旧街道じてんしゃ旅 日本の原風景を巡る〜山の辺の道〜
目次
ツアーイベント会社(RIDAS/ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画。今回の旅は奈良盆地の東側の山裾に沿って南北に続く「山の辺の道」。木製の道標に導かれ、いざ歴史の旅へ。
「古道の旅」も旧街道じてんしゃ旅のひとつ
旧街道を巡る旅は、これまで数えきれないほど重ねてきた。けれど、そのなかには不思議と何度でも心を惹かれ、たどりたくなる道がある。今回訪れるのも、そんな特別な道のひとつ「山の辺の道」。日本最古の古道と呼ばれる道である。
普段、私が自転車で旅しているのは江戸時代に整備された旧街道が中心だ。だが、ときに時代をさらにさかのぼり、古代の道をたどることも「旧街道じてんしゃ旅」の大きな楽しみのひとつになっている。
「井上はん! ワシも山の辺の道に連れてってえな!」
ここしばらく、シシャチョーこと迫田さんに、そうせがまれることが何度もあった。どうやら、私が山の辺の道をガイドしている様子をSNSで目にするたび、旅への思いがふくらんでいたらしい。しかし最近の会社の組織変更で、迫田さんの仕事は滅法忙しくなってしまったようで、なかなか二人で旅をする時間がとれなくなっていた。
それでも「絶対行きたい!」
ここまで言い切るのだから、私のルポによほど心を動かされたのだろう。盆明けに時間を作ったから旅しようということになった。
変わっていく街なみ、変わらない旅のかたち
集合はJR奈良駅。輪行で到着したのだが、偶然にも同じ電車の同じ車両に乗り合わせていた。
「まあ、こういうことも旧街道じてんしゃ旅ではよくあるよな」と、二人で笑い合う。
自転車を組み立て、出発。まずは奈良公園を目指す。
「奈良駅って、こんな感じやったかな?」とシシャチョーが首をかしげた。
「僕もそう思いました。昔、奈良でバイクショップをやっていたんですけど、その頃から随分変わりましたね。インバウンド対応もあったんでしょう。駅も街なかも、かつての面影とはかなり違います」
「そらそうやなぁ。井上はん、よう考えたら旧街道の旅を始めてもう七年やで。そらワシらも変わりますわ。体力も落ちとるしな」
「そうですね。ただ、変わらないのはいつも真夏の暑い盛りに旅立つことくらいですな!」と私。
「まあ、これからも旧街道じてんしゃ旅続けていきましょうや!!」
互いに笑いながらペダルを踏み出す。変わっていく街並み、変わらない旅のかたち。それが旧街道じてんしゃ旅なのだろうと思った。
迷路のように入り組む辻、遮る柵、階段……
奈良公園に入ると、山の辺の道は春日大社の境内を抜け、やがて集落へとつながっていく。予想通り、境内は大勢の観光客であふれていた。自転車を押して進むことはできないため、一般道に迂回し、山の辺の道との結節点を目指す。
途中で群れ遊ぶ鹿と出会う。これらは春日大社の神の使いとされる「神鹿(しんろく)」で、天然記念物にも指定されている。
「うわー! 鹿や!」
シシャチョーは足早に通り過ぎていく。そういえば彼は動物があまり得意ではなかった。
浮見堂でひと息つき、写真を撮ってから本格的に出発する。しばらくは集落の中を右に左に折れ、細い路地を抜けていく。
「こんなに道が細いんでっか?」とシシャチョーが目を丸くする。
「そうなんです。だから速くは走れませんし、ロードバイクでかっ飛ばすような走り方はできないんですよ」
集落には仏寺が点在し、路地の角ごとに木製の道標が立っている。そこには「山の辺の道」と書かれ、進むべき方向を示していた。ただし小さな標識は見落としやすく、何度も訪れている私ですら道を外すことがある。
やがて広い幹線道路に出ると、私は立ち止まった。
「……何かありましたか?」とシシャチョー。
「ほら、道の向こうに柵が見えるでしょう。あれを開けて降りた先が山の辺の道なんです」
「ほほーっ! 何かおもろいですなぁ!」
驚きの声を上げる彼に、私は続けた。
「ここから先は歩道や私有地の端を進むことになります。自転車を担がないといけない場所も出てきますよ」
「オッケーです! 完全な山道は行かないようにする……でしたな!あと歩行者が多いときは道を外れて進む、ってことでしたな」
旅慣れたシシャチョーは理解が早い。
実際、山の辺の道はトレイルとして知られ、ハイカーに人気が高い。神社や寺を通る区間も多く、許可されていない場所では自転車を持ち込むことはできない。特に大神神社の広大な境内は誤って入り込む危険もあるため、十分注意しておく必要がある。春や秋はハイカーの姿がとりわけ多い。舗装路であっても歩行者が優先であり、もともと歩くための道なのだから、その季節にはサイクリングを控えるのが賢明だろう。
ただ、この日の外気温は36℃。真夏の陽射しが容赦なく照りつけ、山の辺の道を歩くハイカーに出会ったのは、わずか一人だけだった。
柵を開けて階段で崖下まで降りる。古道はやがて細い路地を抜け、民家の庭先をかすめ、ため池のほとりを通る。何度も柵を開けては押し歩き、舗装路に出てはペダルを踏み、また担ぐ。私とシシャチョーは自転車を担ぎ、汗をぬぐいながら思わず顔を見合わせて笑った。
「これはもはやサイクリングと違いますな!」
シシャチョーの豪快な笑い声が集落の中で響く。
道はその先で竹林のジープ道に変わり、しっとりとした緑の中、どこか幻想的な世界へと誘う。グラベルバイクの太めのタイヤが、笹の葉を踏み乾いた音を立てていく。やがて道は墓地の中を縫うように進み、田んぼの真ん中を走るコンクリート道に出る。猫の目のように景色を変えるこの道に、シシャチョーは驚きの声をあげた。
「いやぁ、今までの旧街道とは全然ちゃいますな!」
「でしょ? そこが山の辺の道のおもしろさなんです」
シシャチョーもこの道が相当に気に入ったようだ。
しばらく道の変化を楽しみながら走っていたが、やがて二人とも口数が減ってきた。とにかく、暑い。外気温36℃、山裾ゆえに風がほとんど通らない。しかも山の辺の道は細かいアップダウンの連続で、距離のわりに脚への負担が大きい。
「迫田さん、水ありますか?」
「いや、もう無いですわ……」
山の辺の道は、補給ポイントが少ない。自販機はほとんどなく、地元の方が営む無人販売所にお餅やお菓子が並んでいることもあるのだが、この酷暑では影も形もない。
やがて、自転車では入れない山道にぶつかった。これを機に舗装路へ下り、自動販売機を探すことにした。実のところ、私は少し熱中症気味になっていた。迫田さんの軽妙……いや珍妙な下ネタトークがなければ、走り続けるのは正直つらかったかもしれない。
ようやく自販機を見つけたときの安堵感は格別だった。手に入れた冷たい水をがぶ飲みし、残りを頭から浴びた。生き返るような心地がした。
路傍に刻まれた古代の記憶、遠い昔の人々の息づかい
冷房の効いた食堂で昼食をとったおかげか、午後には体も少しずつ軽くなってきた。重たかった足取りも、再びペダルを回す力を取り戻す。気がつけば二人の会話もにわかに弾んでいる。飯を食ったばかりだというのに、もう晩飯の話題をしている。何とも現金な、旅のおやじ二人である。
やがて道の両脇に、こんもりと盛り上がった小山が次々と現れはじめた。古墳群だ。前方後円墳、前方後方墳、円墳……多様な形の墳墓が点在し、中には濠に水をたたえるものもある。
「こんなに古墳あるんでっか? コーフンするわ!」
定番のおやじギャグを飛ばしながらも、シシャチョーは案内板に熱心に見入っている。
「あのでっかいのもひょっとして古墳でっか?」
「ええ、あれは崇神天皇陵(すじんてんのうりょう)とされる古墳です」
そういえば近くには卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓(はしはか)古墳も存在する。そしてこの先には、天皇家に関わる石上神宮、三輪山、大神神社が鎮座している。
ひときわ大きな墳丘を仰ぎ見ながら、古代の大王たちが眠る土地に立っていることを実感した。
山の辺の道は、次第に山あいへと入り込み、またすぐに小さな集落へと抜け出す。それを繰り返す。路傍には石仏や古びた道標。ひっそりとした山の中に小さな祠(ほこら)。供えられたばかりだろうか、真夏というのに生き生きとした花が供えてある。誰かが今も祈りをささげていることを感じさせる。
そうした物たちは、アスファルトやコンクリートで、近代の装い姿を変えているが、確かにこの道は古の時代から続いてきた道であることを静かに語りかけている。
そうしたロマンあふれる雰囲気を感じることができるのが山の辺の道。まほろばの地と言われる大和(なら)の土地がそれをさせているのは間違いない。
やがて檜原神社に辿り着いた。ここから先は自転車で入るべきでない場所。そばにある御休処に寄り、かき氷で一息ついてから、舗装路を下り今晩の宿に向かった。








































