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新城幸也インタビュー 10度目のエリート世界選手権、そして次世代への助言

新城幸也の2017年世界選手権を、本人の言葉で振り返る。

さらには渡仏15年、欧州生活欧州トッププロチーム在籍9年の新城が、後に続くべき日本の若き選手たちへ、ちょっとしたアドバイスを贈る。

 
text:Asaka Miyamoto photo:MIYAMOTO/jeep.vidon

2017年世界選手権、落車分断で好機を逃す



2017年世界選手権男子エリートにおける日本の出場枠は、1つだった。昨年までは大陸ごとに出場枠が設定されていたが、今年からは世界ランキングによる全世界一律での出場枠配分方法に変更された。

そのたった1つの枠に、日本代表監督・浅田顕は、新城幸也を指名した。理由はワールドチーム所属で常にハイレベルのレースを転戦していること、8月のワールドツアー2大会でUCIポイントを稼いでいること、さらには日本連盟が毎年掲げる成績目標「10位以内」を達成する能力を持っていること。

レース当日、新城自身の調子は良かった。ただ107人という大きな塊で最終周回に突入した後、最後の勝負地サーモンヒルの入り口で、落車が発生した。分断にはまり、約30人の先頭集団に残れなかった。孤軍奮闘の2017年ベルゲン大会は、2分32秒遅れの46位で走り終えた。

「スタート直後は足が重くて、地面に車輪が張り付く感じだったんですけど……走れば走るほど調子が良くなっていきました。ラスト4周目のペースアップの1発目はちょっときつかった。徐々にスピードが上がってましたから、そろそろだな……と思っていたら、ガツン!と上がって。あれが一番きつかったかもしれません。でも、おかげで、脚のない選手は一気にいなくなって、集団内での位置取りが楽になりました。コース自体はあまり脚を使うようなものではなかったので、僕もそこまではずっと集団後方でゆっくり過ごしていましたが、以降は前方へ上がるよう心がけました。

しかも、その加速以降、集団内はみんなものすごく用心してましたね。上りでペースが急激に上がることはなく、あくまでも一定テンポで進みました。だから『チャンスだな、残れるな』と考えました。好感触を抱いたまま、大きな集団でラスト1周に入りました。

でも落車で詰まってしまった。最終周回のサーモンヒルには、前から30番程度で突入しました。まさにそのタイミングで、目の前で落車が起こったんです。もちろん前を追いかけました。前集団にチームメイトが入り込んでいた選手は、すっかり踏むのをやめてしまいました。でも僕は1人での参加でしたから、やめるわけにはいかない。だから追いかけました……。頂上につく頃には大きく離されていて、前集団もすでに見えなくなっていて。ダメでしたね。

落車の『前』に入っていれば、30番手以内でサーモンヒルに入れていれば、落車の影響などうけずに前集団に残れていたはずです。まあ、はっきり言えば、それだけの脚だったということです。この場所でいいかな……と思っちゃったのが、失敗でした」
 

若手選手へのアドバイス「扉は開かれている」



2005年マドリード大会から数えて12回目、エリートカテゴリーでは通算10回目の世界選手権出場だった。つまりエリートの出場枠0だった2013年以外は、エリート転向後のすべての大会に出場してきたことになる。しかし新城以降、U23代表からエリート代表に本当の意味で移行できた選手は、存在しない。

「今の若い選手は、僕がアンダーの時よりも、いい環境に置かれているはずです。ネイションズカップ転戦もしているし、NIPPO・ヴィーニファンティーニという良い受け入れ先もある。あとは選手個人の意識の問題だけでしょうね。『アンダーのうちに』という意識を持つことです。時間は限られています。アンダーのうちにそれなりの成績を残さなくてはならないんです。

扉は開いています。現にワールドチームで日本人を欲しがっているところはあります。僕はあと1年、バーレン・メリダとの契約が残っているので、そこには行けませんけど(笑)。つまり扉は開かれているんです。

ただやっぱり成績や実力がないと、ワールドチームに入ってもしょうがない。正直に言えば、日本のレースを走っているだけでは、欧州でプロになるのは難しいです。そういう点で、NIPPOのシステムは、日本の選手にとってはありがたいものですね。ただ、NIPPOに入ったからそれで満足、ではダメ。それを足がかりにしなくてはなりません。NIPPOに所属して、レベルの高いレースを走って、成績を出して、その上のワールドチームに入る……という流れを作っていかないと。

若い選手たちが欧州でプロ入りを目指すなら、手っ取り早い手段は、僕や別府さんと一緒にレースを闘うこと。僕のような『年寄り』の、経験のある選手の側で走ることです。実際に僕はそうやって学びました。たとえば若い日本の選手たちは、『集団の位置取りは体が大きい方がやりやすい』と考えることが多いんです。でも、そんなことはない。単なるタイミングの問題です。誰かが先導して動く姿を見て、その動きについて行けば、それでタイミングを習得することはできるんです。

できればステージレースがいいですね。1週間みっちり、きついことを体験するべきです。もしくは経験のある強い選手たちと一緒に、長期の合宿に参加するのもありです。自分たちだけで、というのはどうしても限界がありますから。

なによりヨーロッパに来なければいけない。日本のレースは距離が短いし、踏んで、やめて、踏んで、やめて……というレース展開です。世界選手権のようなずーーっとペースが速いままのレースで闘えるようになるためには、実際にその中で走って脚を作り上げるしかない。自ずと練習も変えなければならない。普段の練習で(スピードが)アベレージ時速30㎞で走っていれば十分な世界にいるのか、それとも時速35㎞が必要な世界なのか。時速30㎞の世界にいるのに、欧州のレースでぽーんとスピードが上がってアベレージが時速45㎞を超えると、当然きつくなってきます。きつくなるのは基礎が低いから。つまり練習自体から、欧州レベルに引き上げなければいけないんです。

今回アンダーの代表選手たちからは、特に相談は受けなかったですね。部屋も食事の時間も違うので、なかなか交わる機会がなかったからでもあります。ただ彼ら自身が、そもそも、『自分が分かっていないことはなんなのか』ということ自体を分かっていないように思います。なにをしたらいいのか分からない。なにを聞いたらいいのかが分からない。上から言われてもピンとこない感じなんだと思います。ただひたすら一生懸命走っているんでしょうね。でも、もっと、考えなきゃならない。本人は考えているつもりかもしれないけど、もっともっと考えなきゃならない。頭でっかちになってもしょうがないですけど、それこそ1年中、考え続けるんです。

残念ながら、僕自身が、みんなと一緒に走ってあげれられる時間はあまりないんです。そこが難しいんですけどね。でも、もう一度、言います。欧州の扉は、開いてます」
 

東京五輪、さらにパリ五輪も目指す!

ノルウェーのベルゲンで33歳の誕生日を迎えた新城は、2012年ロンドン、2016年リオに続く2020年の東京五輪出場に大いなる意欲を燃やす。さらには第2の故郷フランスで開催される、2024年パリ五輪への参戦宣言さえ飛び出した!

「東京五輪はもちろん出たいですよ!若手に場所を譲るつもりなんてありません!それに僕は次のパリ五輪だって狙ってますから。40歳、まだまだいけます。

まあ、俺の場所を奪いに来い、という感じですかね。僕に勝負を挑んで欲しい。多分、今、ガチンコでタイマン勝負をやったら、僕に勝てる選手だっていると思います。いや、分からない、いないかな(笑)。

ただレース本番では、話は別です。勝負を左右するのは個人の力だけではありません。コースの状況やチームの動きを読むための、経験が必要になってきます。そういう部分では僕も経験が長いんで、まだまだ若い選手には、負けませんよ」
 

2017年ロード世界選手権・男子エリート(267.5km)結果

1 SAGAN Peter(SVK) 6:28:11
2 KRISTOFF Alexander(NOR) 6:28:11
3 MATTHEWS Michael(AUS) 6:28:11

46 新城幸也 6:30:43