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【過去記事】引退。そしてあらたなるアプローチ 宮澤崇史大いに語る 前編

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常に情熱的で、かつ厳しい姿勢で自転車競技と向き合ってきた男が選手としての第一線から退いた。彼は今何を思うのか。長年、宮澤を取材し続けてきたジャーナリスト大前がその想いに迫る

text●大前 仁 photo●大前 仁、小見哲彦、本誌・中島丈博


※この記事はサイクルスポーツ2015年3月号に掲載された内容を転載したものです。記事内容は当時の取材内容に基づきます。


31歳で全日本選手権を制し、33歳でUCIプロツアーチームに所属した宮澤崇史が、昨年(2014年)10月、ついに引退を表明した。高校生の時にシクロクロスの世界選を走り、競輪学校を受験したこともあったが、一貫してヨーロッパを目指すロードレースチームに所属し活動してきた。彼は2001年には母への生体肝移植手術を受け、04年にはいったん所属するブリヂストン・アンカーから離れてフランスのアマチュアチームで走るなど波瀾万丈の半生を歩んできたが、08年の北京五輪日本代表を経て、ようやく念願のUCI最高カテゴリーのチーム、サクソバンク・ ティンコフバンク(サクソ)加入にまで上り詰めたという苦労人だ。

自転車以外にも料理などいくつもの分野で非凡な才能を見せ(「自転車ゴハン」=2011年)、以前には「食べ物屋は、将来的にはやりたいなと思う。だけど今はまだお金をとれるようなレベルじゃないよ。そういえばピザ屋を始めるための石釜は、見積もりまでとったことがある(笑)」と話していた。

引退へのアプローチ

何かがやりたくて辞めたんじゃないよ。やっていることに対して自分が納得いかなかったら辞める。そこが辞めるというアプローチへの一歩目だと思っていた。

選手のときも妻には、辞めたあとのことを考えながら、何でもいいからタネを植えながらやっていったほうがいいんじゃないのと言われていた。でも考えれば考えるど、これっていう1つのものがなかった。それは、じつは今も明確ではない。

でも、そういうことに悩みながら選手生活をやっていることにけっこう疲れてもいた。なんかやっぱり集中できないし、日々の生活の中で体を休めたいのに、頭を使う生活だったり、そういうのってすごくいやだった。

たとえば俺のことを応援してくれるスポンサーだったり、個人的に応援してくれている方もすごくいるんだけど、そういう人たちに対して(悩みながら走っている) 宮澤って応援したいかな? いや、彼らはそこは望んでいない。逆に失礼だと思った。だから俺はそういうことを考えないようにしようと一回リセットして、とにかく選手に集中しようと思ったんだ。

 

命を削る行為

結局、プロのレースをみて人々が何に感動するといって、彼らがあそこに命を賭けていることに、みんなが感動する。それって生半可なことじゃなくて、特にプロツアーでやっていくのって、たぶんすごく命を削る行為なんだ。

プロツールでの疲れがすごくあったときに、自分の走りに納得できなかった。サクソが終わってから去年ヴィーニファンティーニ・NIPPO(NIPPO)で走っていて、すごく精神的にも疲れていた。

でも「疲れている」じゃないでしょ、って。「結果を出さなきゃいけないでしょ」って話で。でも、そうなってしまったことが「ああ、これよくないな」って思い始めた。

エンターテイナーとして成り立たない自分を、自分はどう思いますかといったときに、ああ、なんか違うな......と。それが一番の引退のきっかけかな。タイミングとしては、ジャパンカップの2週間くらい前のこと。

沼に脚をとられる

それまでは、引退なんて考えなかった。突っ走っていただけだった。突っ走っていくのに沼に脚をとられて、脚が上がってこない自分を、今年は感じていた。脚を速く動かしているつもりなのに、じつは動いていない。今までは草原とかグラウンドとか道路とか走りやすいところで突っ走ってきて、いくらでも頑張ってこられたのに、ふと下をみたら進んでない。脚が上がってきていない。そんな自分にふと気づいた。それがたまたま、今年だった。

なんだろうね、削り切ったんじゃない? 俺の中では、選手の伸びしろって、みんな同じだけ持っていると思う。料理に例えると、小麦粉を延ばすのに与える水の量とか、足し水とかタイミングを考えて適切に延ばしてあげないと、長くは伸びないと思う。

長く延びないとどうなるかというと、延ばすつもりでもプツッと切れる。でも、そこで「エッ」と思う人は、その前の段階で間違えているんだよね。選手もその年齢、環境にあった伸ばし方をしないと伸び悩むよね。

決断

選手でいえば、要所要所でキチンと判断して、これだったら伸びていくだろうという判断の下に伸ばし始める。そういう、選手としての力を伸ばすというところは、みんな一緒だと思っている。そして今回の俺は、延びないところまで来たときに「なんとか切れないで!」と思うんじゃなく、「俺、切れるかもしれないな」と思って、ふと気づいた。そしてあのときにブチッと切れた。それがジャパンカップの前だった。

 


引退を表明した宮澤へは取材が殺到したが、「まだ何も決まっていない」と宮澤サイドはそれらを固辞した。しかし、これほどの人物を自転車界が放っておくはずがなかった。どこかのチームのコーチを引き受けるのか、それともトライアスロンなどに挑戦するのか? いやいや、まったく別の分野で第二の人生をスタートさせる可能性さえ、宮澤にとっては容易に見えた。 

「社会人一年生なので」と控えめに話す宮澤は、大きい自転車イベントはもちろん、クラブチームやショップ単位の小さなイベントの手伝いとか講演とかセミナーも積極的に関わりたいと言う。その一つとして来シーズン(2015年)、JPTチームのレモネード・ベルマーレの監督に就任することが発表された。

→後編に続く

Profile

みやざわたかし

1978年2月27日生まれ、長野県出身。1995年シクロクロス世界選U19で22位(2分32秒遅れ)。97年渡欧。 ロード選手としての所属チームはアコム・ラバネロ、日本鋪道レーシング、ブリヂストン・アンカー、チーム・ バン、NIPPO・梅丹、梅丹・GDR、アミーカチップス、ファルネーゼ・ヴィーニ、サクソバンク、ヴィーニファンティーニ・NIPPOなどを経て2014年10月、36歳で引退。尊敬する芸能人は江頭2:50。


勝歴
国体ロード(埼玉=2004)、ツアー・オブ・サイアム、ツール・ド・北海道、ツール・ド・おきなわ(以上2006)、アジア選手権、ツアー・オブ・ジャパン、ツール・ド・おきなわ(以上2007)、2008年北京五輪代表、ツール・ド・北海道(2008、09連覇)、ツール・ド・台湾、全日本選手権、熊本国際ロード(以上2010)など