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再発見!ニッポンの峠 歌でつづる熊野いにしえの道

嶋村年彦さん
●バイク:ラレー・カールトンF 価格/ 14万7000円 問:新家工業 TEL:06・6253・6317 ●ヘルメット:ベル・アレー 価格/1万7640円 問インターテック TEL:03・5377・1443 ●シャツ:モンベル・ジオライン3Dメッシュ サイクルジップシャツ価格/ 6300円 ●ジャケット:モンベル・U.L.サイクルウインドジャケット 価格/ 8300円 ●パンツ:モンベル・サイクリングニッカ 価格/ 8900円 ●フロントバッグ:モンベル・サイクルフロントバッグ 価格/ 3400円 以上問モンベルTEL:06・6536・5740
奈良県サイクリング協会の理事を務めグランフォンド吉野などの人気イベントを主催するかたわら、有志で木津川サイクリング倶楽部を発足させ、自転車のすそ野を広げるべく尽力する。
●果無集落は熊野古道の1つ「小辺路(こへち)」が通る尾根上の集落。うっそうとした険しい山中に突然現われたオアシスのように光り輝いて見えた。これまで幾人もの旅人を見守ってきたに違いない

五条駅に着くと同時に雨が降り始める。テンションの下がる私と対照的に、「雨なんか気にならへん」と勢いよく出発する嶋村さん

五條市の新町通り沿いには古い町並みが残る。五條は柿の産地としても有名で、写真の酒蔵「山本本家」では柿ワインも造られている
「ええ天気やのう」
「そうですね~」
  週間予報では絶好の晴天に恵まれるはずだった今回のツーリング。車窓からは、水の重さに耐えかねて今にも雨粒がこぼれ落ちてきそうなどんよりとした雲が見渡せた。
  学生の時分は京都に住んでいたが、自転車で吉野より南に行ったことはなかった。関西在住の人にとっても、奈良の南というのは訪れる機会の少ない、山深く険しい地域だ。
  そんなところに1人で分け入るのは心細く、奈良県サイクリング協会理事の嶋村年彦さんに同行をお願いした。有志で木津川サイクリング倶楽部を発足させ、初心者に自転車の楽しみを知ってもらうため2カ月に1度ツーリングイベントを企画する一方、みずからもロード、MTBを問わずイベントに積極的に参加する自転車大好きオヤジは、突然の申し出にもかかわらず二つ返事で快諾してくれた。
  JR和歌山線の五条駅を降りると、同時に雨がパラパラと降ってきた。出鼻をくじかれ早くも気分が冷めかけているボクを尻目に、早く走りたくてウズウズしている嶋村さんはまたたく間に自転車を組み上げザックをレインカバーで覆い、レインウエアとシューズカバーを身につけ準備万端。「ほな、行こか!」と意気揚々とペダルを踏み込んだ。

味気ないトンネルに
悔しいけれど感謝

  古い町並みの残る五條市街を抜け、国道168号線を南下する。天辻峠に向け、吉野川にそそぐ丹に生う川かわに沿って緩やかに上っていく道だ。山が川のすぐそばまでせり出し、平坦な土地はほとんどない。そんな道すがらにも町はあり、家は急峻な斜面に張り付いて点在している。その様子はまるでスイスのアルプスのよう。「あれは賀あ のう名生梅林言うて……」。そんな山の斜面の一角を指さして嶋村さんは言う。2万本の梅が植わり、春先には斜面一帯がピンク色に染まるという。
「もう少し行ったら五新線の橋が見えるわ」。ゴシンセン?「国鉄が通そうとしとった鉄道の跡やねんけど、結局完成せんと、今は路線バスが走る専用の道になっとる」。完成すれば五条駅と和歌山県の新宮が鉄道で結ばれるはずだったのが、採算が見込めない路線であったため工事は中断。現在では五条~城戸間の約10㎞を結ぶバス専用道路として機能しているらしい。カンヌの新人監督賞を受賞した映画「萌もえの朱雀」のモチーフとなったことでも知られる。「どうせなら自転車専用道路にしてほしかったですね」。「それやったらたぶんおもんないわ。トンネルばっかりやから」。
  雨はやがて小降りになり、景色を楽しむ余裕が出てきた。坂の勾配が増すにつれ、家はまばらになり、代わりに斜面は杉の木で埋め尽くされた。信じられないほどの密度で杉が林立している。
  峠となる新天辻トンネルを抜け、道の駅でひと休みしたあと、坂を下る。十津川沿いの道は、ところどころ新しいトンネルが山を貫き、おかげで道は広く確かに走りやすいが、トンネルばっかりは確かに味気ない。かろうじて残るこの趣深い旧道も、トンネルが完成すればやがて封鎖されてしまうのだろう。せめて自転車だけが通れる道として残しておいてほしいと思……うわぁ!!
  ガサガサッと音がしたかと思うと、突然視界の左上から円柱状の物体が降ってきて、ヘルメットをかすめて地面に落ちた。直径20㎝はあろうかという木の枝だ。「落石注意」の標識はあったが、落木は不注意だった。というか、石にしろ木にしろ注意しようがしまいが当たるものは当たる。新道万歳。神様トンネル様。もう味気ないなんて言いません絶対。

国道168号線は、映画「萌の朱雀」のモチーフとなった五新線の高架を何度か横切る。現在では路線バス専用の道となっている

急勾配の斜面に家々が張り付くように点在している。自転車通学してる子がいたらヒルクライム強いだろうな~

谷瀬の吊り橋は全長297m、高さ54mと鉄線の吊り橋としては日本最長。河原には白い石で絵や文字が描かれている
昼食は奈良の吉野名物「めはり寿司」。かつお節などの具材を入れたおにぎりを高菜の葉でくるんだシンプルなもの

来年は遷都1300周年。一世を風靡した「せんとくん」のポスターがいたるところに。以前よりキモチ悪くなっているのは気のせい!?

果無の集落に向かう舗装路を上る。集落までのわずか2.5㎞がはてしなく感じられる。

国道168号線の旧道はうっそうとした木の下を走る。危うく折れた枝の餌食になるところであった

果無峠に向かう登山口の脇に向井去来の句碑がある。「つづくりも~」の句は彼の代表作『猿蓑』に収録されている

6つある熊野古道うちの1つ、小辺路は幅1mほどの石畳となり果無の集落の中を通っている

この道が世界遺産であることを示す石碑が立つ。尾根をはさんでこぢんまりとした畑が整然と並んでいる

小料理宿「山水」は十津川温泉のすぐ西に位置する上湯温泉を源泉とするかけ流し温泉が自慢。山を眺めながらの解放的な露天が気持ちいい

果無峠へは集落からさらに歩いて1時間半ほどかかる。雨も強くなってきたので登山はあきらめ宿へ向かう

個人の家だが、参詣者が気軽に休めるよう縁側を開放している。参詣者でないけど雨宿り

はてしなき
いにしえの道をたどる

谷瀬の吊り橋は日本一長い鉄線の吊り橋として今や観光スポットとなってしまっているが、もともとは地元の人の生活用に作られたもの。自転車で渡れると聞いていたが、許可されているのは地元の人だけらしい。自転車のみならずモーターサイクルでも普通に渡っていくというから驚きだ。一歩踏み出すたびに足下の板が心もとなくきしむ。クリートが板を貫いてしまわないことを祈りながら恐る恐る渡る。
いくつものトンネルを抜け国道168号線をひた走る。十津川村の役場を過ぎたあたりから、ふたたび雨脚が強くなる。本日の宿は十津川温泉のすぐ西に位置する上湯温泉。チェックインにはまだ早いので、周辺を散策することにした。
このあたりは熊野の本宮へ参詣する人々によって踏みしめられたいわゆる熊野古道の1つ、小辺路が横切っている。高野山から熊野へと至るこの道は、6つある熊野への参詣路のうち大峯奥駈道と並び最も険しい道とされ、数々の難所がある。ここから少し南下した山中にある果無峠が、熊野へ抜ける最後の難所となる。自転車では行けない道かと思ったが、登山口の脇の案内板を見ると、峠へ
の中間地点のわずかに開けた尾根の上に、果無という小さな集落が存在するようで、そこに向かって舗装路が延びている。
案内板の脇には、松尾芭蕉の門下の1人である向井去来の句が刻まれた碑が立っていた。いわく

 つづくりも
  はてなし坂や 五月雨

「つづくり」の意味がわからなかったが、向井去来が「はてなし」と嘆いた坂とはいかなるものかと本日最後の坂に挑む。

 はてなしと
  聞かば挑まん 坂バカの性

ちなみに「つづくり」とは、参詣道の石段などの修繕のために当時参詣人から徴収されていた通行料のことらしい。苦労してここまでたどりつき、さあ、いよいよ最後の峠へ、というところで思わぬ足止めを食らい、しかもカネ取るんかい!ほんでこの雨!!という去来のいらだちが感じられる句である。
確かにわれわれも、有料だったら引き返していたところだろう。
さすがに難所と言われるだけあって、舗装路といえど常に10%を超えていそうな急坂を上る。あっという間に高度をかせぎ、えっちらおっちらやっていたにもかかわらず気づけば川ははるか下を流れている。永遠にも思われる坂、永遠にも思われる雨。この地が果無と呼ばれるようになった理由は、考えるまでもなく身をもって実感できる。
やがて開けた場所に出ると、そこにはこぢんまりとした集落が。きれいな馬の背の両斜面に小さな畑があり、そこにネギだのイモだのキャベツだの、何種類もの野菜が所狭しと栽培されている。そしてその真ん中、尾根の上を、幅1mほどの石畳が通っている。「世界遺産・小辺路」の碑がなければそれが熊野古道だとは気がつかないほど控えめな道だ。
舗装路はほどなく途切れ、果無峠まではそこからさらに歩いて1時間半ほどかかるという。雨脚がまた強くなってきたこともあり、今日のところは来た道を戻り、宿に入ってゆっくり温泉に浸かることにする。


県道29号線は龍神村から田辺市街に抜ける道。虎ヶ峰峠を越えると切り立った尾根上の道を爽快に下る絶景ルートとなる
1.牛廻越へ向かう途中、農作業を終えたおばちゃんに会う。「エライ」と言われほめられたかと思ったがこの先の道が「キツイ」という意味だった。2. 3.国道425号線沿いはトンネルも個性的で味がある。4.牛廻越の峠は奈良と和歌山の県境にあたる。前日の昼過ぎに十津川村に入ってから70㎞近くこいでようやく十津川村を抜け出した。日本一大きな村は伊達じゃない!5.峠を越え、龍神方面に下る。こちらも路面が悪く油断できない。ちなみにこの日2人合わせて5回もパンクした
移動距離:約90㎞
JR五条駅→国道168号線→新天辻トンネル→猿谷ダム→谷瀬の吊り橋→風屋ダム→果無集落→十津川温泉小料理宿「山水」
移動距離:約90㎞
国道425号線→牛廻越→国道371号線→ 県道29号線→虎ヶ峰峠→奇絶峡→天神崎→JR紀伊田辺駅
アプローチ
鉄道なら起点となるJR五条駅までJR大阪駅から鶴橋、大和高田経由で1時間30分。帰路はJR紀伊田辺駅から天王寺経由、特急利用で2時間10分。クルマなら大阪市内から南阪奈道経由で五條市街まで約1時間20分。紀伊田辺までは阪和自動車道経由で約2時間半。
宿泊情報
十津川村に多数ある。
小料理宿「山水」 奈良県吉
野郡十津川村平谷946-1
TEL:0746・64・0402
1泊2食付き1万500円~
湖泉閣「吉乃屋」 奈良県吉
野郡十津川村平谷432
TEL:0746・64・0012
1泊2食付き1万2750円~
走行アドバイス
五條から十津川に向かう国道168号線は路面がよく整備されていて走りやすい。十津川と龍神を結ぶ国道425号線は舗装はされているものの路面の凹凸や落木に注意が必要。
杉の木が整然と立ち並ぶ林間を抜ける。変化に富んで非常に趣深いニッポンの峠道だ

虎ヶ峰峠から下る途中にある道の駅「紀州備長炭記念公園」で梅ドリンクと梅エキスを購入。梅ドリンクには大粒の梅が入っており2度おいしい!
虎ヶ峰峠に向かう最後の坂を上る。県29号線は路面が広く走りやすい

ずっと緑のなかを走ってきたので海が見たくなり白浜の海岸を望む天神崎まで行くことに。雲が厚く夕日が見られなかったのが残念!
これぞニッポンの峠道
エライ酷道425

  翌朝目が覚めると雨は上がっており、雲間から日の光がのぞいていた。
  今日は進路を西に取り、国道425号線を龍神方面に向かう。さらに国道371号線、県道29号線と乗り継ぎ、紀伊田辺へ。途中、牛う し廻まわし越ごえと虎ヶ峰峠の2つの峠を越える。
  牛廻越は、紀伊半島の道は走っていないところがないというほど熟知している奈良県在住のサイクリスト・CanCanさんオススメの峠。信州のようなダイナミックな峠とは違い、見晴らしはけっしていいわけではないが、味わい深いひなびた雰囲気が魅力の紀伊半島の峠を代表するような、ディープな峠であるという。
  その名の由来も、地図を見れば一目瞭然。山と山の合間を縫って、うねうねと蛇行を繰り返し、標高800mあまりの峠まで慎重に上っていく。十津川温泉から龍神温泉まで直線距離にして20㎞ないところを、40㎞以上かけて行くことからも、そのうねうね具合が推しはかれよう。地元の人は"ヨンニーゴ"と聞くとだれもが顔をしかめるほどの難ルートだ。
  牛廻山をはさむように国道425号線と並行して走る県道735号線も似たような道らしく、そちらには引牛越という名称が与えられている。この2つの道は、荷物を運ぶ牛たちの間でもさぞ悪名高い峠だったに違いない。
  宿を出るとしばらくは、細かいアップダウンが続く。上ったり下ったりを繰り返しながら、じわりじわりと高度を上げていく。ただでさえうねうねとした道に加え、路面にごろごろ転がる木の枝や石を避けながらうねうねと進むためいっこうに距離が伸びない。クルマ1台がやっと通れる程度の道幅で、路面も相当悪い。ここが国道というから余計に驚きだ。
  クルマでも不便そうなところだが、それでもところどころ集落があるから不思議だ。ちょっとでも平らなところがあればそこに家を建て、斜面を利用して野菜や果物を栽培している。
  やがて建物も畑もなくなり、急峻な山の斜面を限りなく濃い緑の葉をたんまり蓄えた木々だけが埋め尽くすようになると、さすがにそろそろ峠だろうと甘い考えを抱きたくなるが、そんな淡い期待を打ち砕くものが左手にそびえる山のはるか上に見えてしまう。
「まさかあっこまで上がらへんよなぁ」
「きっと別の道ですよ」
  はるか頭上のガードレールから目をそむけるように前を向いてこいでいると、向こうから1人のおばちゃんが歩いてくる。
「こんにちは!」
「どこまでいかはるん?」
「龍神のほうに」
「そらエライわいね」
「どうも~」
「どうもやあれへん。エライゆうんはキツイゆうこっちゃ」
  ということは、やっぱりあそこまで上るのね……。
  案の定、道はやがて山に吸い込まれるように上っていく。その昔文句1つ言わずに山を越えていった牛たちは本当にエライと思う。

圧巻のスケール!
虎ヶ峰峠

  龍神の村を一気に駆け抜け、いよいよこの旅最後の峠、虎ヶ峰峠に向かう。こちらは地元白浜出身の石田ゆうすけさん推薦の絶景峠。
  県道29号線に入り、最後の力を振りしぼって坂を上りきると、緩やかに下っていく。牛廻越とはうってかわって広い道に快適な路面。引き締まった虎の背中のような急峻な尾根の上を豪快に下る。深い谷がどこまでも広がり、はるか向こうまで峰々が連なっている。こんなに気持ちのいい道があったのか。
  いつまでも走っていたい――そんな道と出合ってしまうと、また峠越えがしたくなる。
  ニッポンには、まだまだ知らない峠がたくさんある。