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小林海(マリノ)の体当たりスペインロードレース参戦記 第7回

レース
こんにちは!「小林海の体当たりスペインロードレース参戦記」第7回目です。遅くなりましたが、今回は3月15日、21日、22日のレースをふり返ってみたいと思います。
 
G.P.SAN JOSEに出場
 
シーズン開幕から参戦したレースの開催地
 
まず15日に行なわれた『G.P.SAN JOSE』。昨シーズンを過ごした、僕にとってはホームとも言えるCantabria 地方のAstilleroで行われた。距離は105kmと比較的短い方だが、レース前半にまず2級山岳が2つ、その後1級が1つある厳しいコース。前半に先頭メンバーが決まり、後半のアップダウン区間は少人数でアタック合戦的な展開になるであろう、しんどいけれど僕の好きなタイプのレースだ。
 
 
G.P.SAN JOSEのプロフィールマップ
 
当日は終始雨で、1級山岳の山頂付近では雹が降り、気温が0度になるという超絶悪天候にみまわれた。参加チーム(選手)は、バスクで同日開催のレースがあるためバスク系のチームは少なかったが、カンタブリア出身のエース有する名門カフェバケやコンタドール財団、そしてバスクのレースに年齢的に出場できないエリート選手などの強豪が揃った。ちなみにスペインの一般的なレースは、当日のスタート1時間前まで参加登録を受け付けるため、参加チームや選手名が大会前に公表されることはなく、日本のように受付のために前日に現地入りするというのも無い。
まず、最後尾あたりでレーススタートしてニュートラル区間でチョロチョロ前へ上がって行った。集団前方には我が友オスカルがいた。約3週間ぶりの再会で、リアルスタートまで少しおしゃべり。最初の山岳に入るまではスリッピーな路面で、しかもシーズン初戦の選手も多くピリピリして危なっかしいので集団最後尾に戻りヒラヒラする。
そして1つ目の山岳で少しずつ前に上がって行く。距離は6km。ペースは割と速い。3km辺りで先頭に立ち、チームメイトと連携しながらアタックや逃げに反応して行く。後半結構ペースが上がったため、この上りで恐らく30人以上が減ったと思われる。危険回避のため少しペースを上げて前に出て、下りに入る。下ってすぐに2つ目の山岳。距離は3km。ここでも山岳ポイントを狙った動き以外は無く、下って1級山岳へ。距離は8kmで平均勾配7%。差が付くプロフィールだ。上り口でアタックした数人の逃げが決まり、集団はペースで上っていく。集団前方でこなして行く。ペースは速く、中腹で後ろを見たらもう集団は20人以下。僕自身は余裕を持って登れた。前の逃げと僕のいる集団合せて20人。
 
痛恨の落車!
その後足切りが行なわれ、レース続行が許されたのはこの20名。その中に僕を含めたチームメンバー5人が残る。とにかくその後はアタック合戦。チームメイトが2人乗った有力な逃げをカフェバケの有力選手2人がそこに入ろうと全力で追ったのでそれに乗り、自分も前に入ろうと目論む。着き位置の僕を蹴落とそうと小さな丘でペースアップされ、5メートル程遅れる。ここは何としてでも遅れてはいけないので下りのロータリーに全力で突っ込んだら、落車。50km/h程は出ていたので危なかったが、皮肉なことに超絶スリッピーな路面のお陰でブラケットは破壊したが擦過傷と打撲だけで済んだ。すぐに起き上がり焦らずチェーンを戻して乗るが、時既に遅し。前の2人は先頭集団に追いつき、僕は第2集団にまで抜かれたので全力で追い、結局6人の第2集団でゴールた。先頭集団ではチームメイトがトップでゴールした。僕は11位。落車していなければ表彰台に立てた可能性もあり悔しかったが、ツール・ド・ラブニールに出場したU23スペイン代表選手達と対等に近い状態で闘えたのは凄くポジティブな要素だった。
 
G.P.SAN JOSEのフィニッシュ写真。下りで雹が顔に当たり痛かった・・・。
 
落車に関しては、あそこで突っ込まなかったら確実に前に追いつく可能性は消えていたので仕方がなかった。リスク無しに勝負に絡む事はできない。勝負が掛かってる時にリスクを負う覚悟はできていた。特に悪天候の時はリスクが増すし、前の2人も同じくリスクを負い、内1人は2位になりチャンスを掴んだ。
後日この時の賞金が分配された時の喜びは一生忘れない。スペインでの初の賞金だったからだ。今まで無償で走ってきた長い時間が少し報われた気分だ。
 
2日連続のレースで強力なチームの力を思い知る
 
21日のレース、ニュートラルスタート前の風景。この時から位置取りは始まっている
 
3月21日、22日は主催者は異なるが同じ地域でレースがあった。事前の懸念どおり、今までに経験したことのない激しい風に全く為す術がなく撃沈した。21日は何とか完走したのものの、22日は無念のリタイア。
21日土曜日のレースは距離90km。コースは平坦で小さな上りが2つ程あるだけだ。大した事ねえな、なんて思っていたレース前の自分を殴りたい(笑)。翌日のレースがスペインのアマチュア1dayレースで5本の指に入る程の重要なレースなのでメンバーが濃い。特にロシア代表と言っていいLokophinxというチームの実力はとにかく半端無い。
開始1kmでLokophinxがエシュロンを組んで集団前方で中切れが起きた。僕は、丁度中切れが起きた場所周辺にいたため、とにかく必死で追う。僕のいる第2集団も後方で落車が起きたため小集団になったが、前がエシュロン組んでるのになかなか息が合わず、徐々に崩壊していく。そして僕はレース開始後1時間15分ほどで第2集団から脱落。風での位置取りが下手過ぎて明らかに周りの選手より脚を使っていたし、前はもうとっくに見えなくなっているし、スタートからフルなので脚も気持ちも折れた。平地なのにそこまでの平均パワーは290w以上。NPは320w以上。「パンクしてくれ」と思ったり、「止まって自分で空気抜いて回収車に乗ろうか」とまで考えた。辛かった~。が、どうにか完走。
 
リタイアが必要な時もある
そして翌22日は『Trofeo Iberdrola』。距離は160km。ここで勝った選手はプロから声が掛かる可能性が高いと言われるとても重要なレースだ。我がチームのレースメンバーは、エリートが6人にU23が僕を含む2人。エリートは、経験、実力共にチームでは最有力選手達だ。U23の選手には「常にエリートの選手達の近くにいろ。このレースは脚よりも経験がものを言う」との指令が監督から出された。
天候は悪天候。雨あり風あり気温無し。レースはスタートしてから淡々と進んで行ったが、前日に明らかに無駄脚を使い過ぎたため、40km過ぎ、最初の強風によるふるい落とし区間で前に上がれず、中切れで取り残されてしまった。本来ならここで前に復帰するところだが、疲労のせいであと少しのところで追いつけないまま10km以上が過ぎる。そして徐々に集団は遠くなって行った。
遅れた集団には前日上位に入った強いチームメイトが2人いたが、「ごめん、俺ら調子悪くてお前を前に復帰させてやれない。もう絶対追いつかないし降りよう」と言われ、僕たちのレースは終わり、回収車を待った。不法入国者のように真っ暗な荷台に数人で入り、スタートゴール地点まで1時間程の旅をした。
実は前日のミーティングで「明日は雨で気温もかなり低くなる。レース序盤で集団からちぎれて追いつかなそうだったら、さっさとリタイアしてホテルに帰ってシャワーで温まれ。体調不良で選手を失いたくない。体調不良はチームにとっても君たちにとっても何もいいことはないからな」と監督から指示が出ていた。監督はこうも言った。「10年前はこんなことは言わなかったが、今はそういう時代じゃない。体調管理をしっかりしていいコンディションで走ることが第一だ」
次の週末に3日間のステージレースが控えていたことを考慮しての指示だったと思う。
レースは、2日間とも終始ロシア勢にコントロールされたが、ルームメイトのオレクサンドレはもう少しのところで優勝を手にする大健闘。他のメンバーも上位に入り、チーム成績で1位を獲得した。
 
 
Trofeo Iberdrolaでチーム優勝した!
 
この2日間は、自分の経験の浅さを改めて思い知らされると同時に、エリートや元プロ選手たちの上手さ、強さを見せ付けられ、彼らを心からリスペクトしたレースとなった。
 
さて、次回は、僕が初めて参戦した3日間の本格的なステージレース「Volta Llida」を中心に、チームメイトやこちらでの生活についても書きたいと思っています。