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不安50:楽しみ50 雨澤毅明の挑戦

2017年ジャパンカップロードレースでの久しぶりの日本人表彰台、2018年ツアー・オブ・ジャパン京都ステージでの優勝という成績を残し、3年間いた宇都宮ブリッツェンを離れることを決めた雨澤毅明。今までとこれから、そしてその胸の内を聞いた。

 
text●滝沢佳奈子 photo●船入 光/滝沢佳奈子

「とうとうこの環境に甘えるのを卒業するときが来ましたね」

国内コンチネンタルチームの宇都宮ブリッツェンに所属する雨澤毅明、23歳。3シーズンを宇都宮ブリッツェンで過ごし、来たる2019シーズンでの移籍を決めた。雨澤は、「とうとうこの環境に甘えるのを卒業するときが来ましたね」と話す。

少年時代の雨澤は、水泳と持久走が得意であったためトライアスロンを始めた。そこで自転車に初めて触れた。走るのも短距離より長距離の方が好きだった。

「小学生のときの鬼ごっことかも、ずっと走って追いかけ回すんですよ。休まずに。相手が力尽きるまで体力勝負してましたね。」

逃げる方からしたら実に嫌な鬼である。昔から持久系が得意だった。トライアスロンはやめたが、水泳は中学卒業まで続けた。高校に上がり、宇都宮ブリッツェンの下部組織としてブラウブリッツェンが立ち上がることを栃木の地元新聞で知り、応募。1期生となった。ブラウブリッツェンから那須ブラーゼンを経て、2016年、宇都宮ブリッツェンに入った。
 

初めての挫折、開き続ける世界との差

2018年TOJ京都ステージで優勝した雨澤
2018年TOJ京都ステージで優勝した雨澤

宇都宮ブリッツェンのメインの戦いの場となるのは、国内リーグのJプロツアーである。2018年のJプロツアーでの雨澤は、まるで”退屈”の二文字が顔に書いてあるような走りを続けた。雨澤の求める”勝負”のレベルは、日本のレースで叶うことがなかった。

求めるレベルが変わったのは、2017年の夏にアンダー23のナショナルチームで参加したツール・ド・ラヴニールがきっかけだった。前年にも雨澤は代表としてラヴニールに参加していた。世界レベルのレースで走り方も分からないまま、「とりあえず体験」で自らの立ち位置を確認した。それを踏まえ、2017年のラヴニールは明確なチャレンジとして位置付け、準備をして挑んだ。だが、身につけた自信は、トップの世界に届くどころか完全にへし折られてしまった。

「今までにないくらい相当準備したので、戦える自信はあったのに打ちのめされたっていう感じですね。」

世界との差を目の当たりにして大きく意識が変わり、それまでよりも勝利に対して執着するようになった。その年のジャパンカップロードレースでは3位に入り、久しぶりの日本人表彰台に周りが沸く中で当の本人は微塵も笑顔を見せず、「全然うれしくないですね」と、表彰台の真ん中に立つことができなかった悔しさを露わにしていた。

2018シーズンに入り、宇都宮ブリッツェンとの契約を延長した雨澤にとって、Jプロツアーで走るモチベーションは消え、もはや”練習”という名の惰性となっていた。レース中盤ほどでほぼ毎レース繰り出す強引なアタック。ときにはチームメイトすら巻き添えにし、「動きすぎだよ!」と言われることもあった。

「アタックしまくって、よしこれから勝負だぞ!っていうところで、自分のアタックで勝負決まったみたいになっていて、その瞬間もう終わりなんだって思いました。いやいや!もっとこれからでしょ!っていうところで終わっちゃった。」

チームメイト、いや、Jプロツアーを走るほとんどの選手たちとは明白な目標の乖離があった。

「迷惑だったと思いますよ(笑)。やりたい放題ですからね。」

それでも”練習”をする必要がある。世界のレベルは日々進化していく。雨澤は危機感を抱えた。

「これじゃダメだなというか、ゆるいレースをしてたら強くなるどころか弱くなっちゃうと思って走っていました。それプラス面白くないなって。ぶっちゃけ、走っていてつまらないなって。」

一方、格上の選手たちが出場するUCIレースのツアー・オブ・ジャパン(TOJ)で雨澤は話していた。「JプロツアーとUCIレースでは走り方が違う」と。UCIレースでは我慢して我慢してできる限りまで脚を温存させ、最後の勝負どころで使う。Jプロツアーでそれをやったらただ楽なレースになってしまい、”練習”にならない。そして2018年TOJの京都ステージで雨澤は勝負どころを見逃さなかった。
 

「グストが拾ってくれた」


雨澤は、2018シーズンに宇都宮ブリッツェンと契約するときから「今年でブリッツェンを終わりにする」と決めていた。本来であれば、ジャパンカップで3位に入った次の年から国外に出たいという気持ちがあった。だがしかし、ジャパンカップといえども所詮はアジアツアー。その結果だけではヨーロッパのチームから見向きもされなかった。また、移籍をしようにも雨澤はそのやり方が分からなかった。

「移籍に向けた動きはすごく悪かった。動き出しが悪くて、(宇都宮ブリッツェン・清水裕輔)監督に『移籍したいならちゃんと自分から動かないとダメだぞ』って怒られちゃいました。ちょっと待ちの姿勢に入ってしまっていました。」

8月末には、いよいよまずいとヨーロッパでの経験を持つ清水監督や廣瀬佳正GMにも相談した。

「履歴書作って手当たり次第メール送るんだよって言われて、チームのHPの問い合わせからメールを送りました。何チームか送りましたけど、答えがあったのはリュブリャナ・グスト・ザウラムだけでした。本当は8月末は遅すぎで、やるんだったら6月くらいから始めればもうちょっと選択肢があったのかなって反省しています。」

リュブリャナ・グスト・ザウラムは、ツール・ド・とちぎやジャパンカップにも出場し、日本でも馴染みがある。何といっても2018年ツール・ド・ラヴニールの優勝者、タデイ・ポガチャルが所属するチームだった。(雨澤の移籍に関するチーム側の話は、サイクルスポーツ2月号に詳しい。)

なぜグストなのかと問われることも多い。

「僕がグストを選んだっていうよりか、僕の中ではグストが拾ってくれたっていうイメージですね。今となってはグストって決まって本当に良かったと思います。出るレースのレベルだったり、行くべき環境が揃っていて、合ってるんじゃないかなって思っています。

今年TOJのステージ勝ちましたけど、アジアツアー1クラスで勝てたからって、ヨーロッパの2クラスで勝てるとは限らない。ヨーロッパの方が何段階も上なので。ちゃんと段階を踏んでやらないとダメだろうなと思います。ちゃんと段階を踏めて、実力に見合ったところには行けたんじゃないかなって思います。」
 

新たなる挑戦


希望を持って欧州に渡り、何も残せずに帰ってきた選手は多くいる。もちろん雨澤にだって潰れて終わってしまうリスクもある。

「正直不安しかないですね。僕は英語がペラペラなわけではないですし、その辺が来年は大変だなと思います。結局は実力主義の世界なので、自分がちゃんと走れるところを見せれば問題ないかなと。食事とかの部分に関しては、代表の遠征とかで経験しているから大丈夫だろうってあんまり気にしないようにしています。」

初めての挑戦に対して「まずは無事に終わりたい」と願う雨澤にはまだ甘さも残る。実力主義はもちろんだが、世界は甘くはない。実力がいくらあったとしてもロードレースはチームスポーツだ。コミュニケーション能力は否応なく求められるし、適応力が試される。走りの面でのレベルアップだけでなく、気持ちの面でのさらなる成長も課題となるだろう。

「来年はチャレンジですね。決まったからって悠々とはしていられない。時間、年齢的にも期限は迫ってますし、若いうちに強ければ強いほどいい。ワールドチームやプロコンも同じ実力だったら若い人を取りますし、そこは焦りもしますけどしっかりと無難にまずはこなしていく。特別何かやろうじゃなくて、しっかりとあっちのレースで走りたい。」
 

目標の修正


もともとはツール・ド・フランスに出たいという夢を掲げていた雨澤。だがその目標にも変化が生まれた。

「ツール目指すとかあったんですけど最近はそうじゃなくて、ヨーロッパで認められる選手になりたい。日本人のスポンサー枠として入るとかじゃなくて、ちゃんと実力を認められてあっち(欧州)のチームで走りたい。それが最終的な目標です。」

雨澤は、あくまでも”実力”にこだわる。もしかするとその目標は”ツールに出る”ということよりもはるかに難しいことかもしれない。直近の目標については、「ヨーロッパツアーでUCIポイントを取ること」と話していた。最終目標に向けて、プロコンチネンタルチーム、ワールドチームとさらなるステップアップを望むには、どうしたってヨーロッパでのポイントを積み重ねる必要がある。

不安と楽しみ、割合としてはどれくらいか聞くと、「50:50ですね。半分ずつです」と笑った。その顔には大人の落ち着きと子どものようなあどけなさが残る。これから想像だにしないような大きな変化が雨澤を飲み込むことになるのだろう。そのとき雨澤はどう適応し、どう変わっていくのだろうか。小学生の鬼ごっこのときのような粘り強さを見せてくれることを期待したい。