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ノーカット版!ロードバイクの名車とは<前編>

本誌2月号 ロードバイク名車大図鑑の冒頭にある座談会記事。ライター3人それぞれから名車のリスト(本誌参照)を出してもらい、それをもとに語ってもらった。
 
誌面の都合上、座談会の内容すべてを掲載できなかった。だが、このままどこにも掲載しないのはもったいない!ということで特別にCYCLE SPORTS.JPで公開。
 
これを読めば本誌がより楽しめる。ただし、かなり内容が濃いので熱中しすぎに注意だ。
 
text●サイクルスポーツ編集部

ライタープロフィール

・仲沢 隆 インプレライダーとして活躍するのはもちろん、ロードバイクの歴史に造けいが深い。
欧州のメーカー本社や自転車博物館へ、研究のため熱心に足を運んでいる。膨大なロードバイクのコレクションをもっている。52歳


・吉本 司 本誌ベテランライター。インプレッション記事などで活躍。
近年のロードバイク進化の歴史をつぶさに感じてきた世代。海外ブランドほか、国内ブランドへの知識も豊富。41歳


・安井行生 本誌でインプレッション記事をはじめ、特集記事などサイスポには欠かせない存在。
走って書ける自転車界期待の若手ライター。自分で名車と思える自転車をどんどん手元に残してしまうのが悩み。30歳

ロードバイクの名車とは

CS 今回の企画を進めるにあたり、御三方にモデルをあげていただきましが、ひと口に名車といっても、さまざまな観点があると思います。その定義とはどんなものでしょうか。

仲沢 簡単に言ってしまえば、レースで活躍した自転車でしょうか。
コルナゴ・C 40は皆さんあげていますが、クラシックで無敵ともいえる自転車でした。
実際には乗っている選手が速いわけですが、パリ~ルーベとか多くのレースで勝ち続けて、色々な物語があり、そういうものに惹かれます。

CS 吉本さんは、どうですか?

吉本 レースで活躍したのはもちろんですけど、ピナレロ・プリンスのようにインテグラルヘッドを定着させるなど、技術革新した自転車が多く思い浮かび、それを選びました。

CS 安井さんはどのような基準で?

安井 レースで圧倒的な成績をあげたもの、技術の発展に大きく寄与したものです。
ジャイアントのスローピングとか、自転車文化に大きな影響を与えたもの、キャノンデールのキャードシリーズのように、手ごろだけど性能がよくて売れ続けて、ロードバイクの世界に新しい人を呼び込むようなモデルもあげました。
ほかにも今のチタンフレームのように、芸術性や独自の世界を持つもの。名車=高性能バイクにはならないと思います。
 
CS 自転車は100年以上の歴史があって、名車をロードバイクに限定したとしても、とんでもない台数になると思います。
まずは、どの時代からの自転車を取り上げるかの定義が必要ではないでしょうか。

仲沢 まあ、70年代以降ぐらいじゃないですかね。
というのはこの頃までは車種という概念はなく、みんなクロモリのチューブで工房にフレームを作ってもらう感覚だったので、デローザの何というモデルではなくて、ウーゴに作ってもらうというスタイルでしたね。

CS 確かに、本誌のバックナンンバーを調べても「デローザ」と紹介されるだけで、モデル名はどこにも書いていない。
不思議だったのですが、そういうことなんですね。

安井 今では想像つかないですね。

仲沢 やっと70年代ぐらいじゃないですか、コルナゴでスーパーがとか、パントグラハートがとかのモデル名が登場したのは。

吉本 僕が目にしてきたのは80年代前半以降の自転車です。
当時といえばエアロブームがあって、その後にシマノが7400系デュラエースでダブルレバーにSIS(シマノ・インデックス・システム)を搭載して、後にデュアルコントロールレバーが登場する。
コンポの基本性能も含めて、現在のロードバイクにいちばん通じている時代に思えます。
自分が最も熱中していた時代というのもありますが、80年代はすごく魅力的にうつります。

仲沢 イノベーションという点においてですね。カーボンフレームが脚光を浴びたのも、ツールでグレッグ・レモンがルックに乗って初めて勝ったのは86年ですから。

CS やはり新しい機構や規格、そしてさまざまな素材が登場した80年代は、今回の企画のボリュームとしては厚くなる部分のひとつと言えそうですね。 

吉本 今回のリストを見ても、80年代から90年代がいちばん充実していますよね。

仲沢 僕もこの選ばれた車種を見て、要するにコッピの時代には、車種という概念ではなくて、このビルダーに依頼して作っていたというような話から始まっていくのかな。
という感じはしましたね。メルクスのアワーレコード車もそうだし。

吉本 日本のロードバイク史で考えると、チネリ・スーパーコルサやマジィあたりがベースになるのかなと。
1964年の東京オリンピックにやってきた、これらのバイクを日本の自転車人たちが目の当たりにした。
後にそれを手本にフレームを作ったことを考えると、このたりが今回の企画のスタート地点にしてもいいかと思います。

仲沢 原点という感じがしますよね。

CS それを分岐に日本の競技用自転車が大きく変わったというのはあるんですか?

仲沢 影響はかなり大きいですね。当時の専門店といえば東京・上野の横尾双輪館ぐらいしかなかったのですが、横尾さんなどはオリンピック会場で自転車の写真をとりまくって、それで熱心に研究されたみたいですね。
その写真を見せていただいたことがあります。

吉本 チネリとかマジィを購入して、研究したという話を聞いたことがあります。

仲沢 それで片倉自転車とかで作って、国産でもいい自転車を作ろうということになって、ヨシガイなどそういった会社が一致団結したんです。
 

自転車の性能はビルダーやチューブに依存していた

CS 先ほど登場したチネリ・スーパーコルサやマジィなどの時代を起点に、時代の流れを追ってみましょう。

吉本 60年代までだとビアンキ、チネリ、マジィといったブランドが名門という印象を持ちます。
60年代後半から70年代になるとコルナゴ、デローザが注目されるようになってきましたね。

仲沢 モルテニカラーのコルナゴに、70年代最初にメルクスが乗って活躍していたのが、デローザに乗り換えて。で、最後はデローザで終わる流れがいちばん大きいのかな。

CS 60年代と70年代の自転車の特徴に違いはあるのでしょうか?  たとえば、より軽量化されたとか?

仲沢 当時のフレームチューブといえば、だいたいコロンブスですよね。それでラグの形をちょっと変えてブランドごとに特徴を出しつつ、同じチューブを使っていても乗り味が違っていましたね。
デローザも当時の広告に出ていたじゃないですか、プロ供給用はBBの肉厚が厚くて、一般用は薄いんだ、とかね。そういった違いでしたね。

吉本 当時はチューブの種類も今のようになかったし、基本的な性能はチューブのスペックに依存している部分も多かったのではないでしょうか。

仲沢 ウーゴ(デ・ローザ)が作るとこんなにもよく走る自転車になるんだとか、そういうのが売りだったんですね。ビルダーが誰であるかが重要でした。

吉本 基本的にはラグド式のスチールフレームで、大きな技術革新というのはないように思いますが。ダブルレバーなどの直付け工作が増えたとか、ロウ付け溶接に銀ロウを使うようになりましたね。
デローザはショートポイントのラグを提唱したり、もっと後ですが菱形断面のチェーンステーを投入したりしました。あとは軽量化ですね。

仲沢 日本のイシワタ(石渡製作所:カイセイの前身)のチューブをビアンキが使って、73年の世界選を制したジモンディーの自転車は、イシワタの017チューブ(最も肉厚が薄い部分が0.4mmの軽量チューブ)を使っていました。
とはいえ、基本的にチューブはコロンブス(SL)が主流ですね。

CS イーストンやらデダチャイとかはなかったんですか?

吉本 まったくないですよ。

仲沢 プジョーなどがレイノルズ・531などを使っていましたけど。

吉本 フランス車はレイノルズが多かったですね。フランスだとビチューのチューブもありましたよね。

仲沢 ありましたけど、あんまりレースで活躍した印象はないですね。

CS ビチューはチューブメーカーだったんですか?

仲沢 もともとそうですよ。
 

軽さの追求、空気抵抗への挑戦

仲沢 70年代は軽量化ブームがありましたね。

吉本 ドリルでパーツにゴリゴリと穴を開ける。

仲沢 そうそう。メルクスがやりはじめて。たいして軽くならないんですけどね。
カンパのチェーンホイールに穴を開けるのとか、僕も一大決心をしてやりました。ダブルレバーの肉抜きをしたり、一生懸命ヤスリで削ってね。
高い部品だから、いま考えるとやらなきゃよかったと思います。

吉本 後にスーパーレコードが登場して、リヤディレーラーやペダルにチタン製のボルトやシャフトが装備されて軽量化されましたね。

仲沢 そうですね。74年発表で、日本に75年に入ってきましたが、僕は高校生で、とても買えませんでしたね。
ショップのショーウィンドーにへばりついて、ずっと眺めるだけでした。欲しいな、欲しいな~と思って。
大学生になってお金貯めてやっと1個ずつ買い揃えてゆくような感じでね。

CS いくらぐらいしたのですか?

仲沢 フルセットで買ったら30万円ぐらいしたと思います。現在の価値で考えたらとんでもない金額ですよね。

吉本 パーツだけでなく、チューブでも軽量なものがでてきて、イシワタが015や017といったチューブも出しましたね。

仲沢 そのころですね。

吉本 で、軽量化が落ち着きを見せると……。

CS エアロの時代ですね!

安井 なんだか時代を繰り返している感じがしますね。

仲沢 いまと通じます。カーボンフレームもそうですよね。

CS エアロブームってロス五輪の前ですか?

吉本 70年後半にジタンのエアロ車が登場して、ロス五輪の80年代中盤あたりがピークですね。
偏平チューブのコロンブス・エアーとかデュラエースAXが登場して、果てはファニーバイクとディスクホイール。
このころは酔狂な自転車がいっぱいありました。

CS 本誌のバックナンバーを見ると、突如としてエアロブームによるバイクとパーツが出てきたのですが、これはなにがきっかけなんでしょうか。

吉本 起源がどこにあるかはわかりませんが、ジタンのエアロ車とデュラエースAXの誕生が大きなポイントですよね。

仲沢 ジタンのエアロ車による影響はすごく大きいでしょう。ベルナール・イノーがツールに優勝(79年)したから。
TTでも勝利を収めてね。となると、やっぱりエアロっていいんだってことになりますよね。
もし、あのバイクがたいして強くない選手が乗っていたら、ここまでのブームにならなかったかもしれないですよね。

吉本 確かにそうですね。

仲沢 やはり、そのときのチャンピオンが使って勝つというのは大切ですよね。ルックのビンディングペダルもそうじゃないですか。
85年にイノーが突如使い始めて、ツールに優勝して「うわ~いいなあ~」って、みんなが使うようになったわけですから。

名車は偉大な選手とともにある

吉本 ジタンの例を見ても、名車というのは、強い選手が使うというのは欠かせないことですよね。

仲沢 そうです。レースで勝つのは本当に重要ですよ。
いまの自転車は、ツールで活躍しないと売れないじゃないですか。いまも昔も一緒ですね。

吉本 そこは変わんないですね。

CS メルクスが来て、イノーが来て……、その次は?

吉本 エアロブームが定着すると、84年にSISを搭載したデュラエースの7400系が登場してコンポーネントのトータルインテグレーションが進みますね。

CS カチカチ音がする位置決め機構付きのダブルレバーが登場するんですね。

吉本 フレームではラグ接着によるアルミやカーボンフレームが活躍するのも80年代からですね。

仲沢 アランのアルミフレームは70年代からありますけど、レースでの大きな勝利はなかったですね。

吉本 ビチューの接着アルミもショーン・ケリーが乗ってパリ~ニースを勝利するなど活躍していましたが……。

仲沢 やはり86年にレモンがツールに優勝したのは、カーボンフレームが注目されるようになる大きな出来事ですね。

CS ビッグレースでの勝利という点では、アルミよりカーボンのほうが早いんですか?

仲沢 いや。ケリーが乗っていたビチューのアルミの方が早いと思います。ケリーはビチューを好んで乗っていましたね。
PDMに移籍(それ以前はKAS)してからもビチュー(カーボン)に乗っていましたね。好きだったんでしょうね。

吉本 晩年にフェスティナでパリ~ニース(92年)に勝ったときもビチューですもんね。
ビチューのカーボンとかアルミフレームはすごくしなやかで、パリ~ルーベとか勝つようなケリーみたいな選手がよく乗るなぁって感心しましたね。

 アランとかビチューの時代はいつ頃ですか?

仲沢 おもに80年代ですね。

CS といっても80年代はクロモリが主流なんですよね。

吉本 そうですね。80年代の中盤以降になるとクロモリチューブも種類が増えてきましたよね。

仲沢 増えましたね。

吉本 コロンブスが85年にSLXという名作チューブを発表したりして。

仲沢 SPXとか、TSXとかもありました。

CS それって肉厚がそれぞれ違うんですか。

吉本 SLXはチューブ内側にスパイラル型のリブを入れて軽さと剛性を両立したチューブで、それまでのSLに代わって主流となりました。
SPXはSLXよりもリブの面積が広くて、TSXはSLXの肉厚を落とした軽量バージョンですね。

CS やっぱりコロンブスが主流なんですか?

吉本 そうですね。

仲沢 オリアやデダチャイ(ともにイタリア)といったチューブメーカーが出てきたのは、90年代になってからですね。

吉本 レモンがルックでツールを制して新素材がさらに注目を浴びて、その後にTVTのカーボンが登場するのですが、依然として主流はまだクロモリでしたよね。

仲沢 90年代の頭ぐらいまでそうですね。90年代頭になるとニバクロームチューブ(ニッケルとバナジウム素材を添加したスチールチューブ)をコロンブスが出すようになります。
ELとかマックス、ミニマックスなどが登場して、なかなかよかったですよね。これらのチューブ対新素材フレームみたいな感じがあって。

CS ニバクロームチューブだと、どんなブランドのフレームが印象的ですか?

仲沢 僕はイメージに残るのはビアンキかな。エディメルクスも印象的ですね。

吉本 ああ、モトローラチームが乗っていましたね。

仲沢 93年にランス・アームストロングが(世界選ロード)で優勝したときの(メルクスは)マックスでしたね。
 

カーボン、アルミバイクの登場

CS なるほど。当時の対抗馬となる新素材はカーボンですか?

仲沢 ちょっと前ですけども、ルック、TVTですね。

吉本 当時は軽量化をしつつ剛性を保ちたかったので、それでスプラインを入れたり、ニバクロームチューブを開発して肉厚を落としたりして。
熱処理によって肉厚を落としても剛性を確保したタンゲ・プレステージのチューブもそうですよね。

CS 剛性というキーワードがでてくるのはちょうどそのころってことですか? いまのカーボンフレームだと剛性を抜きに性能は語れないですよね。

仲沢 要するに剛性を落とさずに軽量化するっていう形でしたね。

吉本 それはこの年代に限ったことではなく、昔もいまも同じですよ。競技用自転車の永遠のテーマでしょう。

仲沢 ニバクロームチューブは、新素材フレームに抵抗するための策とも言えるでしょう。

吉本 接着構造のカーボンやアルミとスチールが平行して、レースで活躍していたのが80年代中盤から90年代初頭でしたね。

CS 90年代に突入して、次に転機が訪れるのはいつ頃ですか?

仲沢 93年ぐらいでしょう。ティグ溶接のアルミフレームが登場したのは大きいですね。

吉本 その背景にあるのがMTBブームで、それを抜きにロードの進化は語れないですね。MTBが進化していく過程で、いろいろな素材や構造がロードに転用されていきました。

CS MTBブームとは、いつ頃ですか?

仲沢 一大ブームになったのは90年代ですが、80年代中ごろからありましたね。

吉本 ダート走行でバイクに負担が大きなMTBに必要とされたのがライト&タフであること。それを実現しやすかったのがアルミという素材だったんです。

仲沢 そうそう、アメリカ人の自由な発想がロードを変えたっていうのはありますね。
MTBは既成の概念に捕われずに「軽くしたいならアルミを使えばいいじゃん。
剛性を上げたければチューブを太くしたらいいじゃん」ってことで、平気でどんどん変えちゃって。
でも、ロードをやっている人たちはそれができなかったですね。

吉本 溶接アルミはそれこそクラインなんか70年代半ばに作っていたし、キャノンデールも大径チューブの溶接アルミを80年代はじめに発売していましたね。
その頃の北米ブランドはヨーロッパのレースとは無縁で、国内のロードレースやMTBで独自に進化してゆきましたよね。

仲沢 ヨーロッパ人には見向きもされずに、勝手にね。

CS アルミのロードバイクはその時代にも作っていたんですね。

吉本 そうですね。でも、ジオメトリがちょっと特殊ですごく乗りにくかった……。

仲沢 クリテリウムスケルトンなんて言われていましたよね。

CS ヨーロッパが溶接アルミを認めたきっかけはどこにあるのでしょうか? 

仲沢 やはりコロンブスがアルテック(アルミチューブ)を開発して、それをイタリアのカレラあたりがいち早く採用してフレームを作るようになりましたね。
それにクラウディオ・キャプーチみたいな有名選手が乗って活躍して、すると「なんだ、アルミはいいじゃないか」、「勝てるのならそれ使おう」ってなりますもんね。

吉本 キャノンデールやクラインは別にして、昔のアルミフレームというと非常にしなやかな乗り味で、それこそもがくとビヨ~ンってフレームがねじれるのがよくわかったぐらい。
だから古い人にとってアルミは「柔らかい素材」というイメージがあった。
そこから、MTBの進化によってアルミの合金技術なども進歩して軽量化と剛性の両立がしやすくなった側面もあると思います。

仲沢 あとは、やっぱりチューブ外径を太くできたということです。
スタンダードゲージでアルミチューブを作るとグニャグニャだったけども、太くすれば固くなるのは当たり前なわけで。
それがヨーロッパの人にはできなかったけども、アメリカ人は簡単にやっちゃったわけですね。

魅惑のチタンバイク

吉本 スチールに代わる素材としてチタンがあるけど、これは別の世界で着々と進化してきた印象がありますね。

仲沢 そういう感じがしますね。ず~っと。90年代にはけっこう、エース級の選手がチタンバイクに乗ることがありましたね。
ライトスピードとかで作ったやつなんかを、チームカラーに塗ってね。

吉本 チタンバイクの元祖って70年代のテレダインですか?

仲沢 テレダインは75年です。いまでもよく覚えています。
笑っちゃうのが、ダブルレバーを止める部分の外径を落として作ってあるんです。
当時のスタンダードゲージに対応させるために。
いまなら台座を溶接すればいいんですけど、昔は溶接の熱劣化で弱くなっちゃうからっていって。
クロモリフレームも溶接なしで、みんなバンド止めで、その縛りがあったから。

CS あ!そのバンドの径に合わせるために

仲沢 そうそう。それと、チタンフレームといえば、テレダインの前にイギリス製のスピードウェルがありましたね。
テレダインの1年ぐらい前にありましたね。千葉さん(アマンダスポーツ)とかが輸入してね。けっこう研究したんですよね。

CS チタンもやはり軽量化が目的ですか。

仲沢 そうですね。テレダインの後となるとチタンはトレッチアもありましたね。

吉本 自分のところでチタンの板を丸めて溶接したチューブを作っていましたね。

仲沢 そうそう、パッソーニの前身ですね。

CS チタンフレームがレースで大活躍したことはあるんですか?

仲沢 90年代のころは競争力があったから、選手によってはその乗り味が好きで優勝した選手もそれなりにいましたね。
マウロ・ジャネッティとかコッピのチタンでいくつかレース勝っていますよね。

吉本 あとは94年のジロを制したエフゲニー・ベルツィンが乗っていたのはデローザのチタニオですね。
その年のリエージュはゲビス・ビアンキ(チーム)が表彰台を独占しましたね。

仲沢 あれはかっこよかったですね。最高にかっこよかった。

吉本 チタンフレームは90年代中ごろがいちばん輝いていました。
アシスト選手はスチールだけどエースはチタンとか、山岳ステージだけチタンみたいな。そういう感じでしたよね。

仲沢 そうですね。ドリアーノ・デローザがチタンの溶接技術を身につけて、エース級の選手だけに、シコシコ作っていいました。

吉本 ブエルタを3連覇(92-94年)したトニー・ロミンゲルもコルナゴ・ビチタンを乗っていましたね。

仲沢 そうそう。それからビアンキがTIメガを作ったんですよ。あれがかっこよかった。

吉本 TIメガは、コロンブスのチタンチューブセット、ハイペロンのメガチューブを採用したという点で評価できるバイクですね。

仲沢 90年代はスチールあり、カーボンあり、アルミあり、チタンありでとても面白いですね。

安井 でも、チタンは他の素材みたいに一度もメインストリームにはならないですよね。

吉本 そうですね。素材の価格自体も高いですし、加工性の低さや溶接設備を揃えるのが大変なのが普及しなかった要因でしよう。

仲沢 そうですね、コストがあまりにもかかり過ぎますからね。

吉本 でも、チタンフレームのティグ溶接のビードの美しさに代表される手工芸品的な部分は所有欲を大いに掻き立てますよね。
例えば当時のマーリンのエクストラライトは美しかったですね。

仲沢 ああ、いいですよねー。

吉本 レース性能とは関係ない部分ですけど、当時のチタンフレームといえば北米だとマーリン、ヨーロッパだとパッソーニ(トレッチア)が頂点という位置づけでしたね。

仲沢 ああ、そうですね。手工芸品という点ではまぎれもなくそうでしょうね。

安井 ライトスピードは出てこないんですか? チタンっていうとライトスピードっていうイメージが僕らはありますね。

CS 確かにそうですね。

仲沢 デローザとエディメルクスがライトスピードのチューブを買って、自分のところで溶接したんですよね。

吉本 エディメルクスのチタンバイクは、ライトスピードのギャランティステッカーが貼られていましたよね。
99年にアームストロングが乗ったトレックのTT車もライトスピード製ですね。

CS そうなんですね。

吉本 僕みたいに古いサイクリストはチタンというとマーリンとパッソーニが頂点で、そこから一段下がった格付としてライトスピードでした。
価格を抑えたモデルも出してチタンを広めようとした、という意味では功績の大きいのではないでしょうか。
90年代後半以降はライトスピードがチタンのトップブランドの1つだと思いますが。

CS 格付というのも、また独特の世界ですね。なんだか神々しいチタンの道ができていますね! 突如歴史の表舞台に出てきて、ぱっと輝いてまた別の流れに戻っていく。

仲沢 チタンは、怪しい素材というイメージがどうしても付きまとうからマニア受けはしますよね。
独特なチタン色ときれいな溶接のビードとかを見ると、ぐっときちゃいますね。6/4チタン(アルミ6%、バナジウム4%を配合したチタン合金)って潜水艦のために作った金属なんです。
旧ソ連の原子力潜水艦って船体全部がこの素材でできていて、とんでもないコストがかかっていたんですよね。

CS 潜水艦にチタンがいいっていうのはやっぱり軽いから?

仲沢 軽くて耐蝕性に優れている。鉄じゃ錆びちゃうけど、チタンは錆びませんからね。

吉本 そういえばデローザも6/4チタンのチタニオはラインナップ落ちして、3/2.5だけになっちゃいましたね。最近は3/2.5チタンのチタンバイクをあまり見ないですね。

仲沢 6/4って溶接がすごく難しいですからね。いまのチタンバイクはレース用よりは、ラグジュアリーなモデルになってきたので、それを生かすなら3/2.5のほうがいいですもんね。

CS 見た目の話ですか?

仲沢 いや、3/2.5のほうが6/4よりも素材的に柔らかいから、乗ってシルキーな走行感を演出しやすいわけですよね。
 
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ロードバイクの名車とは<後編>を読む
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