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2017年世界選手権を闘ったU23日本代表、失意の先の決意

目標は15位以内に定めた。結果は1分50秒遅れの46位が最高位。

粒ぞろいのジェネレーションが、2017年世界選手権男子U23ロードレースに挑んだ。シーズン最後にして最大の闘いで、存在感は大いに示せた。しかし後味は苦かった。

出走5人中、4人は、来季からエリートカテゴリーへと上がる。

 
text:Asaka Miyamoto photo:MIYAMOTO/jeep.vidon

逃げに2人、存在感は示せた



「あらゆるものが、少しずつ、足りなかった」。日本代表監督の浅田顕は、2017年世界選手権男子U23ロードレースの日本代表の走りを、こう分析した。5人それぞれの動き方も、連携体制も、さらにはリーダーに指名された雨澤毅明を100%サポートするための信頼関係も。ほんの少しずつ。

「展開にはすごく恵まれたんです。ただ、ついていけばいい、それだけの展開でしたから。だから実力さえあれば先頭集団の約40人に残れたはずでした。でもそれが出来なかった。つまり、単純に、実力が足りないということです」(浅田)

19.1kmの市街地コース10周回で争われたレースの、1周回目の上りで、最初のアタックがかかった。「逃げには必ず誰かを送り込むこと」という出走前の指示に従って、岡篤志が上手く潜り込んだ。すぐさま小野寺玲が、もうひとつの重要な指示である「みんなで集団前方にまとまること」を果たすべく、プロトン前線で位置取りを開始した。

山本大喜が2周回目で飛び出して行ったのは、ちょっとした誤算だった。本人はすでに岡が前に行っていることを知らなかった。黒い雨具を着こんでいたせいで、集団内の仲間たちも、山本の行動を察知できなかった。

「たしかに後方のサポート体制は減りました。でも山本の持ち味はああいう形ですからね。彼の動きを否定することはしません。それにちゃんと前に追いつきました。しかも最初の逃げに2人乗ること自体、今までの日本ではありえなかった。だから存在感は示せたかなと思っています」(浅田)

1分もの差を埋め、ブリッジは成功する。しかしノルウェーが制御するメイン集団が徐々にスピードを増し、7周回目でいよいよ本格的な攻撃の打ち合いが始まると、2人を含む逃げはあえなく吸収された。「雨や寒さで集団がナーバスになった場合、前待ちで上手く走れば、もしかしたら最後まで残れるかも」(岡)との作戦は失敗に終わった。「出し切って、脚が完全になくなった」と言う山本は、2周を残して自転車から降りた。岡はどうにか踏みとどまるも、9周回目のサーモンヒルで千切れた。
 

もがく意味、世界で闘う意味



小野寺はメイン集団の先頭に近い位置で走り続けた。「自分を目印にみんなが前に集まってくれるに違いない」と考えたからだ。しかし岡本隼が前に上がってくることもあったが、「思ったよりも集団がごちゃごちゃしていて、上手くまとまれなかった」(岡本)。なにより前線にいるべき、2人が前線に連れて上げるべき雨澤が、常にプロトン最後尾に沈んでいた。

「最終周回の上りで集団が絞られた場合、またはアタックがかかって十数人が飛び出した場合、そこに僕が乗っていくのが目標でした。でもそれ以前の問題でした。僕には前に上がる余裕なんてなかった。ずっと苦しかった。ただ苦しくて、なにもできなかった」(雨澤)

前日のトレーニング中に落車したことも、レース序盤のメカトラで集団復帰に力を費やしたことも、言い訳にはしなかった。ただ「自分には実力がなかった、それだけです」と雨澤は手短に語った。

5周回目の加速には上手く対応できた小野寺だったが、終盤になって「急に脚にきてしまった。そこからずるずると遅れちゃって……」と、ラスト1周を残して足切りにあった。残り2周回のサーモンヒルで「もういっぱいいっぱいだけど、ここからが勝負だ」と岡本は気を引き締めた。しかしサーキット終盤の上りで集団が2つに分裂すると、雨澤と一緒に後方集団へと取り残された。

「一応、千切れた集団の中でも、最後はスプリントをしました。でも、そんなところでスプリントしても、意味ありません。たしかに最後にもがける脚はまだ残っていました。でも、1つでも前の集団でスプリントできなければ、もがく意味もないし、世界で戦う意味もないのだと感じました」(岡本)

最終周回で飛び出したブノワ・コスヌフロワとレオナルド・カムナが一騎打ちで勝負を争い、その3秒後に37人の集団がフィニッシュラインを駆け抜けた。1分50秒後にゴールした14人の第2グループの、岡本は先頭で、雨澤は最後尾で戦いを終えた。岡は13分24秒で、ジュニア時代から通算3度目の世界選手権を締めくくった。出走178選手中、完走は121人だった。
 

その先へとつないでいくために

「アンダー世代というのは、単なる通過点に過ぎません」(浅田)

U23ナショナルチームを率い、5年前からレベルの高いネイションズカップ転戦を積極的に行ってきた浅田顕にとって、アンダーカテゴリーで評価すべきは成績だけではない。むしろ今大会での経験をしっかりと選手本人が消化し、その先へとつないでいけるかどうかこそが大切なのだと語る。

「これから彼らがどうしていくのか。これまで積み重ねてきたことを、特にこのU23ナショナルチームの一員として欧州を転戦してきた流れを、今後どう活かすか。何を目指していくのか。エリート世代の選手に対して、現状では、連盟やナショナルチームがサポートをすることはできないんです。あとは彼ら自らの意志で、道を切り開いていくしかありません」(浅田)

2006年にU23世界選14位に食い込んだ新城幸也は、翌シーズンには早くも、エリート代表として世界一決定戦に乗り込んでいる。別府史之と共に欧州のトッププロチームで長年戦い続け、今秋は通算12回目、エリートとしては10回目の世界選手権を走った。

つまり10年もの空白が横たわっている。新城以降、U23代表からエリート代表への移行を、本当の意味で成功させた選手は存在しない。2007年から昨季まで、かれこれ16人ものU23ライダーが世界選手権を経験するも、エリートとして再び世界の舞台に立ったのは畑中勇介と内間康平だけ。その2人もまた、それぞれ1回ずつ呼ばれただけに過ぎない(内間はリオ五輪も出場)。

2020年に東京五輪を控える日本にとって、2017年世界選手権を戦ったU23選手の「その先」は、極めて重要になる。特に雨澤、岡、岡本、小野寺の4選手は、来季からはエリートカテゴリーに上がる。未来に向かって、4人は、すぐに走り出さなければならない。

「今回のアンダー代表のみんなは、国内だけで走っている日本の選手たちと比べれば、実力はトップクラスです。むしろエリートの選手と肩を並べて走れる実力があると思っています。もちろん新城選手や別府選手、海外で走っている選手たちとは、まだまだ力の差はあります。だけど、この先も成長を続けていけば、再びこの舞台に立つ機会も得られるはずです。ただ、ここに『来る』だけでなく、『戦える』実力をつけていなければ、出場してもしかたがない。だから、まずは、もっともっと実力をつけた上で、ここに戻ってこられるように頑張ります」(岡)

「自分が好きなタイムトライアルであれほどの大差がつきました(首位から4分40秒差)。つまりアンダーであれだけの差があるということは、エリートでは、さらに上には上がいるということ。それがしみじみと分かりました。今のままじゃ世界一を争う戦いには加われないですし、互角に戦うことは出来ません。これは世界選に来なければ分からなかったことです。世界における自分の現在位置が見えたと同時に、この場に立つためには、相当の覚悟を持って臨まなければならないのだと理解しました」(小野寺)

「ラヴニールも世界戦も、最低限にかするかかすらないかくらいの結果しか出せませんでした。それでも『これが世界の基準なのだ』という事実をしっかり受け止めています。この先たとえどんな大会を走り、たとえ勝ったとしても、『ラヴニールや世界戦に換算したらどのくらいの順位で走れているのか』と常に考えていなければならない。この世界の基準を絶対に忘れないことこそが、次のステップにつながると信じています」(岡本)

「アンダー代表として海外遠征をした2年間は、非常に内容の濃いものでした。ひとつひとつが命を懸けるような戦いで、充実した日々だったなと思います。それを糧に、エリートに上がってからも、しっかり頑張っていきます。将来進むべき道はなかなか定まりません。きっと正解はひとつじゃない。常に考えて、考えて、その時々によって変わっていくものなんだと思っています。だから今は1つ1つのレースを大切に、日々のことをしっかりやっていくしかありません」(雨澤)
 

2017年ロード世界選手権・男子U23(191.0km)結果

1. COSNEFROY Benoit(FRA) 4:48:23
2. KAMNA Lennard(GER) 4:48:23
3. SVENDGAARD Michael Carbel(DEN) 4:48:26

46. 岡本隼 4:50:13
59. 雨澤毅明  4:50:13
111. 岡篤志 5:01:47
DNF  小野寺玲
DNF  山本大喜