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ジャパンカップ2017 クリテリウムに続いてNIPPO・ヴィーニファンティーニのカノラが優勝!

レース
 
第26回ジャパンカップサイクルロードレース(アジアツアー1.HC)が、10月22日に栃木県宇都宮市の森林公園特設コースで開催された。台風接近による荒天のため、レースは10周に短縮し、103kmで競われた。

土砂降りのレースは5選手でのゴール勝負になり、イタリアのマルコ・カノラ(NIPPO・ヴィーニファンティーニ)がスプリントで圧勝し、前日のクリテリウムにつづいて連勝した。ジャパンカップ で前哨戦のクリテリウムと本戦のロードレースの両方を制したのは、カノラが初めてだった。

そして何よりもこの優勝は、チームの主要スポンサーである株式会社NIPPOにとって、地元最大のレースであるジャパンカップで初めての勝利だった。



2位にはスペインのベンジャミン・プラデス(チーム右京)、3位には日本の雨澤毅明が入り、宇都宮ブリッツェンが地元レースであるジャパンカップで初めてトップ3に入る快挙を成し遂げた。

22歳の雨澤は、アジア最優秀選手賞とU23最優秀選手賞も獲得した。大雨のジャパンカップで名字に雨の付く雨澤が大活躍した訳だ。そして、今まで経験したことがなかったほどの悪天候のレースは、UCIワールドチームの選手が誰もトップ3に入れないという番狂わせも生み出した。

 
 
■第26回ジャパンカップ結果[10月22日/宇都宮市/103km]
1  マルコ・カノラ(NIPPO・ヴィーニファンティーニ/イタリア) 2:45:37.726
2  ベンジャミン・プラデス・レヴェルテル (チーム右京/スペイン)  +0.296
3  雨澤 毅明(宇都宮ブリッツェン/日本) +0.730
4  アントワン・トールク(チームロットNL・ユンボ/オランダ)   +1.331
5  トマ・ルバ(キナンサイクリングチーム/フランス)   +2.228
6  ヤスペル・ストゥイヴェン(トレック・セガフレード/ベルギー)  +33.513
7  ベンジャミン・ヒル(アタッキ・チームグスト/オーストラリア)  +33.548
8 エンリーコ・バッタリン(チームロットNL・ユンボ/イタリア)   +0:33.549
9 ダニロ・ヴィス(BMCレーシングチーム/スイス)  +0:33.940
10 畑中 勇介(チーム右京/日本)   +0:34.112


[山岳賞]
2周回目:トマ・ルバ(キナンサイクリングチーム/フランス)
4周回目:初山 翔(ブリヂストンアンカーサイクリングチーム/日本)
6周回目:アントワン・トールク(チームロットNL・ユンボ/オランダ)
8周回目:アントワン・トールク(チームロットNL・ユンボ/オランダ)

[アジア人最優秀選手&U23賞]
雨澤 毅明(宇都宮ブリッツェン/日本)


(http://www.japancup.gr.jp)
 

短縮コースでレース展開が変わった!

日本列島を直撃した超大型の台風21号の接近は、不運にもジャパンカップの日程に重なってしまったが、悪天候にもかかわらず会場となった森林公園特設コースには、例年よりは少なかったものの、早くから大勢の観客が集まっていた。

天候は午後に向かって下り坂の予報が出ていたため、主催者はスタートの1時間前に周回数を14周から10周に減らし、距離を144.2kmから103kmに短縮する決定を下した。そのため、山岳賞は2周回、4周回、6周回、8周回にかけられることになった。

第26回大会は、国内外から参加した14チーム、計69選手が出走した。1周目で最初にアタックを仕掛けたのは新城雄大(ブリヂストンアンカー)だったが、抜け出すことはできなかった。

古賀志林道を下りきった後の県道では日本チャンピオンの畑中勇介(チーム右京)がアタックしたが決まらず、彼を追走したダビデ・フォルモロ(キャノンデール・ドラパック)、ダニロ・ウィス(BMCレーシングチーム)、アントワン・トールク(チームロットNL・ユンボ)、別府史之(トレック・セガフレード)、アラン・マランゴーニ(NIPPO・ヴィーニファンティーニ)、平塚吉光(チーム右京)が先行し、トマ・ルバ(キナンサイクリングチーム)、初山翔(ブリヂストンアンカー)、吉岡直哉(那須ブラーゼン)が数秒差で追走して2周回目に突入した。

普段であればスタートしてすぐに日本勢の逃げは容認されるのだが、たった103kmしかない距離はレース展開に大きく影響し、スタートからUCIワールドチームが激しく動き続けた。

2周回の山岳ポイントはルバがトップで通過し、最初の山岳賞を獲得した。彼はそのまま集団から抜け出し、追撃したトールクと初山が合流し、先頭集団を形成。3人は3周目を終えた時点で、後続の9人に32秒、集団に2分13秒を付けるていた。

4周回にかけられていた山岳賞は初山が獲得。後続グループは上りで集団に吸収されてしまった。残り6周の終了時点で、3人はまだ集団に1分16秒差を付けて逃げ続けていた。6周目の山岳賞はトルフックが獲得し、これで逃げた3人が山岳賞を仲良く分け合う形になった。

初山、ルバ、トールクの3人は1分20秒程度のタイム差を保って逃げ続けたが、残り3周の古賀志林道でレースは本格的に動き出した。優勝候補のダビデ・ビッレッラ(キャノンデール・ドラパック)が、林道の上り口で集団からアタックし、すぐにヤスペル・スタイブン(トレック・セガフレード)が追い付いた。

しかし、集団はNIPPO・ヴィーニファンティーニがダミアーノ・クネゴを先頭にして列車を組んで引き続け、残り2周でビッレッラとスタイブンをきっちり捕まえた。最後の山岳賞はトールクが取ったが、9人の追走グループとのタイム差はたった9秒しかなかった。

下りで雨澤、プラデス、カノラの3人が先頭の3人に追いつき、6人で鐘が鳴り響く最終周回へと突入。コントロールラインでカノラは後ろを振り返って追走を確認したが、集団とのタイム差は35秒に開いていた。

最後の古賀志林道の山頂は、プラデス、カノラ、トールクが先頭で通過した。序盤から逃げ続けていたルバと初山、そして雨澤はわずかに遅れていたが、下りでふたたび先頭に合流した。

集団ではビッレッラが必死でアタックを試みたが、すでに彼の近くにチームメートの姿はなく、孤独な闘いを強いられていた。ビッレッラのアタックはことごとく潰され、初山が遅れた5人の逃げは30秒ほどのタイム差を保ったまま、ゴールに到着した。

そして最後は、スプリントを得意とするカノラが他の誰よりも上手だった。彼は前日のクリテリウムと同様に早めにスパートし、大差を付けて雄叫びを上げながらフィニッシュラインを通過していった。

スタート前に、宇都宮で行われた90年ロード世界選手権をアマチュア男子カテゴリーで走っていたBMCレーシングチームのファビオ・バルダート監督は、優勝候補としてカノラの名前を上げていた。バルダート監督は、このコースがカノラに合っていると予言していたのだ。

バルダート監督は「この天気でレースは厳しくなり、完走できる選手は少ないだろう」とも言っていたが、意外にも47人もの選手が、歴史に残る悪天候のレースを完走できた。それはひどい雨にもかかわらず、沿道で熱い声援を送り続けた観客のおかげだったに違いない。
 

■日本のスポンサーに初勝利をもたらしたカノラのコメント「とても難しかった。雨で濡れていて、下りは危険だった。集団でたくさんの選手が限界になっているのを見たよ。失敗してカーブでスピードを落とす選手もいた。ボクは調子がいいと感じて走っていた。それにチームはとてもよく働いてくれた。

クネゴ、サンタロミータ、そして中根もボクを助けてくれてたくさん働いてくれた。だからボクは最終周回でまだエネルギーがあって、フレッシュな状態でいられた。

ここは日本だから、スポンサーのためでもあった。NIPPOはきっととても喜んでいるはずだ。このレースのために(ジャージの)ロゴスポンサーに付いてくれた秀光は、今までスポンサーになっても勝ったことがなかった。だからこの勝利はこれらのスポンサーに捧げる」

■2位に入ったプラデスのコメント「悪天候のレースだった。難しかった。畑中、ネイサン(アール)、プジョルがいて、チームとしては強い布陣だった。誰かが必ず先頭に入るようにするというのが作戦だった。下りで危険なところがあったが、スプリントでカノラに勝つのは難しいから、上りでしっかり仕掛けて行こうと思っていた。

それで上りでアタックしたが、カノラには敵わなかった。日本籍のチームとして勝ちたかったが、2位だった。もう少し距離が長ければ、ボクのチームが有利だったかもしれない」

■地元ブリッツェンに初のジャパンカップ3位をもたらした雨澤「チームに迷惑をかけていたところがあったので、こうやって恩返しができてよかった。皆の声援が力になった。天気が悪くて難しかった。例年通りワールドチームが序盤に(逃げを)逃がして、最後に捕まえるとい展開になるかと思っていたけれど、ちがった。皆がガンガン行っていた。

序盤の10人以上のエスケープに乗り遅れてしまった時はあせった。でも、チームメイトがつなげてくれて、本当に感謝している。3位は悔しくもある。でも、ナショナルチームの遠征でチームには迷惑をかけていたので、恩返しできたと思う。最後のスプリントは勝つために挑んだが、他の2人がずっと上手だった。今後はワールドツアーチームを目標に走りたい。
 

大門宏監督(NIPPO・ヴィーニファンティーニ)のコメント

大門監督(左)とジャパンカップ初優勝を果たしたカノラ(右)
大門監督(左)とジャパンカップ初優勝を果たしたカノラ(右)
「ツアー・オブ・ジャパンの時に、カノラに日本で次の大会は何かと聞かれたので、ジャパンカップだと話し、どんなコースなのかも説明していた。でも、イル・ロンバルディアの後だから、まだモチベーションがあれは走ればいいのではと言ったら、日本は気に入ったから走りたいと言っていた。

しかし、その後彼はかなりレースを走っていて、もう走らないと言ってもいいくらいだった。個人的には早く休ませた方がいいと思っていた。大事なレースだとしても、ボクは選手の来年の事も考えてあげたい。でも本人が来たいし、モチベーションもあると言うので走らせた。

8月にはすでにチームと2年契約(更新)もしていたから、走らなくても仕方ないと思っていた。UCIワールドチームに行くチャンスもあったと思うが、本人はワールドチームの難しさも知っている。

ダミアーノ(クネゴ)はよくアシストしてくれていた。中根(19位)はもっと頑張ってもよかった。今日はアシストと言うより、絶対自分の順位にこだわれと言ってあった。しかし彼はあまり雨が得意ではなく、寒いのがダメだった」