2025筧五郎の三遠南信ぐるり旅・前編【愛知・長野・静岡】
目次
愛知県の東三河地域では、その豊かな自然を生かし、県、市町村及び、観光関係団体が一体となってオールシーズン、オールエリアでスポーツが楽しめる地域として「東三河スポーツツーリズム」を推進しており、僕自身も関わりが深く、2021年の「筧五郎の東三河とつながる、⾛る、体感する」から始まり、2023年の「筧五郎が東三河の道、峠を⾛り尽くす」、そして2024年の「筧五郎のヒルクライムミーティング in 東三河」を通じ、太平洋を臨む渥美半島(愛知県田原市)の先端・伊良湖(いらご)岬から、愛知県最高峰となる豊根村の茶臼山(1415m)まで東三河8市町村の様々な道や峠を⾛る機会をいただいている。そして2025年はそうして⾛り抜けてきた東三河はもちろん、県境を越え遠州や南信州(東三河と併せ、総称して「三遠南信エリア」と呼ぶ)の魅力的な道や豊かな環境を繋ぎ、ダイナミックにぐるりと巡るように⾛ったらどうなるだろう? という想像が膨らみ「筧五郎の三遠南信ぐるり旅」として約380km/獲得標高約5700mを⾛破する4日間をかけた旅に出ることにした。
2025年7月4日(金)Day1
午前7時、渥美半島の先端・伊良湖岬(いらごみさき)の恋路ヶ浜が旅の始まりとなる。ここに帰って来るのは四日後だ。天気は快晴とはいかないが薄曇りで雨の心配はない。ただ気温がすでに30度近くになっており、さらに上昇することは間違いなく、この気温と湿度が旅を厳しいものへと変えていく予感しかしない。少なくとも7月に行うことは推奨されないことは始める前から理解できた。僕はそもそも暑いのが苦手なのだ。
恋路ヶ浜にある「幸せの鐘(恋路ヶ浜 恋人の聖地プロジェクト)」を男ひとりで打ち鳴らし旅を始める。もちろん隣に素敵な恋人は……いるはずもない。
左側に穏やかな三河湾を見ながらどこまでも続くような感覚になる道を⾛り始めると、すぐに風力発電用の大きな風車、数基の姿が目の前に飛び込んでくる。この日は風もなく、その雄大に回転する大きな羽や、風切り音を体感することはなかったが、動いていなくても近くで見るとその途方もない大きさに圧倒される。冬には西からの強い風を受け勢いよく回転するのだろう。巨大建造物は良い、何故かワクワクし心が惹かれてしまう。僕は巨大な建造物が好きなのだ。伊良湖岬先端では歴史あるトライアスロンの大会なども開催されており、サイクリストだけでなくトライアスリートも良く練習をしているらしい。
伊良湖岬の先端部分を抜け国道259号が近づくと風景は海の景色から内陸のそれへと変化する。あたりにはビニールハウスがいくつも広がり、ここが農業王国(田原市は農業産出額が全国第2位!)であることを感じさせる。
ちなみに渥美半島は、黒潮(暖流)の影響が強く、温暖な気候と豊富な日照時間に恵まれ、日本有数の農業地帯となっている。野菜はキャベツやブロッコリー、果物ではメロンが有名で、僕の好きな菊(電照菊)なども全国的に有名である。こうした農業などの目覚ましい発展には昭和43年に豊川(とよがわ)用水が通水したことがその発展を強く後押ししているそうだ。今日の目的地はその水の流れに逆らうように北上し、その水源地とも呼べる奥三河の入口にある新城市にある。
ルートは細かく緩やかなアップダウンを繰り返しながら国道259号沿いに田原市街を抜け、豊橋市を目指す。農業地帯を抜けると工業地帯へと風景が変化していく。豊田自動車・田原工場や新日本製鉄などの工場もある臨海工業地帯で、平日の主要道は信号に加え交通量も多く、速度が上がらない。加えて頭上ではじりじりと太陽がしっかりと無言で仕事をしているため、日陰のなさ、逃げ場のない暑さが容赦なく僕を痛めつける。しかし半島を抜け山間地へたどり着くためには産業や、都市機能が集まった平野部を抜ける他はない。豊橋市内へ入ると風景が市街地らしい景色へと移り変わり始める。豊橋市は国内に19ある路面電車のひとつが⾛っており、路面電車が見え始めると今日の中継地点と定めた豊橋公園はもうすぐそこだ。
豊橋公園は豊橋市役所の隣にある城址公園で吉田城(復元)や、様々な歴史遺構、美術博物館、文化施設、球場、陸上競技場などが集まっている。お城は復元されたものだがここにある石垣が見事で、後に姫路城を築くことになる池田輝政が当時の最新技術を用いて改修したものだそうだ。お城の北側からはゆったりと雄大に流れる豊川を眺めることができ、そしてその先には奥三河の山々が見える。今日の道のりはようやくここで半部、ずいぶん山が近づいてきた。
この豊川を渡河するにはもちろん通常の道もあるわけだが、いまではあまり見られなくなった渡し舟があり、以前の旅で訪れたその存在を思い出したのでそこへ向かうことにした。「牛川の渡(うしかわのわたし)」という渡船場で、人と自転車を対岸へと運んでくれる。料金は無料だ。通学などで行き先を急ぐ時間帯の所要時間は2分ほど、それ以外の通常運転では5分ほどの乗船を楽しむことができる。数年間には豪雨で船が流されてしまい、一時運休となっていたらしい。僕は興味を持ったあれこれをおじさんに尋ね、その会話がとても楽しかった。
渡船を終えると、そこからは豊川を遡るように河川敷を北上していく。平坦で⾛りやすいためぐんぐんと山が近づいてくる。しかし暑い、とにかく暑い。途中コンビニに寄りアイスを食べ、氷で体を冷やしたりするものの、すでにかなり体力を削られている。初日から「こんな具合で大丈夫だろうか?」という不安が頭をよぎる。なにせあと三日間もあるのだ。
豊川河川敷に沿って、豊橋市、豊川市を抜け、新城市に入るころから豊川の川幅がだいぶ狭くなってくる。桜で有名な桜淵公園に寄る頃には都市部独特のアスファルト的な熱気の様なものは少し薄れ、暑いことは暑いがいくらかましな気がしていた。僕が単に慣れてきただけなのかもしれないが。
新城市では県道69号を進む途中で、河川と新東名高速道路の巨大建造物が目を楽しませてくれる。巨大インフラが好きな僕としては上空に浮かぶ新東名高速道路やそれを支える橋桁などはたまらないスポットのひとつだ。
北上していく途中、川沿いには急峻な落差を利用した水力発電施設・長篠堰堤余水吐(ながしのえんていよすいばき)があり、通称「三河のナイアガラ」とも「新城のナイアガラ」とも呼ばれるダイナミックな景観がある。水量のある時など、それはまさに見事な景観だ。県道69号を離れ、国道257号をさらに北上していくと、その側道に現在では廃線となっている旧田口線の廃線跡を利用した静かな道や、奇岩に繰りぬかれたトンネルがあり、そこを抜けると本日の目的地「四谷(よつや)の千枚田」はもう目の前だ。
気がつくと周囲の色も海の青ではなく山の深い緑へと変化している。奥三河(新城市、設楽町、東栄町、豊根村をまとめた総称)らしい杉と桧の生み出す深い緑色、そして何より山が近い。標高があまり高くないのだが、四方を山に囲まれている、というだけではなく「何となく迫ってくるようだ」といっても過言ではない。
一日目の目的地となるのは全国の棚田百選にも選ばれている「四谷(よつや)の千枚田」だ。東三河で仕事をするようになってからもう何度となく訪れている。新城市で一番有名なスポットのひとつだろう。
この四谷集落にある棚田は鞍掛山の斜面に広がっており、約400年前に開墾され標高220~420mにかけて見事な石積が見られ、現在でも約420枚(最盛期には1296枚)を耕作しているそうだ。257号から側道に入り、千枚田へ向かうのだが、この緩やかな坂(通常ならそんなに大したことがないはず)がとてもきつかった。きっと暑さのせいだろう。
「早く着け」と心の中で思いながら、ペダルを漕ぐと突然目の前に「どん」と千枚田が広がる。肩で息をしながら、その雄大な風景を眺めた。この山々から流れ出た水が、川によって下流に届き人々の生活を潤し、発展させていること思った。そしてその川の流れに沿って自らの脚でたどり着くことで、そうしたことをより実感しながら、暑さに苦しめられた一日目が終了した。
2025年7月5日(土)Day2
二日目の旅の始まりは設楽町にある田峰観音から。創建が1470年と言われている由緒ある寺院で、主要国道より少し標高が高い位置にあるせいか、またはここが霊験あらたかな特別な場所なのか、空気が清々しい気がしたものの、やはり午前7時の出発の頃にはすでに暑い。二日目の今日は山岳ステージとも呼べる内容で、約85kmの行程の中に八つの峠があることを思うと先が思いやられた。
まずは国道257号に沿って北上を開始する。ひとつめの坂を上りきるとそこは設楽町の中心地・田口だ。ここには奥三河の地酒として有名な蓬莱泉(ほうらいせん)の醸造所があり、日本酒好きにはたらない場所なのだろう。冬には日本酒の仕込み体験もできるそうだ。僕は酒のことはよくわからないので看板の雰囲気だけでも味わっておいた。
田口の街を抜けると左手に大規模な工事現場が広がってきて、目の前には巨大な橋・新設楽大橋の建設現場が見えてくる。設楽町は現在「設楽ダム(2034年完成予定)」の建設工事が進んでおり、そのために架け替えとなる建造中の橋がはるか上空に見える。いまこうして⾛っているこの道も何年後かにはダムに沈むのかと思うと何とも言えない不思議な気持ちになった。僕がいずれ完成するあの道を自転車で⾛ることはあるのだろうか。

新しい橋と古い橋が交わる。これまで暮らしを支えてきたモノが書き換えられ、新しいカタチに変化していきます。現在の設楽大橋の先にはダム工事により付け替えが行われる、現在建設中の新・設楽大橋が遥か高い位置に見えます
道路脇にある道標看板も苔むしてしまうほどの、奥三河らしい緑の中をひたすら標高を上げながら進む。この深い緑が奥三河らしい色合いだ、信州などの明るい緑色とは雰囲気そのものが違う気がする。
途中に美しい湧き水のポイントなどを横目に、またひとつ峠を越え「道の駅・アグリステーションなぐら」へ辿り着く。休日にはバイクや車で賑わう交通の要所、まさにジャンクション的な拠点だ。えごまの五平餅と蕎麦のセットが美味しい。そしてここから愛知県の最高峰1415mの茶臼山(豊根村)に向かう約14kmの長い茶臼山高原道路が始まる。この道路はかつて有料道路であったが現在では無料開放されている。序盤はけっこうきつい斜度が続くので、とにかくマイペースをキープし上る、ひたすら上る。
しかしひとつのことに気がつく。「涼しい」のだ。途中、路側帯に設置された温度計は23度を表示しており、きっと下界は35度にもなろうかという夏の日だが、ここ茶臼山高原一帯が予想以上に涼しいことには驚いた。暑い愛知にあってもやはりここ奥三河の空気は都市部のそとは比較にならないくらい涼しいのだ。
道中には鎌倉時代より天狗の住む場所として崇められている面の木園地があり、高原らしい牧歌的な高原風景を抜けていくと、そこは春には芝桜、夏には避暑地、冬にはスキーを楽しめる愛知県最高峰のリゾート地・茶臼山高原(豊根村)が広がっている。休憩場所としていたスキー場に到着し、ご褒美のソフトクリームを堪能する。標高が上がってきたせいで日差しは強いものの、暑さに苦しめられた昨日が嘘のように爽やかな気候だと、溶けていくアイスクリームを急いで食べながら実感した。
茶臼山高原を後にし、のどかな牧場を右手に見ながら高原エリアを抜けダウンヒルを始めると、いよいよ愛知県から長野(売木村)に入る。隣接する豊根村と何が違うのだろうかと思うのだが、愛知から長野に入るとさらに空気が爽やかになった気がした。先にも書いたが、全体のイメージとしての緑色もどこか違う気がするし(奥三河は深く、長野は明るい)、それは植生のせいなのか、または分水嶺を跨いだことによるものなのか、その理由は定かではない。しかし確実に肌でその違いを実感できた。
いったん売木村まで下ると、また上りがスタートする。長野県売木村から平谷村へ向かう平谷峠を日本三大酷道の一本とも言われる国道418号で進む。決して⾛りにくい区間ではないが、なかなかな斜度の坂が続き、ハイライトの九十九折りをいくつか越えた先にある「やまなみ広場」周辺ではまさにみごとな奥三河周辺のやまなみを見ることができた。「うん、悪くない」これでこそ自分の脚でここまで来たかいがあるというものだ。
平谷村に入ると進路を国道153号に切り替え飯田方面へと向かう。信州・平谷村は三州街道・伊那街道が交わる宿場町(平谷宿)として栄え、「塩の道」の要衝として栄えたそうで、中馬(ちゅうま)街道とも呼ばれているそうだ。主要道とはいえ本日の目的地に向かっては上り坂が続く、兎にも角にもまだまだ上るしかたどり着く道はない。
標高1187mの治部坂峠を越え、浪合集落より本日のメインディッシュとも呼べる極楽峠の上りへと差し掛かる。距離は約4km、平均勾配は約9%で、特に浪合集落からの道は、お世辞にも⾛りやすいとは言えないが、ここで何故か自分のスイッチを入れ、全力でアタックを開始する。ここを訪れたのは約20年前だ。そしてオールアウトしそうなゴールの先に見えたのは「極楽峠」という立派な石碑と美しい仏様の姿だった。
ゴール後ハンドルに体を預け、荒い息遣いを整える。汗が無限に滴り落ちる。あれから20年の時を経ても同じ様に坂をもがいている自分がそこにいた。全力でペダルを踏んでいることも、荒い息遣いも何も変わらない。僕自分自身を含む多くのものが信じられないくらい変化したが、坂に向き合う、その一点においてだけは何も変わらない。そう、それだけは何も変わっていないのだ。
峠を越え、本日のゴールとなる極楽峠展望所では、すかっと晴れていれば遥か彼方、中央アルプス、南アルプスの大パノラマを眼下に広がる飯田市の風景と共に静かに楽しむことができ、20年前の秋の一日に妻と共に眺めたことを大切に思いだした。
僕はおもむろに忍ばせてきたソプラノリコーダーを引っ張り出し「コンドルは飛んでゆく」を昔取った杵柄(僕は小学生の時リコーダー部部長だった)で吹くも、あまりの下手さ加減とメロディーのふらつき加減に、そこにいた皆さんより失笑を受けたことはこの旅のハイライトのひとつかもしれない。

「コンドルが飛んでゆく」を吹いてみるものの、雄大に飛ぶ姿は想像できない。思ったように指は動かないものです。上手いか下手かは別として特別な場所でで吹くリコーダーは格別でした。大切な20年前の記憶が鮮明に蘇りました
まぁ、理想と現実とはこういうものなのだろう。しかしこの峠から眺める景色は変わらず美しく、僕の中の大切な心象風景であることを確認し、二日目の旅を終えた。静かに吹き抜ける風に身を委ねていると、いつの間にか一日目の暑さ、苦しさも、ここまでいくつもの峠を越えてきたことも忘れてしまっていた。
原案:筧五郎(ブログ「筧五郎の三遠南信ぐるり旅」より)
編集/文:山田辰徳












































