【新連載】ケルビム・今野真一の自転車設計図 第一章「ケルビムのショーモデル・デザインの源泉 その1」
目次
世界が注目する「ケルビム」の今野真一氏が、テーマごとにハンドメイドバイクの魅力を探究する、新たな月刊ウェブ連載がスタートする。全6回でお届けする第1シーズンのテーマは、ケルビムが常に注力する「ショーモデル」についてだ。
第一章「そこにショウがあるから」
私、今野真一の生業はフレームビルダーだが、会社の運営、講演、授業、連載、取材など一体私の仕事とは? と自問自答する場面も増えた。しかしスチールオーダーフレームの魅力を1人でも多くのライダーに伝えたい。そんな思いで執筆などをライフワークの如く続けさせていただいている。書くことが思考や疑念を生み、また疑念や疑念が筆を走らせる。私にとって思考実験でもあるからこそ、フレームを作るかの如く執筆活動を続けている。サイクルスポーツには前回の連載に続き稀有な場所を与えてもらったことは感謝の念に堪えない。
新たな連載として、今回は全6回に分けて執筆させてもらうこととなった。その第一章のテーマは「ケルビムのショーモデルの源泉」。一般メディアではショーモデルについて話す場面は多いが、自転車メディアにおいては実は多くを語っていない。我々ケルビムの歴史と体験談的な内容となるので、気楽にお付き合いいただければうれしく思う。

【執筆者プロフィール・今野真一】 ハンドメイドブランド「ケルビム」のチーフビルダー。競輪選手に競技用フレームを製作するほか、国際的なハンドメイドバイシクルショーでの受賞歴多数。競技用フレームのみならず、一般のサイクリストの要望に応えるべく、スチールフレームを探求している
世界の自転車ショー
自転車ショーと聞いてどんなショーを想像するだろうか。日本のサイクルモードやラスベガスで開催されていたインターバイクにヨーロッパのユーロバイクショー、そして今や世界最大規模ともなっている台北ショーなどが、世界的に最も大きな展示会と言っていいだろう。どのショウも顔を出すが毎年新製品の発表や業界の人間と話をしたりと毎回楽しませていただいている。
しかし私としては全体の雰囲気にどうもなじめないのが常だ。違和感の正体それは近代サイクルショーや国内のショーでは自転車を作っている企業がほとんど出展していないのだ。日本のショーでは見渡してみれば国産製造はケルビム1社という年もあった。いつから自転車ショーはこうなってしまったのだろうか……数年前には少々疲弊していたことを思い出す。このままでいけないと。
日本に限ったことではなく、世界的に見ても全く同じで、自転車ショー=ディストリビューターの商談の場といったイメージは拭いされない。もちろんビジネスの場という意味合いも必要であるが……。台北ショー等は全くのビジネスショーで自転車ファンを楽しませるという意味合いは非常に気薄な状態だ。日本で自転車作りをしている我々にとっては居心地も悪く異質感は嫌でも出てしまうのは致し方ないのだろう。
それが何かと言われれば、安直な表現になるが“夢”がないのだ。この状況で自身の夢を叶える自転車作りを志す若者が出てくるだろうか……。日本の自転車業界を見据えれば打開していかなければならないし、日本の自転車作りが衰退するのは我々、いやおこがましく言えば私の責任ではないだろうか。

台北ショー。完成車やパーツメーカーだけでなく、世間一般には知られていないフレームの材料メーカーも多数出展しており、製作者にとってのアピールも多くある。またOEM生産を促す商談の場という印象が強いショーなのかも知れない
世界に目を向ければどうだろう。北米のNAHBS(北米ハンドメイドバイシクルショー。現在は「MADE」へ引き継がれている)や、イギリスのビスポークなどハンドメイドバイクの祭典はその規模が年々大きくなり、今では世界中のフレームビルダーが集まり、個性豊かな自転車達が展示される祭典となっている。これらのショーの基本スタンスは「作っている人間が出展する」というシンプルな思想だ。
営利目的だけのOEM製品の企画だけで自転車を販売するようなメーカーの排除は本当の意味で質の高いショーを目指す姿勢がうかがえる。製品に対する製作者あるいは設計者の思想が気薄な物は見ていても夢がないし未来はない。しかし昨今 何をもって自社ブランドと言うかは非常に難しい問題だ。例えばアップルは一切の自社工場を持ち合わせていないが、誰が何と言おうとアップルの製品はアップルのアイデンティティの塊だ。このあたりが所謂今後のハンドメイドショーの鍵となるだろう。
最後にハンドメイドショーの特徴に巨大メーカーとは違いアイデアをすぐさま形に出来る機動性に優れている点が挙げられるだろう。一般的にマスプロダクションでの新作発表までには少なくとも一年以上かかるのが常識だ。企画、設計、試作、多くの会議をクリアして製作となるが、我々ビルダーは思いったたら次の日には完成させてしまう。よって、新たなトレンドを巻き起こしそうな自転車が勢ぞろいしている。
例えば、今輪界でブームとなっている「グラベル」。これは十数年前のNAHBSであるビルダーがロードレーサーにMTBのパーツ規格(スルーアクスルディスク等)を取り付け発表した自転車が「アドベンチャーロード」と呼ばれブームを巻き起こしたのが今に至っている。ブームを先取りしたい多くの大手メーカーの企画者たちもリサーチに集まってくるのも特徴だろう。

2012年のNAHBSにて発表されたアドベンチャーロード。このような仕様が北米では人気を得ていき、2017年に発表されたスルーアクルスフラットマウント規格によって、その動きは加速され、現在へのグラベルへと繋がっていく
我々は2009年よりこの北米を始め世界のハンドメイドショーに出展したりビルダーの所に通い、文字通りこの目で世界を見てきた。コンテストでは最高賞を含め数々の賞を獲得させていただき、ここ数年で海外の顧客は激増した。我々の布教活動を行うオーダー自転車の魅力やスティールバイクの性能にかける思いなど、そして日本の自転車作りのレベルの高さは世界を圧巻出来る技術を持っている。改めて振り返れば間違いではなかったと自負している。
そして最後に日本にもハンドメイドバイシクルショーがある。こちらは規模こそ小さいが日本の自転車ショーで唯一右肩上がりの展示会となっている。我々も古くから出展してきた、会場に三人ほどしかいなかった時期もあったが今では超満員の展示会まで成長した、このショーの運営やスローガンなどが日本の自転車業界成長の鍵なるのではないかとも思っている。

毎年1月に九段下の科学技術館で開催されるハンドメイドバイシクル展。近年は東京サイクルデザイン専門学校の卒業生達もプロとなり出展することも増えている。来場者層も若者から女性まで、一昔前までのベテランローディーたちが集まる、敷居が高くて足を踏み入れづらいニッチな世界という印象から雰囲気が変わってきている
Because it’s there.
私の父も自転車ビルダーであり私は工房で育ちそしてその魅力に打ちのめされた。
当時多くの零細企業がそうであったように父の今野製作所もまた自転車操業経営で連日忙しく仕事に追われていた。幼少の私はレジャーに出かけた記憶はなく学校から帰ればもっぱら工房で遊んでいた。自転車パーツをおもちゃに見立て遊んだり、友達とフレーム部材で車を作ろうと図面を描き(お絵描き)計画を立てていた。鉄の匂いや柔らかさ、ネジのピッチを見分け組立たりと色々な発見しそれなりに夢中になっていた。
父との唯一の外出はバイクに乗せられ東京モーターショーや交通博物館などに連れて行ってもらうことであった。それでも私は遊園地や海水浴に行く同窓生には優越感を持っていたことを思い出す。父のカッコいいバイクの前に乗り(私の席は常にタンクの上だった)国道を飛ばす風は今でも鮮明に蘇ってくる(今では道交法違反で捕まるだろう)。復路はガソリンの匂いと心地よいエンジンの振動のなかタンクにへばりついて、寝てしまうというのがお決まりのスタイルであった。
話はそれたが幼少期、70〜80年代にかけては第一次スーパーカーブームと呼ばれた時代であり、自動車ショーは子供たちでにぎわっていたスーパーカー全盛時代。もちろんスーパーカーは買えないし乗れないが、スーパーカー消しゴムなる物が小学生の間で大流行し当時の子供たちは熱狂した(少なくとも私は)。父に連れられショーで見た本物のスーパーカーや数々のショーモデルに私は完全にノックアウトされた。まるで未来からやって来たような造形の車たち。漫画からそのまま出てきたようなフェラーリやランボルギーニ、それらが出展されれば僕らの中ではそれは事件であった(少なくとも私は)。
市販スーパーカーに限らず当時はどのメーカーもコンセプトモデルを出展しており子供も大人も心を躍らせていた時代、きっと父も同じ思いで小学生の私とモーターショーを楽しんでいたに違いない。私のデザイン論やショーへの姿勢は小学時代には完全に出来上がっていただろう、というか未だに大人になっていないという方が正確だろう。
つい先日2025オートモービルに尊敬するカーデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ氏が訪れるということで足を運んだ。ジウジアーロ氏の代表作も多く展示されており、当時のスーパーカー達と思わぬ再会がうれしくもあり、中でもガンディーニデザインのストラトスゼロは当時雑誌に穴が開くほどに憧れたコンセプトカーで、それを目撃できたことは私の人生にとって大きな意味を持った。
話は前後したが、父と一緒に行ったモーターショウと同じく、父が製作するケルビムが出展するサイクルショーも子供ながら多くが脳裏に焼き付いている。父もまた当然の如くにショーモデルを製作し展示していた。当時の私から見れば全くもって自然なことの様に思えたし「これがショーの醍醐味だ」と思えた。当時は他社もコンセプトモデルを多数展示してあり子供心にその空間には夢があったように思える。
自転車界では80年代に入るとファニーバイクなる車種も流行し各製作者はこぞって独特な構造を提案し、オリジナリティあふれるマシンを実戦に投入していった時期でもありショーはファニーバイクのオンパレードとなっていた。
当時はビルダーが作る自転車が輪界を牽引していた時代でもあり、生み出される自転車たちはどれも実戦マシーンであり私も熱狂した。シマノ・デュラエースAXが発表された82年のショーは衝撃的だった。私は3日間ともシマノブースに張り付いていた。ラグやらシートチューブやら全てのパイプが扁平加工された車両。そして極めつけはシルバーのツナギに変なヘルメットを被ったマネキンがバンクを快走しているディスプレイは子供ながらにカッコ良かった。
後に島野敬三さんは「AXは失敗作でした……」なんて仰っていたが、そんなことはない。私にしっかりと夢を与えてくれたのだから……。
次は夢を与えるために
なぜショーモデルを作るのですか?と聞かれることがある。理由は様々、その時々でコンセプトも異なる。我々の新しいモデルの実験車両を製作する良い機会にもなったり、日々考えていた新しい試みを発表し意見をお伺いする場となったりすることも。
ただ、私にとって「ショーに出す」ということは市販モデルを並べて「どうですか? ぜひ買ってください」という概念が全くなく、前に述べた通り「子供や自転車業界の方々へ夢を与える」、そんな舞台だと思っているし私自身そうして夢をもらった。時間的な余裕が許される限りショーモデルを製作し来場者に「何か」を感じてもらえればうれしく思う。そんな自転車を見て感動した少年が将来自転車と携ってくれたらなおもうれしく思う。
私が校長を務める「東京サイクルデザイン専門学校」学生の中にはケルビムのショーモデルを見てフレームビルダーと言う仕事を知りこの学校に入学したという学生が毎年数名いることも感無量な気持ちである。ああ、ショーモデルを作って良かったと。
イギリスの登山家ジョージマロリーの言葉「Because it’s there.」を借りよう。なぜケルビムがショーモデルを作るのかと聞かれれば「そこにショウがあるから」とさせていただこう。そもそも私は幼少期の頃から無意識にショーがあればショーモデルを製作するものだと思っていた。そこにショーがあるから本気で挑み、出展するからにはベストを尽くす。それでこそ自転車界に貢献できるというものではないだろうか。
次回はスーパーカー顔負けのケルビム歴代ショーモデルを紹介予定。ご期待ください!
























