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【予告編】アモーレ&ヴィータ セラSMPに加入した菱沼由季典の連載がサイスポ5月号からスタート!

レース
 
■海外で走る一自転車選手の等身大の連載を
イタリア・ルッカに拠点を置くコンチネンタルチーム「アモーレ&ヴィータ セラSMP」にほぼ無名の日本人選手が加入した。
菱沼由季典(ひしぬまゆきのり、写真右から4人目)、神奈川県出身の21歳。2012年全日本選手権エリートは31位。これまで主だった戦績を残していない彼が、なぜ伝統あるコンチネンタルチームに加入できたのか? そして、海外のハイレベルなレース環境のなかで、いったいどんな経験をしていくのか? 
サイクルスポーツでは3月20日発売の5月号から、菱沼選手本人による等身大の奮闘レポートを連載として取り上げることになった。連載開始に先駆けて、これまでの経緯を予告編としてお届けしたい。
 
 
1月20日羽田空港にて、イタリアでのレース活動に向けてフライトに向かう菱沼選手
■編集部に連載執筆を売り込みにきた
2014年1月初旬、菱沼選手本人が連載記事を書かせてもらえないか、と編集部に売り込みにきたところからこの連載企画は始まった。これまでも選手からの連載レポートの売り込みは数多あったが、採用されることはほとんどなかった。
話を聞くと、「国内で目立った成績はないですが、海外のコンチネンタルチームに入ることが決まりました。ロード選手が海外でどのような生活を送っているのか、そして本場ヨーロッパの自転車競技の現状をレポートすることができます」とのこと。
これから自転車競技をやっていきたいという未来の選手の卵たちのためにも、自分の経験を役立てたいという彼の言葉に、編集部は希望を託した。何より向こう見ずなチャレンジだとわかっていても、熱い気持ちをもって高校卒業後から自主的に海外でレース活動をしてきたことに可能性を感じたからだ。
 
 
初戦は2月2日のGP COSTA Degli Etruschi(UCI1.1)。残り20kmでリタイヤという苦いスタートだった。このレースはペタッキが6連勝したこともある欧州のシーズン始めを代表するロードレース。
■菱沼由季典が「アモーレ&ヴィータ セラSMP」に入るまで
中学生時代にJスポーツで見たジロ・デ・イタリアの放送を見たのが自転車競技との出合い。その後、横浜高校時代から自転車競技を始めるが、高校の3年間で目立った成績を上げることができなかった。
大学に行くか、競技を続けるかの2択を迫られた高校3年の夏。海外のプロとしてやっていきたいという思いを実現するためには、欧州のレースに挑戦することが必要だと思い、1年間だけの挑戦として父親の理解を得る。
エスペランス・スタージュの遠征プログラムをもとに、ノルマンディのトップアマチュアチーム「VC ROUEN76」に所属し、フランスで5カ月約40レースを走った。
「結果は散々なものでした。レース環境も今まで自分が見てきた世界とは180度違うものでした。ただ、ここで終わったら思い出になり終わってしまう、そう思いました」
冬の期間にアルバイトをして貯めた資金を元に、もう1年フランスでのレース活動に5カ月挑戦することに。しかし、欧州で目に見える成果は出せず、全日本アマチュア選手権でも21位と微妙な成績に留まっていた。
 
 
いまならまだ引き返せる、競技を続けるか否かを判断を迫られたシーズン後半。全日本アマチュア選手権の結果が1つ上がり20位になったことで、全日本選手権エリートの参加資格を取得。翌年もチャレンジを続けることを決意した。3年目はホームステイをしながらノルマンディ県の小さなクラブチーム「VC Elbeuf TVO」でレース活動。
「そろそろ結果が欲しいところでしたが、入賞はできるもののなかなか優勝には恵まれませんでした」その夏の全日本選手権エリートのコースは252km。練習でも走らない長距離レースで、勝負に絡むこともできず31位で完走という結果に終わった。
しかし、その際に知り合ったプジョーチームの選手にツール・ド・ブルネイ(UCI2.2)に誘われ、初のプロレースに参加したのが新しい展望が開ける契機になった。U23の強化指定選手入りも果たし、さらなるレベルアップを目指してチームユーラシアの代表の橋川健氏にチーム加入を直訴。チームユーラシアで走ることになる。
 
2013年、欧州のプロレースで初めての石畳、巨大な選手たちと走ることに苦しみ、夏には選手を辞めようかとも考えた。そのときに糧になったのが4年間欧州で作り上げてきた人間関係だ。また、日本で助言を受けていたチームオーベスト代表の西谷雅史氏の励ましもあって改めて長期の目標を見直し、レース活動にもう一度正面から向き合った。
そして、2014年に彼が走る環境として選んだのがアモーレ&ヴィータ セラSMPだった。「フランスのアマチュアチームから誘いを受けましたが、多くのプロレースを走れて、なおかつ出場メンバーに選ばれる可能性のあるチームとして探し出したのがここでした」
ここから彼の就職活動が始まる。イタリア語で作った履歴書をフェィスブックやメールでチームに送るも相手にされず。チームのスポンサーに入っているチャンピオンシステムの棈木亮二代表を介して、ジャパンカップ参加で来日していたゼネラルマネージャーのクリスティアン・ファニーニ氏に面談したいと懇願。
「当日、会えないかもしれないかと思ったのですが、なんとかGMと1対1で面談することができました。用意していたのは、履歴書(イタリア語と英語)、資料(相手が必要としているであろうことをまとめたもの)、そしてJISS(日本スポーツ科学センター)での測定結果です。そして即席で覚えたイタリア語でチームに入りたいということをアピールしました」。
体当たりの面談が功を通して、その後のメールのやり取りののち、2013年12月20日に契約成立に至った。「僕は日本で一番をとったことも海外で注目される結果を出している選手でもありません。ただ、人一倍の競技への情熱と、後先考えずに進む好奇心がイタリアの名門チームに入った理由だと思います」
 
かつてアマチュア時代に同チームで走っていたイタリアのスーパースター、マリオ・チポッリーニが練習に同行。早くもスゴいことになっている。菱沼選手が使用するバイクもカンパニョーロ・スーパーレコードで組まれたチポッリーニ・ロゴス。
■菱沼選手の連載はサイクルスポーツ5月号からスタート
サイクルスポーツでは、すでに初戦のレースを終え、次なるステップに向かう菱沼選手の現在進行形のレポートを本誌でお届けしていく。
また、サイクルスポーツ.JPでも誌面で取り上げられなかった写真を随時アップしていく予定だ。
様変わりしつつある自転車競技の本場の今。そして、そこでもがきながら走っている一自転車選手の姿をありのままに伝えていけたらと思っている。スポットライトが当たるトップ選手が表舞台とするなら、その舞台袖に多くの選手たちがチャンスをなんとかつかもうと走っているということを知ってもらいたい。
(文・まとめ/栗山尚久)