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ベルナール・イノーインタビュー「いつの日か、絶対に、日本からたくさんの自転車選手が育つ」

毅然たる態度は最後まで貫かれた。32歳できっぱりと自転車を降りた大チャンピオンは、62歳の誕生日を目前に、ツール・ド・フランス親善大使の職を離れた。人生最後の任務となった、さいたまクリテリウムの会場内を悠々と闊歩しながら、「寂しい気持ちなんてこれっぽっちもない。自分で決断したことであり、他の誰かから強制されたわけではないから」とベルナール・イノーは笑い飛ばした。
 
text:asaka MIYAMOTO photo:Yazuka WADA,Graham WATSON

Q.現役引退の時も、今回も、どうしてそこまで「きっぱり」決断できたのですか?

それは私が、常に今後の目的を持っているから。この先に何をしたいのか、何をすべきなのか、自分ではっきり分かっている。だから、ひとつのことを終えたら、次のことに邁進するだけ。つまり君も、今やっていることを辞める場合、次に何をするかをしっかり決めてから辞めなくてはならないよ。僕の場合は、孫の世話をすること!


Q.子供の成長を見られなかったことを、後悔しているからですか?
いや、後悔などしてはならない。過ぎ去ってしまったことは、なにひとつ変えることなどできない。これが人生だ。私の人生は、ただそういう風に作られていただけ。ただし今、私の目の前に、素晴らしい時間を過ごす選択肢が与えられた。孫の成長をそばで見届けるという選択肢だ。……だから、私は、そうしなきゃならなかった!
 

Q.あなたを最後に、フランスはツール・ド・フランス総合覇者を輩出していません。安心して第一線から身を引くことができないのでは?

シルバン・シャバネル(2016年 Etoile de Besseges第4ステージでリーダージャージを獲得)
シルバン・シャバネル(2016年 Etoile de Besseges第4ステージでリーダージャージを獲得)
近年のフランスは、ジュニアやU23で世界チャンピオンを生み出している。それなのに、驚くべきことに、その後みんな消えていく……。プロになる前は世界中の選手を倒しているのに、プロになった後は世界中の選手に追い抜かれてしまう。どうしてだろうか?

それは、一旦プロ入りしたら、十分な練習をしなくなってしまうから。もちろん全員とは言わない。ただ、たとえばシルヴァン・シャヴァネルがいい例だ。彼が若いころ、私は口を酸っぱくして、「お前は十分に練習してない」と何度も説教した。でも「はいはい」と軽く聞き流されるだけ。

ところが、何年もたって、ようやく初めてツールで区間勝利をした時だ。シャヴァネルが私のところにやってきて、「練習の大切さが身にしみて分かりました」って言うんだ。だからこう言い返してやった。「お前はもっと若い時に気が付くべきだったよ。本当に残念だ」ってね。「お前がどれだけの時間を失ったのか、ようやく理解しただろう。お前はもっともっと強くなれるはずだった。今日ようやく手に入れたちっぽけな区間勝利よりも、はるかに輝かしい栄光を手に入れられるはずだったのに」って。


Q.それはフランス独自の問題でしょうか?
さあね。ただ、フランス国内で走っていた時のシャヴァネルと、国外で走りだしてからのシャヴァネルとは、まるで別人だったろう?今現在フランス国外で走っている3人を想像してごらん。エティックスのジュリアン・アラフィリップ、ジャイアントのワレン・バルギル、ロットのトニ・ガロパン。彼らは偶然か必然か、成績をしっかり上げている。おそらく外国チームで、「成績がなければ、お前の居場所はない」という圧力をひしひしと感じているからだ。この例を見ただけでも、「ああ、フランスの自転車界では何かうまくいっていないことがあるのだ」と分かる。フランスで走っているフランスの選手たちは、自分の居場所を確保するために走る必要がない。その場に存在するだけで給料をもらっている。成績も上げずに、ちっぽけな給料だけで満足している。
 
ジュリアン・アラフィリップ(写真左。2016年ヨーロッパ選手権2位)
ジュリアン・アラフィリップ(写真左。2016年ヨーロッパ選手権2位)
ワレン・バルギル(写真は2016年ツール・ド・スイス第7ステージ優勝時)
ワレン・バルギル(写真は2016年ツール・ド・スイス第7ステージ優勝時)
トニ・ガロパン(写真は2015年パリ〜ニース第6ステージで優勝時)
トニ・ガロパン(写真は2015年パリ〜ニース第6ステージで優勝時)
Q.確か、ガロパンがU23時代に、「あいつは良く練習する選手だから、将来強くなる」とあなたから聞かされたことがあります。確かに強くなりました。
もっと強くなれるはずだったけどね。例えば身体能力はそれほど高くはないけれど、熱心に練習を積むことで、高いレベルまでたどり着ける選手が存在する。その一方で、身体能力が高いことに甘えて、十分なトレーニングを積まないまま、もっともっと上に到達するチャンスを棒に振る選手も存在する。それが全てだ。私はレースで勝った時には、いつだってこう思ったものさ。「俺は今日、このレースを勝った。つまり、もっと練習して、もっと激しく戦えば、もっと上のレースで勝てるはずだ」って。
 

Q.さいたまクリテリウムが最後の任務となります。この4年間、日本の自転車界に触れてきて、何か課題を感じられましたか?

もっと国内でレースを作らなけらばならない。そして若者たちは国内である程度戦えるようになったら、その後は外国へ飛び出せ。知らない場所で脚試しをしろ。欧州じゃなくてもいい。アメリカでも、アジアでもいい。ほかの場所で、世界中の選手たちと、肩と肩をぶつかり合わせなきゃならない。

残念ながらさいたまクリテリウムは、本物のレースではない。ただ、こういう見方をするのはどうかな?これは日本自転車界を刺激し、励ますために存在するイベントなのだ、と。「自転車競技が存在するんだよ」と一般大衆に示し、すでに自転車に乗っている選手たちには世界最高峰のレーサーと共に走る機会を与え、なにより子供たちに「僕も将来はあんなことをやりたい!」と夢を抱かせるための行事だ。「これぞ僕の天職だ!」って思う子供が増えれば、いつの日か、絶対に、日本からたくさんの自転車選手が育つ。もちろん、たった4年で、目に見える効果が表れるはずはないさ。フランスだって10年、いや、50年もの長い時間をかけて、ゆっくりと自転車文化を成熟させていったんだから。
 

ベルナール・イノー

1954年11月14日生まれ。フランス・ブルターニュ地方コート=ダルモール県イフィニアック出身。ツール・ド・フランスで5回の総合優勝(1978年、1979年、1981年、1982年、1985年)を成し遂げたほか。ジロ・デ・イタリア総合優勝3回(1980年、1982年、1985年)。ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝2回(1978年、1983年)のほか、世界選手権優勝(1980年)など現役時代は多くの勝利を挙げた。引退後はツール・ド・フランスを主催するASOでアンバサダーを務め、先日のさいたまクリテリウムをもってその職から引退した。