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ジロ・デ・イタリア2011総集編

イタリア統一150周年を記念したジロには、様々なドラマがあった。しかし、ミラノでマリア・ローザを手中に収めたのは、大方の予想通りコンタドールだった
Foto: RCS Sport

イタリア統一150周年を記念してトリノで軍事パレードに参加

イタリア統一150周年を祝う、国の公式イベントだった今年のジロ・デ・イタリアは、統一当時にイタリアの首都だった北部トリノで5月7日に開幕した。時を同じくして、トリノではアルピニと呼ばれるイタリア陸軍山岳部隊の、年に一度の全国集会が開かれ、毎年ジロの開幕に先駆けて行われるチームプレゼンテーションは、この軍事パレードに参加する形で行われた。アルピニ全国集会は年に1度のお祭りで、退役軍人も含めて100万人が集まる大イベント。ジロの選手たちが参加したパレードにも50万人が詰めかけ、会場となったトリノのカステッロ広場は信じられないような人の海と化した。翌日から3週間の長旅に出るというのに、選手たちは2時間も拘束され、結局プレゼンテーションらしいことは行われずに気の毒だったが、アルピニ帽をかぶったり、集会をサボって座り込む選手がいたりと、シャッターチャンスには事欠かなかった。ちなみにアルベルト・コンタドールのサクソバンク・サンガードは、このイベントに遅刻して現われ、後半部分にだけ参加していた。

ウェイラントが事故死…ゼッケン108はジロ永久欠番に

アルピニ全国集会との共同開催の恩恵で、トリノで行われた初日のチームタイムトライアルは100万人が観戦。そんなお祭りムードで開幕したジロを、たった3日で悲劇が襲った。第3ステージ、ゴールまで残り27km地点、カテゴリー3のパッソ・デル・ボッコの下りでレオパード・トレックに所属するベルギーのウォートル・ウェイラントが落車。メディカルチームによる懸命の救命処置の甲斐なく、彼は帰らぬ人となってしまった。奇しくもウェイラントは、昨年のジロの第3ステージで区間優勝していた。翌日は追悼ステージとなり、競技は行われず、レオパード・トレックのチームメートたちと、ウェイラントの大親友だったタイラー・ファーラー(ガーミン・サーヴェロ)が一列に並んでゴールラインを通過した。彼らはこのステージの後、今年のジロを去っていった。主催者RCSスポーツは、ウェイラントが付けていたゼッケン108を永久欠番にすると発表。ジロで命を落とした選手は彼が4人目だったが、ゼッケン番号が永久欠番になるのは初めてのことだった。

エトナ火山ステージでコンタドールが首位に浮上

今年のジロで最初にして最大の見どころだったのは、シチリア島のエトナ火山を舞台にした第9ステージ。数日前にはまるでドラマのように火山が噴火して、開催が危ういのではないかと言われたが、幸いレースには支障がなかった。そしてエトナ火山の標高1892m地点でゴールする頂上決戦を制したのは、誰でもないコンタドールだった。彼はゴールまで残り7kmで、先にアタックしたホセ・ルハノ(アンドロニジョカットリ)を追走して飛び出した。同じく総合優勝を狙うミケーレ・スカルポーニ(ランプレ・ISD)が一度はコンタドールに追いついたが、すぐに脱落。コンタドールはルハノを捕らえ、ゴールまで残り5kmで先頭に立った。小さな巨人ルハノも、コンタドールのアタックに必死で食らいついていたが、最後は残り1.6kmで脱落してしまった。コンタドールは単独でエトナのゴールに飛び込んだが、お決まりのシューティングポーズは見られなかった。彼はこのエトナ火山で獲得したマリア・ローザを、誰にも譲り渡すことなく、ミラノまで持ち帰った。

スプリンター受難の山岳ジロ。集団ゴールはたった3回!

今年のジロはクライマー向きの山岳コースで、開幕前からスプリンターが活躍できる区間は少ないと言われていたが、実際にピュアなスプリンターが集団ゴールスプリントを競ったのは3ステージしかなかった。それをアレッサンドロ・ペタッキ(ランプレ・ISD)が1勝、マーク・カベンディッシュ(HTC・ハイロード)が2勝で分け合う形になった。しかし、ペタッキが勝った第2ステージも、2位のカベンディッシュがベテランの蛇行を抗議したが、審判団はこれを認めなかった。今年は最後の週に平坦ステージが1日もなかったため、多くのスプリンターは第13ステージ以降の山岳ステージは走らず、ジロを去っていった。この行為を非難する声もあったが、彼らもプロ。山越えで疲れきってしまうよりは、7月のツールに備えて、十分な休息を取ることを選択するというのはよくわかる。スプリンターに代わって、最終週には逃げ屋たちが活躍し、今年のジロの一つの見どころになった。

マリア・ローザが他チームの選手をアシスト?!

さまざまなドラマが日々生まれた今年のジロ。最終週の初めにはスペインからシャビエル・トンド(モビスターチーム)の訃報が入り、同郷のコンタドールやチームメートのバシリ・キリエンカが勝利を捧げる一幕があった。イタリア統一150周年を祝う大会だというのに、イタリアチャンピオンのジョバンニ・ヴィスコンティ(ファルネーゼビーニ・ネーリソットリ)が、ゴールスプリントで若いディエゴ・ウリッシ(ランプレ・ISD)を2度も手で押しのける危険行為をしでかし、降格処分になってしまう事件もあった。しかし、何といっても第19ステージでマリア・ローザのコンタドールが、ライバルチームのアスタナに所属するパオロ・ティラロンゴの区間優勝をアシストしたのは、前代未聞の出来事だった。しかも、残り6kmでティラロンゴにアタックを勧めたのも彼だったのだ。そしてコンタドールは独走していたティラロンゴにゴール直前で追いつき、しばらく引いた後、最後はボディーガードのように区間優勝を見守った。実はコンタドールは昨年までアスタナに所属し、ティラロンゴとは親友だった。昨年のツールでティラロンゴがアシストしてくれたお礼を、ジロで返したのだ。本来はあり得ない行為だったが、この友情物語に文句を付ける無粋な輩はいなかったようだ。

ミラノのドゥオーモ広場で盛大なフィナーレ!

3週間の闘いを終えた159人の選手たちを、ミラノは笑顔のような快晴で迎えた。イタリア統一150周年記念大会の最後を飾るにふさわしいフィナーレの舞台は、壮大なドゥオーモの前に準備されていた。第9ステージでマリア・ローザを手中に収めたコンタドールに死角はなかった。彼は後半戦につづいた山岳ステージで、一度たりとも危なげな走りを見せることはなく、ネベガル峠で競われた山岳個人タイムトライアルでもトップタイムでゴールし、マリア・ローザに花を添えている。総合2位にはスカルポーニ、3位にはビンチェンツォ・ニーバリ(リクィガス・キャノンデール)が入り、ミラノの表彰台の両脇はイタリア勢が死守し、統一150周年記念大会の面目を保った。しかし、最終的なタイム差は6分以上。今年のジロは開幕前に誰もが予想した通り、コンタドールの圧勝に終わった。 ジロのコースに敵はいなかったが、コンタドールにはまだ法廷での闘いが待ち構えている。このマリア・ローザを守るために、彼は昨年のツール・ド・フランスで陽性になったドーピング事件の裁判でも勝利を収めなければならない。その『審判の日』は、8月にやって来るだろう。