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NIPPO・ヴィーニファンティーニ 窪木一茂、山本元喜、石橋 学、小林 海にインタビュー

レース
オリンピックトラック競技日本代表の窪木。今年ジロ・デ・イタリアを完走した山本。昨年別府、新城以来新たにグランツールへ出場を果たした日本人選手石橋。スペインで頭角を表した小林の4人に、ゲストライダーとして参加したイオン幕張サイクルフェスタ AEONBIKEエンデューロ2016の会場で今シーズンを振り返ってもらった。
 

窪木「準備してきたつもりでしたが、まだまだ足りませんでした」

オリンピックの出場が決まった時は、(代表選出の発表が直前だったため)出場するその時までは決まっていないと思っていました。現場に行って走るまでは出場の実感はなく、あまり緊張もしませんでした。五輪は目標だった8位入賞は達成することができませんでした。オリンピックの舞台で活躍するための実力や、他の国の気合いの入れようがどれほどのものかを感じました。そのお陰で、新たなスタートを切ることができたと感じています。この4年間、準備してきたつもりでしたが、それがまだまだ足りませんでした。これから、この4年間以上に努力し続けなければいけないとしっかりと実感できました。

チームでは、自分はスピードがある方なので、ゴール前の牽引や中間スプリントを狙うことを任されていました。始めからトラックをやるという契約で入り、その後オリンピックがあることが分かっていたので、前もって気持ちの準備はしていました。しかし実際オリンピックが終わった後の切り替えが上手くできませんでした。正直なところ、今まで積み上げてきたことが一つ終わってしまったという感じでした。オリンピックに向けて準備や努力を積み重ねて来て、それがだめだったというのはやはり落胆してしまった。言葉はまだまだ。今までが甘かったので、来年はもっと自分に厳しく望みたいです。
 

山本「大きなレース後のコンディション調整が課題」

今期、ジロを完走したことを含めて振り返ると。まずはチームに選んでもらって完走することが第一の目標でした。そこに向けて、途中でクルマとの接触によるケガなどがありつつも、良い感じに合わせることができ、完走することができました。そこまではかなり良かったかなと思います。
 
それ以降ですが、初めて3週間続くレースを経験し、その大きなレース後のコンディション調整ももちろん初めてで。それがうまくいかず、失敗したと思っています。
今シーズンの第1目標にジロの完走と(レース中の)逃げに乗るという目標があり、その次として全日本を獲りたかったのですが、それが獲れなかった。未熟さを思い知りました。新城さんも別府さんも、ツールを走った1カ月後にブエルタに出場している中、自分がジロ走った後は1カ月程度では回復することができなかった。お二方と比べて能力的にまだまだ足りないことを実感しました。
 
今回のジロの完走を生かして、自分の一番の長いスパンでの目標とする東京オリンピックに向け、能力を伸ばしていきたい。来年や四年後に向けて、どう組み立てて行くかを考え、選手としてのピークをそこに持って行けるよう頑張りたいです。
 

石橋「東京五輪に向けてナショナルチームに加われるように」

去年から体調を崩してずっと乗っていなかったので、シーズンが始まったばかりの前半は少しきつかったです。しかしちょっとずつ調子が上がってきて、イタリアでの合宿の頃はかなり良くなっていった。そこでは上りが多かったため、クライミングの調子が良い感じに終わりました。しかしその後はど平坦の中国レース! だったのであんまりでしたが。
 
調子の良さから、チャンスはあり、メンバーからも「ここ行け行け」と後押ししてもらったりもしていました。自分はスプリンターではないので、勝率を上げるために小さい集団を作れる様に結構動きました。ですが、そこは上手くは行きませんでした。しかし良い感じのイメージで走ることができたと思います。
 
後半は調子も良くなり、アシストの仕事を任されていました。中国でのステージレースでは、チームとして総合を獲れそうになったが、エースのマリーニがうまく機能せずに終わりました。アシストがうまくいかなかったというよりは、エースが後ろについていなかったり動きが良くなかったので、アシストしてる側で怒ったりする場面もありました。
 
東京オリンピックはやはり目標です。それまでにナショナルチームの活動が増えると思うので、そこに呼んでもらえる様に、力を付けていきたいと思います。
 

小林「突然長文のメールを見たときは、何だこれってなっていました(笑)」

トレーニーに選ばれたきっかけは、チームから声をかけてもらいました。大門監督とは面識がなく、最初は「お、まじかっ!?」て感じでした。普段からメールをあまりチェックしていなかったので、2日間気づかなくて……。突然長文のメールを見たときは、何だこれってなってしまいました(笑)。
 
契約が決まってからは、まだちゃんとレースを走れていません。それは今期、ステージレースをいくつも走っていて、前半からイタリア、スペインでステージレースをこなし、さらに全日本選手権も獲ってめちゃめちゃ調子が良く、走れていた。そこで一度休養してから後半を走るべきだったんですが、休むことなくさらにレースに出ていたので、一気に体調崩して全然だめになっちゃいました。
 
9月に(契約の話が出た上で)大門さんに今期はもうだめですと伝えていたので、2レースだけ走って帰りました。血便が出ちゃったので。それくらい体がぼろぼろに……。そこまで追い込んだのは初めてでした。血便が出たことを告げて帰国するその日に、チームとの契約にサインをして日本に帰りました。
 
これまで所属していたアマチームは、スペインでもかなりの強豪チーム。スペイン国内のアマチュアレースの半分は勝っていたくらいです。チームメイトは18人いるのですが、来年は上位チームに上がる選手もちらほらいます。チリの選手は同い年で、スペインのアンダー23の中で一番強いんじゃないかって言うくらい強い選手。
ステージレースでステージ優勝したり、ひとつでは総合優勝できそうなところだったのに、フィニッシュ前でガッツポーズしてたら後ろから刺されてタイム差無し、総合優勝も逃す……なんてこともありましたが。それくらい強く、そして仲の良い選手です。ウルグアイ人も同い年ですが、サンルイスでキンタナとかと第一集団で上っていたような選手です。

そのチームでは、コロンビア人と併せて4人がチーム寮でルームシェアしていました。一緒に住んでいる選手が仲が良くて脚も揃ってて非常に良い環境でした。
チームがすごく良く機能していました。

実際スペインのアマのチームは、アマといってもチームカーもあるし監督、メカニック、マッサーもいます。ベルギーやオランダのそれらよりもお金を持っているんじゃないでしょうか。スペインでプロチームを作るには、予算はもちろん、チームバスを持つ必要もあるなど条件が厳しいです。アマのチームでもUCI2クラスまでのレースにでることもできて、そこでUCIポイントを取ることもできます。

NIPPO・ヴィーニファンティーニがどんな感じのチームかはまだ分かりません。でも、ブエルタ・ア・ブルゴスの頃から何となく知り合いでしたし、イタリア語はスペイン語と近いので、言葉は問題ないです。チームに顔を出したときに、チームの中では「新しい日本人が来る」と噂だったのに、スペイン人じゃないかと言われている。D・クネゴからも「なんだ、来たのはスペイン人じゃないか!」と言われました(笑)。