日陰の無さ、その暑さに辟易してしまう。辛いぞ、辛くなってきた。浜名湖周辺を抜け静岡県湖西市に入ると、辺りには豊田自動車関連の工場や、デンソー、スズキ自動車など、日本の工業を支える大きな工場がいくつもある。まさにこれぞ太平洋ベルト、北部の山間エリアとはずいぶん違う。ちなみにここ湖西市と豊橋市は県こそ違っても、県境を跨ぎ仕事に生活にと古くから人が往来し、多くの文化を共有している。まさにこうした一体感が三遠(三河、遠州)の強い繋がりなのだろう。しかしもうこの頃には太陽は一番高い位置まで登り仕事をしている。暑い、くらくらする、それどころではない。「あぁ、あの(長野の)空気が恋しい、もう早く終わりたい」と思いながら、気づけばいよいよ外海が見える位置までやって来ていた。
「あぁ、太平洋だ」。伊良湖岬を出発して四日、ついに太平洋を眼下に見る位置まで自分の脚で戻ってきた。このときばかりは、暑さも忘れ、眼の前に広がる太平洋を見て、月並みで当たり前の感想だが「海だ!」と言ってしまった。いや、しかしこれは感慨深い。しばらくどこまでも続くような砂浜を眺め、大きな波の音を聞き入ってしまった。
しかし旅はここで終わりではない。まだここから渥美半島を根元から横断し、伊良湖岬まで帰らなければならい。湖西市に別れを告げ、再度愛知県に入り豊橋市の国道42号を使い、太平洋を左手に見ながら進む。途中で海沿いのグラベルへ入る。そのロケーションはすばらしかったが、ロードバイクには少し厳しい路面で、撤退し、国道沿いを進むことにした。ロードバイクでグラベルを無理やり⾛るにはもう僕はじゅうぶん疲れ過ぎていた。特に渥美半島に入ってからは常夏と言われるエリアだけあり、その暑さが増した気がして、かなりばててしまった。とにかく暑い身体をコンビニに寄り冷やしながら、サーフィンで有名なロングビーチなどを横目に、ひたすら伊良湖岬を目指す。ちなみに田原市は「サーフタウン」としてサーフィン移住など面白い施策でまちづくりに取り組んでいたたりするそうだ。

サーフスポットのロングビーチ近くには「サーフタウン」の看板が。それに合わせ住宅地も造成されるなど、田原市の本気を感じます。以前、神奈川に住んでいるころ、海岸線を⾛る度にサザンオールスターズの曲を口ずさんでいた。田原を⾛るとどの曲がマッチするのかな
半島の風景はやはり一大農業エリアらしく、辺りは赤土のキャベツ畑や畜産小屋などが並び、牛の姿なども見られるが、牛達もとにかく暑そうだ。自分自身にも牛達にも本当に同情してしまう。木陰も逃げ場もない暑さと戦いながら、道の駅・赤羽根ロコステーションを過ぎるともうすぐ旅の終わりだ。
道の駅では休憩を兼ね、太平洋を眺めることのできる展望所のような場所へ腰を下ろす。平日ということもあってか周辺には誰もいない。聞こえるのは波の音だけだ。昨日までの山の中での静けさに包まれ、そしてこの海の静けさに包まれている。同じ静けさでも全く違う。山には山の音があり、海には海の音がある、でもどちらにも静寂を感じる。その静寂の中にいる自分と自転車「うん、悪くない」。しかしもう体はじゅうぶん疲れているし、脚は重たいし、とにかく暑いし、けして何もかも穏やかとは言えない状況ではあるが、ゴールを目の前にして、僕自身の心の中はどこかが穏やかで、じっとしていると「やっと終われる」のか「終わってしまう」のか、そんな複雑で相反する気持ちが去来した。

赤羽根の道の駅・ロコステーションの奥に広がる静かな休憩所から太平洋をしばし眺める。波の音はもちろんある。でも静かで静寂だなと思う。ここに似合う曲よりも、この音が一番似合う。もうあと少しでこの旅も終わりだ、終わってしまう
自分に浸るのも悪くはないが、自ら旅を自分で始めたからこそ、やはりちんと旅をこの手で終える必要がある。残りは約18km、さぁ、この旅もいよいよ終わりだ。伊良湖岬付近、「日出門(ひのでもん)」の最後の短い上り坂を越えると左手にはアクアブルーの太平洋が広がり、右手には伊良湖岬先端と「これぞまさに伊良湖岬!」と呼べる風景を眺め「帰ってきたぞー!」と心の中で叫んでいたが、きっと溢れる感情とともに大きな声が口から出ていた気がする。そしてゆっくりと恋路ヶ浜へ向かう。四日ぶりに帰ってきた、帰ってきたぞ。ビンディングを外し、自転車から降りる。ゆっくり息を吐きだし、サングラスを取る。「ようやく終わった。終わったぞ」。愛知、長野、静岡を跨ぐ、三遠南信エリアをぐるり巡る380kmの旅はずいぶん長い旅だったように思えた。
海、町、山、それぞれの空気、それぞれの暮し、それぞれを繋ぐ道と水の流れ、そうした事なる風土を自転車で繋ぎ、その速度、自分の脚でペダルを漕いで感じた四日間。東三河に仕事で通うようになったこの数年の様々な記憶が去来し、うまく言葉にならかなった。
さて、この旅がこれまでと、これからの僕にどんな意味を持つのかはまだわからないけれど、これもやめることなく自転車に乗り続け、ペダルを漕ぎ続けることで、繋がった道だということは確かだ。いろいろやめなくて良かったと思う。乗り続け、もがき続けることで、またひとつ新たな何かを手にしたように感じた東三河、三遠南信を巡る旅だった。
旅の締めくくりに出発のときに打ち鳴らした「幸せの鐘」を再度鳴らす。隣に素敵な恋人はいないけど、そこには僕の人生の大切な相棒・自転車が静かに佇んでくれている。そしてその鐘の音色は、出発のときのそれとは不思議と少し違って僕には聞こえた。きっとそれはこの旅が僕の胸に刻み込まれた瞬間だったのかもしれない。
原案:筧五郎(ブログ「筧五郎の三遠南信ぐるり旅」より)
編集/文:山田辰徳







































